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第6話その2 持論振りかざす吝嗇家・三春高基

 宮内くないの君は実際困っていた。

 彼女が取り次ぎを頼まれている懸想人は三春高基みはるたかもとという。

 彼は、さる帝が低い身分の女に生ませて「三春」の姓を与えて臣下に降ろした者である。

 血筋としては悪くは無い。それこそ源氏の君の涼と同等だろう。

 彼は臣下の一人として、懸命に働いた。

 国守として、ある程度の財が貯まるまで結婚もしなかった。

 いや、それだけではない。何かの用に貴族らしく人を使うということすらしなかった。

 遠国にある時には、それでも何かと人は使ったが、その報酬は何も与えなかった。

 自分自身の食い扶持としては、三合の米を、大事にしまってあるところから出してきて食べていた。

 仕事は完璧にこなした。公のものは当然だが、私財を肥やす手際も非常に良かった。

 結果、一国を治めるごとに大きな倉が立った。六国を治め終わった頃には大層な富が貯まっていた。

 彼はその富を朝廷に分けて納めたことで、宰相兼左大弁の地位を手に入れた。その後、中納言兼大将にもなることができた。

 ……のだが。

 京に移り住む様になっても、その吝嗇ぶりは変わることが無かった。

 他国ならいざ知らず、都である。食べるものも着るものをやらないのでは、仕える人が居る訳がない。

 だが当人は一向に気にしない。

 例えば内裏に参上する時の車。

 車体が何の飾りも無い板づくりの、しかも輪が欠けている車に、痩せた貧弱な牝牛をかけて、牛飼にも小さな女童をつけるだけ。

 しかもそこには普通なら組緒をつけるべきところも、縄で済ませる始末。洒落た御簾みすではなく、伊予簾いよすだれの編糸がほつれて切れつつあるものを車体に掛けていた。

 そしてその中に乗る当人はと言えば。

 手作りの麻布――― 麻である! ―――を薄紫の袍や下襲、上袴にして身につけていた。

 それに大将である彼は、参内の際には決められた数の随身ずいしん舎人とねりを従えなくてはならない筈だった。

 だが彼は「そんなことすれば費用がかかる」とばかりに、童子に飾太刀の代わりに木の太刀を付けさせ、古い藁で作ったうつほに篠の葉を集めて挿させ、木の枝に細枝をすげて弓だと言って持たせた。

 さすがにそんな格好で参内する彼を見た者は、笑わずにはいられなかった。貴族だろうが庶民だろうが。

 だが彼はそれを続けた。

 自分が間違っているとは全く思っていなかった。

 その自信が彼を剛胆にさせた。どれだけ嘲笑を浴びようと、全く気にせずに平気で朝廷へ現れ、人々と交わった。

 実際彼は、政治に関しては実に才能があった。暴れる兵も獣も、高基の前には平伏したと言われていた。

 そんな訳で朝廷の方も、これだけ有能な者だと、見かけや挙動が可笑しかろうと見捨てられなかった。

 結果、彼は大臣にまでなった。

 しかし大臣にまでなると、さすがに独り身では困った。

 そこで彼も妻をもらうことにした。

 とは言え、吝嗇家の彼が求めたのが普通の妻である訳がない。

 彼はこう希望を述べた。

「費用の掛からない妻が欲しいなあ」

 そこで「徳町とくまち」という名の、絹倉の集っている市に住む富裕な商人の女を娶って北の方とした。

 さて。

 この妻はごくごく普通の常識を持った人間だったので、何かと彼の行いを見ては口を出した。

「いくら何でもこの車や装束はひどすぎです。

 それに、費用がかかるから人も使わなくてもいいとおっしゃりますが、あなたは大臣ですよ。

 既に幾人かの人が、ぜひ仕えたいと言って、あなたに名簿を送ってます。

 そこからでしたら、格別な報酬をあげなくともいいのでは? 

 それにこんな小さな女童だけだなんて、いくら何でも見苦しいです」

 ずけずけという妻に「成る程」と思った高基は言う通りにした。

 そんな風に彼も人を使う様になったのだが。

 ある日、徳町が市に出ていて居ない日に、侍所さぶらいどころから「酒の肴がありません」という訴えがあった。

 それを聞いた高基は正気を失う程に驚いた。そしてつぶやいた。

「ああ、こういうことがあるから、今まで人を使わずに来たのだ!

 新しい供人は十五人。漬豆を一莢宛出すとしても、十五になる。その豆を出さずに畑に蒔いて実をならせればずいぶんなものになるというのに! 

