日奈が入部して一週間、すっかり日奈は文芸部に馴染んでいた。
馴染めるかどうか心配していたのが嘘かのようだ。
「日奈そろそろ仕事の時間じゃなかったっけ?そろそろ五時だよ」
「うわ!ホントだ忘れた。ありがとね」
日奈は勢いよく飛びあがり、机の上に置いてあるカバンを掴みとって走りながら部室から出ていった。
「光のようなスピードだねぇ」
由美先輩はドアを閉めるのすらすっかり忘れて走り去っていった日奈の背中を見つめながら少し笑った。
「もう五時だし、そろそろ帰ろっか」
由美先輩は机にかけていたカバンに本を入れながらそう言った。
「え?でも部活終わる時間まで後三十分ありますよ?」
文芸部の活動終了時間は五時半である。
「まぁたまには早く終わってもいいんじゃないかなぁ。それに私もちょっとこの後予定あるしね」
「まぁ、そういうなら」
俺は考え事をしながら由美先輩に続いて帰り支度を始める。
考え事とは、由美先輩が予定があると嘘をついていたことである。
まぁ由美先輩も人だし、嘘ついて隠したいことの一つや二つあるだろう。
全然悪いことじゃない。ただ少し気になっただけだ。
「じゃあ美咲さんと健吾君戸締りよろしくねぇ」
「はい」
「分かりました」
そう言って由美先輩はドアから出ていったかと思うと、ひょこっと顔だけドアから出した。
「それと健吾君」
「はい」
俺は由美先輩に顔を向ける。由美先輩の顔はニヤニヤと笑っていた。
ビシッと指を差される。
「三十分も上げたんだから、帰り頑張るんだよ」
「帰り?」
「うん帰り。じゃあねぇ」
手を振りながら、由美先輩は去っていった。
帰りとは一体どういうことだろうか。
===
今日の鍵番は俺と美咲さんなので一緒に戸締り作業をする。
「こっち終わったよー」
「こっちも終わったよ」
俺は美咲さんの持っていた鍵を回収し、職員室に鍵を返しに行く。
「失礼しましたー」
俺は頭を下げながら職員室のドアを閉める。
「ありがとね。返しに行ってくれて」
後ろを振り向くと、美咲さんが俺の帰りを待っていてくれた。
「ごめんちょっと遅れちゃって。田中先生に掴まってた」
「いいよいいよ全然待ってないし」
「それ待ち合わせの時に使うやつだから」
ふふっと美咲さんが笑う。
「じゃ、帰ろっか」
===
俺たちは二人で同じ帰路につく。
こうして一緒の鍵番の時は、一緒に帰るのが習慣となっていた。
駅までの、もうすでに見慣れてまった光景を視界に捉えながら歩き続ける。
歩くスピードはいつもより心なしか遅い。
「健吾君って日奈ちゃんのこと呼び捨てだよね」
「うん、まぁ呼び捨てで良いって言われたからね」
「私も呼び捨てで良いよ?」
美咲さんは首を傾げながら、上目遣いでこちらを見つめる。
つまりそれは、呼び捨てで読んで欲しいということなのだろうか。
それとも、それは考えすぎなのだろうか。眼鏡の奥の瞳の真意は分からない。
「美咲さん」
「呼び捨ての方が嬉しいなぁ」
美咲さんが上目遣いでこちらを見続ける。
やばい、今日の美咲さんは何か違う。
「み、美咲」
「ふふっ」
美咲さんは嬉しそうに口を押えて笑った。
これで良かったのだろうか。
===
「あ、そういえば美咲さ...美咲さん」
「ん?どうしたの?」
俺は帰るときに由美先輩に言われたことを思い出す。
帰り頑張るんだよという言葉だ。
由美先輩の意思を無駄にしないためにも、俺は勇気を出す。
「お腹空かない?」
「う~~ん。まぁちょっと空いてるかも」
「じゃあさ、どっか寄ってかない?」
俺は勇気を出して誘う。
好きな人を寄り道に誘うのはこれほど勇気がいるものなのか。
「うん、いいよ」
俺が勇気を出すために時間をかけた誘いとは正反対に、美咲さんからの返事はすぐに返ってきた。
「ここの近くにクレープ屋が出来たの知ってる?」
「あ、うん知ってる。クラスの子が話してた。超美味しいって」
「俺もクラスの人が話してるの聞いてさ。行きたいなって思って」
まぁ隣で話してるのを盗み聞いただけだけどな!
俺にクラスの友達など居ない。
「え!?健吾君も気になってたの?実は私も気になってたんだあそこの店」
「ほんと?じゃあ行こうよ」
「いいよ」
俺たちはいつも左に曲がる交差点を右に曲がり、目的のクレープ屋に向けて歩き出した。
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「うわぁ、凄い並んでるね」
「そうだね」
俺の前にはざっと数えても十人は店の前に並んでいた。
その大半が高校生だ。俺の高校の生徒もいれば他校の生徒もいる。
「どうする?他の所にする?」
「私は全然どこでも大丈夫だよ」
「俺は一回ここのクレープ食べてみたいかな」
「じゃあ並ぼっか」
「そうしよっか」
俺たちは列の最後尾に並び始めた。
俺たちが並んですぐに、また一組後ろに並び始める。
ここのクレープを食べたいとは言ってはみたが、それにしても....
