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第16話 欲しいのは、揺るぎ無い何か

「仕方がないとは思いますよ。原因は彼女側にある。結局為時どのは、彼女に対し、上手く接することができない。今でもそうです。夢見がちな娘に近付く男が居たとしても、娘の気持ちを聞きたくない。だからそういう話があったということすら握りつぶしてしまう。娘は人並みにそういう話があってもいいのにどうして自分は、とじわじわと劣等感に苛まれる。父君はそれには目をつぶる。自分の側から離したくないという気持ちにも目をつぶる」

「……それは、ひどくないですか?」

「ひどいですね」

 彼は大きくうなづく。

「でも為時どのにとっては、彼女を思ってのことだ。彼にとっては、正しいのです。でも彼女に直接それを言ったりはしない。そしてまた、彼女が学問を深めようとすることを黙認している。時々つぶやく。どうして男じゃなかったのか。そうすればこんな物思いをすることもなかったのに。出世もできただろうに。宮仕えにもやってみたが、どうにも性に合わなかったらしい。一体自分にどうしろというのか、どうしてこの様な物思いをさせるのか、この娘が男だったなら、下のいまいち出来の良くないふらふらした弟をも上手く率いてくれるだろうに、愚痴愚痴愚痴愚痴……」

「……私の父は!」

 思わず梛は彼の言葉を遮り、そう切り出していた。

「私に漢文を教えてくれました。楽しそうに。お前は可愛い子だと言ってくれました。出来のいい子だ、将来いいお婿さんが来るぞ、と言ってくれました。可愛がってくれました。歌詠みだったくせに、私に求婚した男が歌を詠めないことを面白がってました」

 父が当時、橘の家に多少なりとも世話になっていることは後で知った。だがそれはそれだ。梛に対してどう対したのか。それが最大の問題なのだ。

「歌詠みの清原元輔なのに」

「そこがあなたの父上と、為時どのの違いでししょうね。元輔どのは、だからこそ皆から愛された。友人も多かった。性格です。ですが、為時どのはそうではない。彼は気位が高い。そして『かくあるべし』というものを強く心に置きすぎているのです」

「かくあるべし」

 梛は思わず繰り返す。それは時々、香の文の中にも伺えるものだった。

「『かくあるべし』と思う息子。娘。自分の姿。そうでないことに苛立ち、何気なく、聞いている者の気持ちを推し量ることもなく、口にしてしまう。ですが」

 彼は目を伏せ、首を大きく横に振る。

「それでは宮廷人としては駄目です」

 言い切る。

「正直、現在の越前国。あの場所で彼は果たして大丈夫か、と思わないでもないのです」

「宮中ではございませんのに」

「今回の人事は、道長どのの口利きがあったと聞きます」

「ええ」

 それは経房からも聞いている。

「お上にこれこれこういう詩を書いた者が居る、と。詩は大したことが無いとか」

「さあ、その辺りは私は詩はあまり得意ではないので、判断できません」

 宣孝は軽く流す。

「私としては、為時どのが外つ国との通詞としての才能を少しでも生かせたら、と思っていたのですが……」

 言葉を濁す。

「正直、それも期待できないのですよ」

「何故ですか。それこそ彼の本領ではないのですか」

「言葉を知っている、と言葉でやりとりする、ということは違うのですよ、少納言どの」

 それはあなたが一番良くご存知ではないですか、と彼は付け加えた。

「名高い中宮さまのもとの清少納言どの、こう言っては失礼ですが、あなたより藤式部のほうが漢文の素養は確実にあるでしょう。読んでいる文章量が違うのです。ですが」

「ですが?」

 梛はややむっとした表情になる。

「彼女はあなたの様に咄嗟にはその知識を使えない。持ち腐れに成りかねない」

「そうですか?」

「為時どのがそうであるように、彼女は物事を深く考えすぎる。宮中の会話で求められるのは、打って響くような才気ですよ。相手はこう考えている。だからその返答はこう求められている。こう返そう。この流れが一瞬のうちにできるか、で場の雰囲気一つが大きく変わってしまいます。あなたはそれが無意識に上手くできる」

「あなたこそお上手ですわ」

「いえいえ。世間でも清少納言はそういうひとだ、とこれだけ噂されるのは、それだけのものがあるからでしょう。しかしあのひとにはそれができない。絶対に出来ない」

 宣孝は言い切った。

「まず何と言っても、自分のことで手一杯で、人がどう思うかを考えることができない。その場の空気が読めない」

 思い当たりすぎる、と梛は感じた。

「もっとも、物語を書くには、非常に合っている性格だと思います。大学寮に長くいて、出世も殆ど出来ない知り合いが、そういう性格です。彼はこっそり物語を書きました。それはとても長くて、人々の手に次々に渡りました。しかし彼は自分の正体を明かすことは好みません。評判を遠くで聞いているほうがいいということです」

「それはまさか」

「さぁて。どの物語かは知りませんがね。でも彼はそれを書き通す中で、次第に明るく自信をつけていったことは確かです。相変わらず貧しい学者見習いではあるのですが、それでもいい、と開き直ったと聞いています」

 ひょい、と彼はかわした。そしてふっ、と目を伏せた。

「少納言の君、私はあの子の物語を書く才能を伸ばしてあげたいのですよ」

「才能を」

「はい。だから求婚しています」

「……つながりません」

「つながりませんか?」

「……彼女は兼雅は嫌いですよ」

 ああ、と彼は笑った。兼雅。「うつほ」の中の色好み。

「確かに彼女ならそう言うでしょうな」

「どうするおつもりですか」

「大したことではありません。皆それぞれに折り合いはつけています」

「折り合い」

「そのあたりはご容赦を」

 まあそこまで聞くのは野暮というものだろう。「うつほ」の兼雅がどういう男で、何故彼女がこの男を嫌いなのか、判っているならいい。

「彼女は私を最初の恋人にする。私は彼女を最後の愛人にする。そのあたりで上手くいくようにできるかどうかは、今後の私の腕の見せ所ですね」

 何て自信のある男だ、と梛は多少呆れた。だが香にはこのくらいのほうがいいのかもしれない、とも思った。

 結局、香が欲しいのは、揺るぎ無い何かなのだろう。梛はそう自分の中で結論づけた。

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