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第8話その1 勧学院の万年堅物勤勉学生・藤英のここぞと張った出世譚

 仲忠の文は頻繁に涼の元に届いていた。

「左大将どの屋敷で七夕祭が行われました。相変わらずの派手っぷりが楽しかったです。

 七日の朝早くから、それぞれ八人づつ、美しく装束した童が歩いてきました。

 西の大殿の仁寿殿の女御からは、青色の表着うわぎに蘇芳がさねの汗衫かざみ、綾織の表の袴、一重襲の綾の掻練かいねりの袙、単衣。

 中の大殿からは二藍ふたあい襲の汗衫、赤色の表着。北の大宮さまの元からは、綾にかとりを重ねた女郎花おみなえし色の汗衫、薄物の表着。

 総勢二十四人の美しい童が一斉に、庭の松の下から虹のように色々の糸を掛け渡すのです。

 次に簀子の内側の廂に御簾を懸けて、その外に棹を渡し、ありったけの色々の御衣や、解きほぐした御衣を懸けていました。

 その衣の懸かった衣桁いこうを並べ、色合いも品のよしあしも選りすぐった美しい家具類を揃え、丈の同じかづらをあちこちに飾っていました。

 衣に焚きしめた様々の香が、秋の風にふんわりと一杯に広がっていました」

 それはまた、美しい光景だったろうな、と涼は思う。

 自分のところでもその位のことは出来るが、見せるに相応しい相手が居るのと居ないのでは、気合いというものが違うものだ。

「ところで左大将どのは、源氏ではあるのですが、外戚藤氏でもありますので、大学の勧学院別当も務められています」

 ほぉ、と涼は初耳のことに片眉を上げた。

「その勧学院でその日、ちょっとした騒ぎが起きました」

 ふむふむ、と彼は興味をそそられる。

「元々その日には、帝が詩作を聞こし召すということで、博士や文人達八十人が仁寿殿に参内する予定だったのに、朝廷の都合でにわかに取りやめになったのです。

 彼らは非常に残念がりました。当然と言えば当然でしょう。彼らの晴れの舞台です。

 そして『もしかしたらここで運が向いて来るかもしれない』という場でもありますからね。ですからそんな突然取り止めなんてとんでもないことなのです。彼らにとっては死活問題です。

 そこで別当である左大将どのの三条殿へ皆で歩いて訴えに行こう、ということになりました。勧学院からは、大学より三条殿の方が近かったのです。

 その中に一人の学生が居ました。名は藤原季英ふじわらのすえふさ藤英とうえいと呼ばれています。

 この人がまた、実に個性的な方なのです。西の曹司に居る方なんですが、実に貧乏で!

 その貧乏も極まった様な状態ゆえ、彼は同じ院の皆から馬鹿にされています。そのせいでしょうか、雑色や厨女までまるで言うことを聞いてくれません。

 でも元々貧乏だったという訳ではないのです。両親も従者も一族も一度に亡くなってしまったのだと聞いています。

 後ろ盾の無い人というのは悲しいものですね。ちなみに彼は現在三十五です。

 彼よりずっと能無しの若い者がどんどん試験を受けて、良い地位について行くのを、ただ見ていることしかできなかったそうです。

 それでも彼は彼なりに野心がある様です。しかし周囲は「天下の左大将どのも、あれほどの才と容貌のある者は婿に取れまい」と言って笑うばかりなのです。ええ無論、そんなことできっこない、ってあざ笑ってるんですよ。全く。