「長い...」
俺たちはかれこれニ十分以上並んでいる。
前に居た列はほとんど消え、今となっては外に並んでいる列では俺たちが先頭だ。
俺の頭は美咲さんが退屈してないかが不安で仕方なかった。
「最近晴れの日多いね」
「確かに、何でだろうね」
必死に振り絞った会話の話題も、五秒で終わってしまう。
たまに帰るときは結構会話が続いていたが、こんなに長くいるとこんなにも無言の時間が続いてしまうのか。
無言の時間が、妙に気まずい。
「次のお客様どうぞ~」
黒の制服を着た定員さんが俺たちを呼ぶ。
俺にはその人が天使のように見えた。
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木目調の壁、屋根にぶら下がっているシャンデリア。店内はお洒落な雰囲気を醸し出していた。
俺たちは角にある席に案内される。
「おゆっくりどうぞ~」
おしぼりと水を置いて店員さんが去っていく。
「ねぇねぇ、美咲は何食べたい?」
俺は美咲さんに見えるようにメニューを開く。
「う~ん、イチゴ...いやマンゴーも捨てがたいかも。健吾君はどうするの?」
「俺はマンゴーにしようかな。マンゴー好きだし」
「じゃあ私イチゴにしよっと」
テーブルに備え付けられていたタブレットで注文する。
ちらっと美咲さんを見てみると、まだメニューを輝いた目で見つめていた。
どんな人も癒せそうな笑顔だ。
そんな表情が可愛くて、つい見つめてしまう。
「ん?どうしたの?」
俺の視線に気付いたのか、不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
「いや、可愛いなって思って」
ほどなくして、流石に大胆過ぎたかと考える。
イケメンが言うならまだしも、俺が言ったってときめくはずもない。
ワンチャン通報とかされてしまうのだろうか。
ちらっと美咲さんを見てみるが、美咲さんは俯いたまま何も言わない。
気まずい時間が俺たちの間に流れる。
「お待たせしました~」
店員さんがそんな気まずい時間を壊してくれる。
「こちらがイチゴで、こちらがマンゴーになります」
俺たちの前にクレープを置いて去っていった。
俯いていて表情が見えなかった美咲さんの表情は、今はらんらんと輝いてる。
「おいしそー」
「うん、すっごく美味しそう。いただきます」
早速一口、美咲さんはクレープにかぶりつく。
「あっまぁ、おいしぃ」
頬を手で押さえ、限りない笑顔でクレープを食べ始める。
「いただきまーす」
俺もクレープにかぶりつく。
頬がとろけるという比喩表現が嘘ではないといえるぐらいの美味しさである。
「マンゴー美味しい?」
「ちょー美味いよ」
「じゃあさ、私のイチゴと一口ずつ交換しない?」
それは、もしかして間接キスというものだろうか。
口にあるクレープを嚙みながら、こくこくと頷く。
「食べていい?」
そう言われ、俺はクレープを美咲さんに差し出す。
美咲さんは勢いよく、俺の食べている途中のクレープにかぶりついた。
「うわ、マンゴーも超美味しい」
美咲さんは口を抑えながら、感動の声を洩らす。
「はいどーぞ」
俺の前には、美咲さんが食べているクレープが差し出される。
ここで間接キスを気にしているのは俺だけなのだろうか。
美咲さんの方をちらっと見るが、全然気にしている素振りはない。
俺は意を決して一口かぶりついた。
あぁ、俺の初めてのファースト間接キスは今、取られてしまった。
「どう?美味しい?」
「むっひゃおいひい」
「ふふ、なら良かった」
美咲さんは俺が食べた後など気にする素振りなど見せず、勢いよく食べ進めて完食してしまった。
その顔はもう少し物足りなさそうな、そして満足そうな表情に満ちている。
「もう一口食べる?」
「え!?いいの?」
「うん」
「じゃあお言葉に甘えて」
美咲さんはまたしても勢いよくかぶりついた。
「ひょーおいひい」
美咲さんはとびっきりの笑顔を俺に見せる。普段結構おとなしい美咲さんからはなかなか見れない表情だ。
美咲さんのこんなにも笑顔な姿が見れて、俺は満足だった
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ピンクのカーテンに、木の机にピンクのクッションの椅子。本棚にはお気に入りの小説と漫画が大量に詰まっている。クローゼットには制服のブレザーとスカートがかけられている。
そんな何もないいつもの光景を見ながら、私はいつも使っている抱き枕をいつもよりぎゅっと強く抱きしめる。
「はぁ、なんであんな攻めたこと言っちゃったんだろ。絶対引かれたよね」
抱き枕に向けてため息を吐く。思い返すのは、今日の帰り道に健吾君に私が言った言葉だ。
「呼び捨ての方が嬉しいな」
そう言い、上目遣いで健吾君を見つめる私を想像する。
「ああぁぁぁぁーー!!!」
無性に恥ずかしくなる。バンバンと寝ころびながらベッドを足で叩く。
抱き枕に顔を埋めた。
「しかもさりげなく間接キスもしちゃったし」
それを思い出し、バンバンと抱き枕をベッドに叩きつけてしまう。
「しかも健吾君私に可愛いって...」
顔が熱くなるのを感じる。
あれは本心で言ってくれたのだろうか。
頭に健吾君の顔が思い浮かぶ。
今夜は良い夢が見れそうだ。