春は様々な行事がある。
寛弘三年。この年も三月には何かと催しがあった。花山院では鶏合もあったという。
東三条第では三月の四日に花宴があり、ここでは中宮も出席していた。年末年始に少しだけ顔を見せただけの香もこの日には、と再出仕をしていた。
何せ為時も出席を命じられているのだ。それは実に晴れがましい。人々との交流を苦手な彼女も、父の晴れ姿は是非見ておきたいと思った様である。
そしてこの日、仮内裏が東三条院から一条院へと移ることとなる。香の職場はしばらくそこになる。
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「里に居る間に、同僚の女房の方々からもお文をいただきました。
私も時々歌をつけて返しました。その時に『春になって私の憂鬱が消えたなら宮中に戻ります』という意味の歌を書きましたら、こうお返しがありました。
『暖かな風に凍っていた水も溶けないことがあって? 中宮さまはとてもお優しく私達を思ってくださいます。あなたの凍り付いた心もきっと溶けることでしょう。また姿を見せてくださいな』
と。私嫌われたかしら、と思っていたから嬉しかったです。
その後、正月の十日頃には『春の歌を献上せよ』との命がありましたので、家で詠んで送りました。めでたい春の歌にしては少々暗い歌だったかな、とは思うのですが、その時は実際そういう気分だったのだから仕方がありません。見たものは面白かったにしても、人前に出たことを思い出すと気が重くて重くて……
それに二月の初めにはまた地震がありましたでしょう? それでまたしばらく外に出る気にもなれなくて。
それでほんの最近ですが、宮の弁という方からも参内の時期を問われました。その時には長雨を口実に『まだまだ』と御返事をしたのですが、さすがにそろそろ出なくてはならないかな、と。
正直、人前に出るのはとても嫌です。でも宮の弁は花宴のことを『これは見なくては損です』とばかりに書いてきましたので……」
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見なくては損。
成る程、と梛は思う。やはり何より「見たい聞きたい」が先に立つらしい。
ちなみにこの二ヶ月ほどの間に「全部で十巻ほどになる」と言った話だが、今度の進み具合は早かった。昨年のうちにずいぶんと筋立てを組み立てていたのは大きかったらしい。あっという間に「玉鬘」「初音」「胡蝶」という三巻を書き上げた。
「確かに前々から書きたいと言っていたことがとても読みやすくなって書かれているわ……」
梛は感心した。
「姫君の数奇な生い立ちはわくわくしますね。『蓬生』の時も思いましたけど、源氏が居ようが居まいが生きている一人の女性の一つの物語として楽しいですわ」
そう確かに「玉鬘」の途中までは「蓬生」の時同様、源氏の姿は出て来ない。そして「夕顔」の巻で登場した女房を出してきて、源氏とのつなぎとする。登場の仕方が不自然ではない。
「養女にするのね。それで六条院は南の町は紫の上と明石の姫君で一杯、だから丑寅の町…… ああ、花散里の君が住んでいるところね」
「あ、そうですね。こうあります。『中将をお預け申し上げましたが、不都合ありませんね』と源氏が言ってます。あら、じゃあ若君、『少女』では最終的に侍従の君になってますね。中将に昇進してますわ」
「それなりに年月は経っているということね。それにしてもこの『玉鬘』の最後の辺り、何となく香さんの考えがそのまま出ているわね」
「和歌の方ですか? それとも」
「衣装もね。お正月の衣装の支度から紫の上がそれぞれの女君の器量を推し量る辺り、きっと東三条第に行ったことで思いついたのじゃないかしら。……あら、空蝉の尼君にも届けているけど、源氏は引き取ったのかしら。東院というと、二条院? ……でしょうね。もともと持っていたのは二条院なのだから、その近くだったら」
成る程、と松野はうなづいた。
「和歌の辺りは如何ですか?」
「そこで末摘花を使う辺りが残酷ね。もっとも一応礼は尽くしているのよね。『筆跡が古風』とか『とても香ばしい陸奥紙の少し古くなって厚く黄ばんでいる』とか……」
陸奥紙の古く黄ばむ程丈夫な厚いもの、といったら古いとはいえ、確かに上等なものには違いないのである。
そして歌の詠み方。おそらく香も、為時からもずいぶん教わったのだろう。
「常陸の親王がお書き残しになった和歌の規則がびっしり書かれているという紙屋紙の草子、はお父上辺りが書かれたものでもあったのじゃないかしら。そしてそれで教わったとか……」
そして源氏が「面白がっている」辺り。それはおそらくは香自身ではないだろうか。
こんなことも想像できる。
その昔、父によってそんな「規則」をびっしり叩き込まれた自分。結果、例えば和泉式部の様に、自由奔放に歌を詠むことができなくなった自分……
香は源氏を通して自分の考えを率直に出そうとしている―― そう梛は感じだしていた。