 あ、ちなみに才と容貌は立派な様です。特に才の方は。

 勉学に励む様はもう涙流して語れない程です。

 夏は蛍を生絹すずしの袋に沢山入れて、文の上において夜も眠らずに本を読み、冬は冬で、丸めた雪を灯火の代わりにしたそうです。

 ……何処まで本当かは判らないですけどね。

 ただそのくらい、勉強熱心だということです。そして灯火の油を買うことも出来ない程貧窮しているということは確かです。

 その彼が、普段は学生達の抗議の行進に混じったりはしないのに、この時ばかりは『自分も行く』と立ち上がったそうです。何が彼を駆り立てたのでしょう。

 少し前に丹後守になった人に、珍しく祝いの席に招かれ、窮状に同情されたことで勇気が湧いてきたのかもしれません。

 とは言え、同情されたからと言って、彼の着物が増える訳ではありません。

 その時の格好ですが。

 まず古くなってちぎれた袍を、下襲の半臂はんぴも重ねずに、太織りのかたびらの上に着て…… 上の袴も下袴も無いのです。

 冠も、もとどりを入れる巾子こじだけ残っていたそうです。

 そして足には、粗末な、端の残った藁草履。

 そんな、顔色も良くない、痩せこけた身体の方が『私も今日の御歩みの尻に入れてもらいましょう』とこの日唐突に言い出したのです。

 周囲の博士や友達や、果てはそこで使われている者皆が思い切り笑ったそうです。

 彼らは藤英が行くことに反対しました。理由がまたふるっています。

『別当殿のお屋敷は帝の御殿に劣らないものだ。身に徳を積んだ人々が行くところだ。そんなところに学生の装束で参上したら、それこそ勧学院の不名誉だ。行くのは止めろ。見ていて情けない。院からも追放してしまったほうがいいかもしれない』 

 そう言って皆、彼を行かせまい行かせまいとしたそうです。

 しかし彼はこの時こそは、左大将どののもとへ行こうという決心を翻そうとはしなかったのです」 

 興味深く涼は続きに目を走らせた。

「するとやがて騒ぎを聞きつけた丹後守の忠遠ただとおがやってきて、『何故止まってしまったんですか? 私が来るのを待って下さったのですか?』と聞いたそうです。

 周囲は藤英が行こうとするから、と説明しました。

 すると丹後守はこう一気にまくし立てたそうです。

『どうして藤英が左大臣どのの所へ行こうとしたからと言って、この行進を止めなくちゃならないんですか! 

 藤英はあなた方と同じ勧学院の学生じゃないですか。

 衣装が古い? 実にそれは大学の学生らしいことじゃあないですか。

 勉学に必死でいそしみ、冠も縮まってしまったり、つるばみの袍が破れてぼろぼろになってしまったり、足袋も破れ、やせ衰えてしまう様な、漢才のある人こそを学生というのではないですか? 

 こういう人こそ、この行進に連なる資格があるというものです。

 良い家に生まれてもろくな才能も無くって、実家の権勢を頼りにして賄賂に充分お金を使い、ひそかに媚びへつらって、表向きは持てはやされて華やかな人なんて、とても学生とは言えないと私は思います』

 ちなみにこの人は普段は大人しい人だそうです。

 それで皆、驚いて何も言えなくなってしまったそうです。彼は藤英を立たせて、『あなたこそ真の大学の学生です』と勇気づけて行かせたそうです」

 なかなか気骨のある人だなあ、と涼は思った。

 ともかく藤英を最初に見た時から感動してしまったのだろう。このかつては勧学院の学生だった丹後守にとって、それはある種の理想だったに違いない。

「さて左大将どのですが。

 まああの方にしてみれば、単に予定の問題だったのですね。どちらでやろうと、学生の詩作など大した問題ではなかった訳です。

 しかし学生にとっては、自分が殿の目に止まるかどうかの場所ですから、その機会が失われることがもう一大事なんですよ。

 左大将どのからしてみたら『まあそっちからやってきてくれたんならちょうどいい』とばかりに、自分の館で詩作を行うことにしたのです。博士や学生達を釣殿に招き入れました。彼にとっては造作もないことです。

