「……さて」
とん、と梛はまとめて清書した草稿を揃える。
「これで全部でございますか? 梛さま」
「まだまだ」
「これだけあって、ですか?」
「うーん」
困った様に梛は笑った。
「物語の様にここで終わり、という区切りがあればいいんだけどね」
「確かにそうですね…… でも好きなものづくしくらいはまとまったんではないですか?」
「そう、だから今ここにあるのはそういうもの」
そして文机の傍らには別の山がある。
「そちらは」
ぽん、と梛はその上に手を乗せる。
「こっちはね、定子皇后さまの所で色々あった出来事」
「そちらはまだまとまらないのですか?」
「まとまるまとまらない、というよりは、どれだけ書こうか書くまいか、というところね」
それに、と梛は思う。こちらはまだ出すべきではない、と。
自分が書いているものは中関白家の栄華の時代を切り取ったものである。それは現在の実権を握っている左大臣家にとっては決して面白いものではないだろう。その文章に描かれている場面が美しければ美しい程。
寛弘元年。
この年の二月、東宮の尚侍の藤原綏子が亡くなった。
兼家の娘である彼女は当初期待されたものだが、父の死、後ろ盾の少なさ、東宮の好み、――そして近年、式部卿宮の息子である源頼定が通っているという噂もあり、めっきり東宮の訪れも無くなっていたという。
「高貴な御方が時流に乗れなくなった時というのは、私どもの様な下々の者より面倒ですわね」
松野はやや呆れた口調で言った。
「私どもなら、男に見限られた、見限ったとなれば、また新しい男を捜すなり、仕える先を探すなど、さっさとできますが、高貴な方々はそう簡単に行きませんのね」
「松野お前、男が居たの?」
「居た時もあります、居ない時もあります。梛さまが気付かなかっただけですよ」
くす、と松野は笑い、梛は軽く悔しそうな顔になった。
「お前全然私に言わなかったじゃないの」
「特に言う必要があるとは思わなかったからです」
「結婚とか考えなかったの?」
乳母子である松野は梛同様、既に三十も後半に差し掛かっていた。しかし考えてみればその類の話を聞いていない。自分が色々ありすぎたから、と言ってしまえばそれまでだが、気が付かないにも程がある。
「考えなかった訳ではないですけど」 松野は軽く目を伏せる。幾つかの自分の過去を思い返している様にも梛には見えた。
「大概私に言い寄せて来る男達は『一番』の女が居たのですよ。通うにしろ住まわせているにしろ」
そんな沢山、とあらためて梛は驚く。
しかし考えてみれば、松野は自分の使いとしてあちこちに良く動いてもらっていた。それだけに人と出会う機会も沢山あった。当然のことながら、自分よりずっと多く。
「梛さまではないのですが、私も一番ではないと嫌なんです」
ああ、と梛は納得した。かつて自分は最初の夫橘則光に対し、そう言ったことがある。松野にも当時、別れた理由はそう説明したかもしれない。
「それが全ての理由ではないのですが、男と梛さまを天秤にかけたなら、梛さまが重かった。それだけです」
「お前ったら」
梛は苦笑した。