「賀茂の斎院に中将の君というひとが仕えています。梛さまこの方をご存じですか?」
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やがて人物評は自分の同僚だけではなくなってきた。
無論梛はこの人物を知っている。賀茂の斎院ときたら、その昔の定子皇后の周囲とよく風流さについて比べられたものだった。
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「実は彼女、うちの弟の恋人なのです。一応。
惟規は一応きちんと婿として通う家があり、子供も二人居るのですが、最近はもうずっとこの女性に夢中です。
あんまりしつこいので困った人と間違われて追い払われたこともあったとか。全く。
ところでちょっと伝手があって、その中将さんが誰かさんに書き送った手紙を、こっそり見せてくれたひとが居まして。
そうしたら。
何となく私、弟が可哀想になったんですよ。
だって、あんまりにも酷い性格のひとなんですもの。
この世では自分だけが物のいわれを知っている、自分以外に情趣の深い人は誰も居まい。世間の人など思慮も分別もないものだ。
そう思っているように見え、とても胸がむかむかしました。
問題の手紙の文面にしても、この調子です。
『和歌などの趣きのあるものは、我が斎院さま以外に、誰がお見分けできようか。
この先和歌に優れた人が出て来たならば、我が斎院様だけがお見分けなさることですのよ』
などと書いているのです。
確かに斎院さまは、評判の趣味の良いお方ですから、中将さんの言い分にももっともな部分もあります。
でもそんなに誉める程には、彼女を初めとした斎院さま方から出て来た和歌で、最近、凄く良いと思われるものは特に無いのです。とっても趣きはある様に見えますが、それだけです。
斎院さまご自身はともかく、伺候している女房に関して言えば、向こうとうちの中宮さま辺りでは、決して向こうが格段に勝っているとは言えないと思うのです。
だいたい環境が違いますでしょ。
向こうはこちらと違って、立ち入って見ている人もいないんですもの。
趣き深い夕月夜、情趣に富んだ有明方、花の季節、ほととぎす探訪の折などに参上したことがあるんですが、斎院さまご自身はとても風雅な心がおありですし、御所の様子もとても世離れして神々しい感じです。
それに向こうの人々は、私達の様に俗事にかまける様なことが無いのです。
こちらときたら、いつもばたばたしています。中宮さまが清涼殿に参上なさるとか、左大臣さまがこちらにいらっしゃるとか宿直なさるとか、ともかく私達の方は何かと騒がしいのです。向こうの方々にはそういうことは無いでしょう。
その様に、自然と風雅を好むことができる様な環境なんですから、その中でどうやって軽薄な和歌を詠んだりできましょうか。
私の様に埋もれ木を更に土の中に突っ込んだ様な引っ込み思案な女でも、あの斎院さまにお仕えしたならば、決して浅はかな女などと言われることはないと思います。見知らぬ男と応対して和歌を詠み交わしたとしても、周囲が勝手に優美だ何だと言ってくれると思います。
私の同僚の女房達は、そもそも若くて見た目も美しい人が多いのですから、それぞれが本気で歌を詠んだり、趣向を凝らしたならば、その点で斎院方の女房達に劣ることはないと思うのです。
確かにですね、気安く、恥ずかしがらずに顔を見せても平気、周囲からの評判も気にしない女房というのは、それはそれでまた別の『良い感じ』がするのかもしれません。
ただそういうひとはそういう自分に結構自信をお持ちでしょうから、中宮さま方の女房を引きこもりがちだ、配慮が無いと批判するのかもしれません。
……とは言え、まあこちらも確かに少し問題はあるのです。
私の中宮さまには現在、わざわざ競い合いなさる様な女御や后がいらっしゃる訳ではないので、こちらにいつも居る男も女達もつい普段から気を張っているということが無くて。良く言えば気楽、悪く言えば少し気が抜けていると言うか。
ちなみに中宮さまは、もっとお小さい頃に、女房の色めいたことを見たり聞いたりして嫌だとお思いになったらしく、軽薄で宜しくないとお考えです。
そんなお気持ちを皆知っていますから、中宮さまに嫌われたり軽蔑されるのは困るとばかりに、滅多なことでは人前に出ようとはしません。中宮さまもそんな女房達も『まだまし』とばかりに鷹揚に御覧になっています。
でも、そもそも私達、何のために出仕している訳ですか。中宮さまの賑やかしでしょう、私達女房は。居るだけで、中宮さまのために何の飾りにもならないのはどうでしょう。
私はちなみに、出なくていい、ともかく物語を書いてくれ、と言われている女房だからまあいいのです。
殿上人が局に立ち寄った時の返事。これに上手く対応できなくて、相手の気持ちを損ねてしまうのは困りものです。と言うか、そもそも女房というものはそれができて当然なのでしょう。
と言っても、節度なくあちこちと差し出た振る舞いをするのは良いことでしょうか? そうではないでしょう。
結局、ちょうど良いくらいに、その時その場の状況に従って、気配りしていくことが大切で、でも難しいことなのでしょう。
そう、きっと他の所の女房はそうではないのでしょうね。宮仕え生活に入れば、それこそこの上なく高貴な女房でも皆、世間のしきたりに従うものです。
なのにうちの若い女房達は、相変わらず姫君のままの振る舞いなんですから。
たとえば大納言どのなど、下臈の女房が応対に出てくるのを面白くないと思っていらっしゃる様です。時には取り次ぎは良い、とそのまま退出なさることもあるんですから。
その他の上達部でも、中宮さまの元に良くやって来る方はちゃんとそれなりに馴染みの女房がいます。だけど居なければつまらなさそうに立ち去って行くんですよ。
それじゃ確かに、私達の側は『引きこもっている』と言われても仕方ないんです。だから斎院方のひとも、きっとこうしたことを軽蔑するのだと思います。
でも梛さま、だからといって、自分の側だけが全ての点において良いんだ、他の所の人はろくなものじゃない、と思って軽蔑するのは、理不尽じゃないですか?
まあでも、人を非難するのは簡単です。そして自分の心を適切に用いることは難しいことです。
自分ばかりが賢い者と思って、人をないがしろにし、世間を馬鹿にしていれば、その人の心の程も判るというものですよね。
それに、斎院などのような所では、月を観たり、花を賞でたりといった風流事を、日々の中で自然と求めもし、想像して言うことでしょう。
でもこちらの様に、朝に夕に人の出入りが激しく、何の面白みも無い所では難しいんですよ。そもそも内裏と言っても、結局は仮内裏なのです。その昔の本内裏とは違います。
そんな風に、今では御所の環境そのものが変わってしまったことを棚に上げて、ちょっとした言葉遊びをが容易くできるような女房が滅多に居なくなった、と殿上人達は批評しているというのですよ。
まあ私が直にそのひと達に聞いた訳ではないですけどね。
でも今回は、梛さまにぜひ直接お見せしたい手紙の書きぶりでしたのよ。
誰かさんが隠しておいたのをこっそり見せてくれたのですが、すぐに取り戻してしまったので、お見せできなくて残念なんですが」
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この年、三月四日の臨時除目で父・為時の左少弁就任があったにも関わらず、香の長々とした文に書かれていたのはそのことではなかった。弟の愛人である斎院女房の中将の君に対する痛烈な悪口、そして中宮側の弁護であった。
「誰から見せてもらったことやら……」
誰か、とぼかしてはいるが、弟にやってきた文を見たのではないか、と梛は思わずにはいられない。惟規も現在は侍従であるので、何かと宮中で姉である香と顔を合わせる機会も多いだろう。