 上達部や皇子達、それに左大将家の子息達も一緒に同じ題で詩を作り始めました。

 式部丞が詩会の講師になって、それらの詩を声に出して読み、諸声に節をつけて皆が詠みました。

 さて藤英ですが。そこでまた講師の嫌がらせがあった訳です。

 見た目がどうあろうが、藤英の作った詩はもう文句無しに素晴らしいものな訳です。

 それは皆知っています。彼の詩を披露したら、もう上つ方の目に止まってしまうことは間違いない訳です。 

 ですので、講師は彼の詩をわざと読みませんでした。そのせいで学生達以外、誰も藤英がそこに居るということも知りませんでした。

 そうこうするうちに、左大将どのをはじめ、琴を弾く人は皆、その中でも素晴らしい詩に合わせて奏で始めました。

 夜が更けて行くうちに、琴の音も人の声も非常に素晴らしく豊かに高く響きわたりました。

 そこで藤英は、その雰囲気の中、自分の作った詩を自分で誦したのです。その声は朗々と響きわたり、高麗鈴こますずを振ったかの様でした。

 それを左大将どのが聞きつけて、

『今日の詩の中には無かったものの様だが』

と博士に聞きました。

 博士や文人達は、言いたく無いので、もごもごとやっていると、何やらじれったくなったのか、左大将どのご自身で問いかけました。

『学生達の中で、素晴らしい句を誦した者が居るようだが。何処の誰なのか。ここへ出てきなさい』

 藤英は驚きましたが答えました。

『勧学院の西の曹司の学生、藤原季英です』

『面白い学生だな。こちらへ来なさい』

 大勢の学生の中をかき分けて進んで行く藤英の姿はさすがに異様なものがありました。

 夜とは言え、左大将家の宴です。あちこちに用意された明かりで周囲は昼より明るいかと思われる程でした。その中で、彼の姿はやはり目立ち、見る者見る者皆堪えきれず、一度にどっと笑う声が起こりました。

 やがて静まった時、左大将どのが藤英に訊ねました。

『そなたは誰の子孫で誰を師としている?』

 藤英はここぞとばかりにその声を張り上げました。

『私は遣唐使だった藤原南陰ふじわらのなんかげの長男で、学問料をもらっている学生でございます。

 我が父、南陰の右大弁は、参議になりました時に、何処で恨みを買ったのか、兵に殺されました。

 父の兄弟はその災いを恐れてか、遠くへちりぢりに逃げてしまいました。

 残されたのは私一人。私だけが南陰の子孫でございます。

 七歳にて入学し、現在三十五才でございます。

 入学以来、死を覚悟で脇見もせずに勉学に励みました。

 昼間は本から目を離すことはありません。光の無い夜は夏は蛍を集めて袋に入れ、冬は雪を集めて読書に励みました。

 しかし現在の博士達は憐れむ心が薄いのでしょうか、貪欲なだけで、私の様な学生には目もくれません。この様にして二十余年になります』

 そしてその後、拳を握りしめ、何やら腹の底から煮えたぎるものを吐き出す様にして言ったそうです。

『武芸を専門にしたり、悪事を本業にしたり、熊狩り、鷹狩り、魚取りの上手な者が最近入学して、善悪の分別も付かない様な者でも、試験官に贈り物をすれば順序を待たずに抜擢する! 

 そんな中、私はただいたずらに自分を越えて行く彼らを眺めながら長い月日を過ごしてきたのです!』

 そう涙をだらだらと流しながら訴える様はさすがに皆の心を打った様です」

 涼は仲忠の微妙な言い回しに苦笑した。

「左大将どのは博士達に問いかけました。

『この学生が言うことはどういうことだ』

 博士達も答えました。さすがにそれはかなり彼らにとってはまずいことだったのでしょう。

『藤英は非常に優れた者であるのは確かです。しかし非常に落ち着かない性格でございますので、公にお仕えすることはなりません。彼が世間に出ましたら、公私共に様々な問題が起こる恐れが』

 藤英はそれを聞い思わず腰を上げかけたそうです。まあ性格を批判された訳ですからね。

 左大将どのは他の博士達にも訊ねました。皆自分の身可愛さに、同様とばかりにうなづくばかりでした。

 するとそこで例の丹後守が口を開いたのです。

『現在、この勧学院で性格がしっかりして才学の優れているのは藤英ただ一人です。

 他人に対して罪や過ちを犯すことは、彼に限って考えられないことです。

 皆、藤英の身にしっかりした後見が無いことを嫌がり、院内で仲間外れにしているのです。

 家が豊かであれば、頭の悪い学生達でも優遇しますが、藤英が孤独な日々に学問に疲れ、たまたま成績が悪く出てしまった時を見計らったかの様に、他の人の上への口添えをしたりするのです。

