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第41話 「紫の上が一番幸せであるべき」、でも?

「あらやはり二条東院、なのね」

 納得した様に梛は次の巻でうなづいた。

 「玉鬘」の次は「初音」。 

 正月に衣装を送った女君達のところを次々訪ねて行く源氏の姿に、当初は前の話の続きの様に梛には思われた。空蝉の尼君も確かに二条東院に住んでいる。

 が、それだけではやはりなかった。

 無論それぞれの女君に関しての美点について書かれてはいる。ではその女君達は。

 最後の段で男踏歌を持ち出してきている。そこで紫の上、姫君と玉鬘の君を対面させている。

「今では男踏歌は実際には無いのが残念ね…… 物語の様に、素晴らしい公達が良い声で回ってくることがあればどれだけ素晴らしいか」

 男踏歌は長い歴史があるが、天暦九年に中止された。近年、冷泉帝の時代に少しだけ復活したが、花山帝の短い治世の辺りでまた無くなってしまった。

「これを出してくるというのはやはり香さまの願望でしょうか? 見てみたい、という」

「それもあるかもしれないけれど…… 『これは現在ではない』『昔の話』というのを印象づけたいのかもしれないわね」

 香は彼女なりに、左大臣がこの物語に寄せる視線というものを気にしているのかもしれない、と梛は思う。そもそも「桐壺」冒頭に「女御更衣が沢山帝の近くに侍っていらした頃」と断っていることにも通じる。

 しかしその一方で、その類のことは全く考えていないかも、と感じることもある。

「香さまは何処まで『源氏の物語』の力を信じておられるのでしょう? 何を書いても大丈夫だと考えていらっしゃるのでしょうか?」

 松野は不安気な顔で問いかける。

「和歌のこともあるし…… もしかしたら、物語についても一家言あるかもしれないわね」

 続く「胡蝶」は六条院東南の「春の御殿」での宴。

 これを書いていたからこそ、余計に香は東三条第の花宴を見るべく出仕したのかもしれない、と梛は思う。自分が思い描いた宴と、現実のそれとは果たしてどう違うのか。自分の想像力が上か、現実には勝てないのか、それを比べるべく。

 そしてついに「求婚話」が本格的に始まった。

 玉鬘の君に言い寄る公達は様々である。

 まずは内大臣―― 元の頭中将の息子達二人。彼等は母は違えど実の姉とも知らずに恋い慕い、文も送っている。そして逆に血はつながっていないはずの源氏の若君は「姉」として彼女と直に口を聞いたりもする。

 次に兵部卿宮。源氏の弟宮である。源氏自身、彼とは仲の良いきょうだいであり、また風流人として認めてもいるので、玉鬘に返事をする様に勧めている。

 そして右大将。「実直でものものしい」とされている人までも参加している。

 源氏はこの宮と右大将には返事を勧め、あとは自分の判断で、と玉鬘の君には教えている。

 しかしまたここで源氏の好き心も次第に現れてくる。道に外れたと判っていてもそうせずにはいられない。

「だけどここで玉鬘がちゃんと困る困る、と態度に出しているのは良いと思うわ。これでそのまま源氏に流されるのじゃ嫌な感じよ」

「え、玉鬘の君は源氏の女君にはならないのですか?」

 松野は問いかける。

「どうでしょ。でも『梅枝』『藤裏葉』に繋げようと思うなら、源氏の妻の一人になってはいけないと思うのよ」

「と、言いますと」

「ほら、空蝉も末摘花も、源氏の晴れがましい場面には出す必要の無いひとだから、それぞれの物語を持って出しても構わないと思うの。だけど、これだけ大々的に出した、なおかつ実は内大臣の娘である姫君が妻の一人になったのでは、やっぱり矛盾が出てくるわ」

「そうですね。それにそんなことになったら紫の上が幸せであるとは思えませんもの」

 そうそう、と梛は大きくうなづく。

「紫の上が一番幸せであるべき、と思っているんでしょうね、香さんは」

 「形代の姫君」は幸せになりました。たとえ形代であろうとも。

 その発想から物語が生まれているとすれば、紫の上は幸せでなくてはならない。阻害する様な女君は現れてはいけない、はずなのだ。

 今までの話の中でも、唯一不安を呼び起こした朝顔の姫君は源氏を突っぱねて終わったではないか。

 ふとそこで梛は一つのことを思いつく。

「……紫の上が、不幸になる様な相手で、源氏がどうしても妻にしなくてはならない状況って、どういうものだと思う?」

「え? どうしても、ですか?」

 松野は軽く考え込む。

「立場から言ったら、朝顔の姫君と同じかそれ以上ですわね。高貴な出自と大きな後ろ盾がある姫君…… でも源氏は紫の上を最高の女性と思っている訳でしょう? もう藤壺の…… 薄雲の女院は亡くなったのだし」

「そこよ」

 梛は指を突きつける。

「元々紫の上は薄雲の女院の形代だった訳よ。無論源氏は紫の上には満足しているわ。でも、女院の様に高貴なひとを恋い慕う、という存在ではないでしょ?」

「それは、紫の上があまりにも手軽すぎる、ということですか?」

「勝手なものだとは思うけど、紫の上は源氏が自分の好き勝手にできる形代、なのよ。だけど好き勝手にできない形代も欲しい、と今更の様に思ってしまったらどうかしら」

 嫌だ嫌だ、と言う様に松野は手を振る。

「考えすぎですよ梛さま。それにもう『源氏の物語』は『藤裏葉』でめでたしめでたし、となっているじゃないですか」

 それもそうよね、とつぶやきながら、梛はなかなかその疑念から逃れられずにいた。

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