 それでも藤英は自分の道を変えることはありません。おかげで彼は現在、孤立無縁の状態です』

 左大将どのはそれを聞くと大きくうなづきました。

『大学の勧学院というところは、元来、高位高官の大臣や公卿を初めとして、氏の一族が封を分けたり、荘からの物を納めたり、賜る禄で維持するものだ』

 つまりは朝廷を仕切る人々が、自分達の氏の中で埋もれている人々の中から、優秀な官を養成しようというつもりで大学には出資しているということなのです。金持ちの馬鹿者に箔を付けるために作った場所ではない、と。ですから左大将どのはこうおっしゃった訳です。

『だとしたら、藤英は公に仕官すべきであろう。落ち着かない性格とそなた達は言うが、どれほどの者であろうと、それだけの年月、孤独と不安の中で戦ってきたなら仕方のないことだ。永年の思いが叶ったならば、気持ちも落ち着くことだろう』

 さすがに周囲の博士達も何も反論ができませんでした。左大将どのはそのまま藤英に、詩を誦させて、ご自分はそれに合わせて琴を弾かれました。それがまた、非常に素晴らしかったそうです。その後、盃を藤英に渡し、

『―――色を変えない松の様な他の勧学院の学生を差し置いて、藤の枝…あなたを秋の山に植え替えたいものだ』

 と詠まれました。藤英は非常に恐縮しながらも、

『―――埋もれるものと覚悟してました私は、藤の蔓が土の上に這い出した様にお見立てにあずかって、今日は嬉しく感謝に堪えません』

 と返しました。

 左大将どのはまた、藤英の姿がさすがに哀れに思ったのでしょうか、民部丞の藤原元則が新しく美しい礼装に立派な石帯をしてきたのを見てこう命じました。

『この学生は今、誉れを得た美男子だ。お前しばらく平服になって、装束を彼に貸してやれ』

 元則は藤英を呼んで、人の居ないところで髪を直させ、髭を剃って服を着せ替えました。

 彼は藤英に親しげに言ったそうです。

『ああ全く、あんたは幸運だ。学問の道は無茶苦茶厳しいよな。俺なんかは途中で投げてしまったほうだ。

 凄いよ、あんたは。

 なぁどうだ。また暇ができたら俺のところにも来てやってくれ。歓迎するよ』

 彼が着せた装束は、藤英を笑った者達よりずっとずっと素晴らしいものだったそうです。

 まぁそんな訳で、この学生達の中で、一番左大将どのの覚えがめでたかったのは、藤英だった訳です。一大決心をして、この行進に参加したのは、彼にとっては大正解だった訳ですね。

 ただですね、涼さん。彼は何と言っても左大将どのに目をかけられた訳だし、その後出世していくとは思うのですが」

 はて、と含みを持たせた言い方に涼は期待をする。

「この藤英が、あて宮に恋してしまった様なんですよ」

 それはまた!

 様々な意味で涼は呆れてしまった。

 おそらくそれまで学問と周囲への意地やら誇りやらで一杯だった心に余裕が生じてしまったのだろう。

 三十五で独り身。これは辛いだろう。辛いと意識してしまった時には。

 あて宮の噂は何処からでも入ってくる。勧学院でも無論それは同様だろう。

 心の中にぽっと空いてしまったところに、とりあえず恋をしてみようとでも思ったのだろうか。

 涼は色々と推測する。

 仲忠はこう締めていた。

「とは言え、まだ文の一つも来た訳ではないのですよ」

 それでは一体、何処から彼はそんな情報を得たのだろう。涼は思わず頭を抱える。

 しかしそうなってくると、あて宮争奪戦も実に幅広いものになっているのだなあ、とも思う。

 さて例の姫君の「女房」はこのことについてどう思っているのか?

 涼は早速文の返しを書いて送った。

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