 豆だけじゃあない。むかごでもそうだ。

 雲雀の干し鳥だってそうだ。生かしておいて、他の鳥をおびきよせる囮に使えるものを!」

 ぶつぶつ言っているうちに徳町が帰ってきた。

「どうしたのですか」

 そう夫に問いかけると、彼は怒って言い返した。

「お前の言うことを聞いて、大勢の者を供人にしてしまったせいで、私は物の催促という奴を初めて受けてしまったじゃないか」

 それを聞いて徳町は「はあ」とため息をついた。

 何て人だ、情けないやら可哀想やら、何とも言えない気持ちが彼女の中にむくむくと湧きだしてきた。

「奴等は酒を買って、肴を頼んできた。それを聞いてもうわしは……」

 徳町はもう笑うしかなかった。はしたないとされる、爪弾きまでしてしまった。

「全く、これだけのことに何を呆然としてるんですか。あなたと違って低い身分の私だって、そんなこと思いもしないというのに!」

 そう言って徳町は納戸を開けて、果物や干物をすっかり出してしまった。

 それを見た高基はもう全身の力が抜けてしまったかの様になり、何も言うことができなかった。

 さてそんな吝嗇家の高基の住む家は、と言えば、七条大路の二町四方の屋敷であった。

 が、実際に彼が寝起きするのは三間四方の萱葺きの家である。

 その片方は建て付けが悪く、戸を開け閉てしようとすればがたがたと鳴る始末。

 また片方には蔀の代わりに何かを編んで垂らしたもの。

 萱屋かややの外には檜垣ひがきを巡らし、長屋が一つ。そこが侍や小舎人所となっている。

 そして何と言っても、畑である。これがまた、酒殿の窓際の方まで続いている。

 この屋敷では、上も下も皆、鍬を取って畑を作らなくてはならなかった。もっとも自身では鍬を取らなかったが。

 とある日、屋敷を見た人が彼に言った。

「いやこんなことはあり得ませんって。ここまで畑だなんてもう。悪いことは言いません。沢山倉もあるのですから、その一つを開いて、立派な屋敷をお作りなさい。世の中の人々も、あなたの吝嗇ぶりにはあきれ返ってますよ」

 すると高基は言い返した。

「は。それじゃああなたはあの左大将の所の様に、豪勢な家を作り、婿を沢山取り、彼らに尽くせとおっしゃるのか? 

 とんでもない。あ奴は確かに立派な大殿を建てたけど、それに相応しい奴か?

 物は何かと分け与えるのではなく、蓄えて、その金で市に出て商売する方が賢いじゃあないか。

 わしはこんな住まいをしているが、民を苦しめたことはないぞ。

 富を世間に回すこともない奴こそ、民を苦しめているじゃないか」

 と開き直る始末。

 さて、そんな彼がふとしたことで小さな病を得た。

 徳町は病気快癒の祈願をさせようとしたが、高基は費用がかかると言って、断固としてそれを許さなかった。

 食欲が出ず、橘を一つくらいしか口にできなかったが、それでも「うちの橘なんてもったいない。よその橘を一つくれ」と妻に頼む始末。

 さすがに呆れた徳町は、この家の橘をよその物と偽り、食べさせていた。

 ところがある日、五歳になる彼らの子供がひょんなことからそのことを高基に告げてしまった。

 だまされて、自分の家の物を食べていたことに、衰弱した高基はあまりのことにぼんやりとしてしまった。

 それを見た徳町は、憐れも呆れも一気に通り越してしまった。

 幸い病気は大したものではなかったので、命に別状もなく、高基は治った。

 だが徳町はさすがに愛想を尽かし、出ていった。

「ああもう。いくら身分が高くたって、これじゃあやっていられない。私が商売をして皆を養ってるようなものじゃないの。だったら分相応の夫を始めっから持つんだったわ」

 さて妻が居なくなった後も、それまでの様に仕えていた人々は何かとご機嫌伺いや、「肴がありません~」などと催促してきた。

 そこで高基は思った。こんな身分があるからいちいち人を使わなくてはならないのだ、と。

 そう思うと彼の行動は素早かった。

「才能もないつまらない自分が大臣の位にあるべきではありません。山賤を従えて田畑を作ろうと思います。つきましては、近畿以外の国を一つ頂けないでしょうか」

 朝廷は「それもそうだ」と聞き届け、彼は美濃の国をもらった。

 ところが、である。

 この高基が、あて宮の噂を聞いた途端、いきなりその生活を変えてしまったから、世の中というものは判らない。

 求婚するにあたって、ひどい噂が伝わってはたまらない、と四条に大きな家を買い、金にあかせて改装した。

 調度もできるだけ贅沢なものを選び、身分の高い人の娘を沢山使い、召使いだけでなく、自分自身も綾などの高価なものを着、錫の食卓や金の坏で食事をする様になった。

 準備万端、とばかりに彼はあて宮のもとに居る宮内の君に渡りをつけ、こう言った。

「そちらの姫君を北の方にお迎えしたいと思ってはいたのだが、憚って、今まで申し上げることもできず。今はこの様に妻もなく一人住まいなので、おそれ多いことだとは思うのだが、あて宮においで頂けないだろうか」

 「はあ」と宮内の君は何を突然と驚いた。彼女とて、高基の噂は知らない訳ではない。

「いや、身一つでいらしてくださればいい。官は返したものの、うちには物ばかりは沢山ある。時を得た上達部でも貧しいものでしょう」

 宮内の君は何と言っていいのやら、と思いつつも返す。

「ま、まあ、それは、うちのご主人の方にもお姫さまは沢山いっしゃることですし…… ですが、その…… 大人の生活としての、北の方になさる様な方はまだいらっしゃらない様で……」

「あて宮はそうではないと」

「あ、あの方は、ご両親の方も、お嫁に出そうという決心がなかなかおつきにならないご様子で……」

 ふーん、と高基は言うとじろりと宮内の君を見た。

 確かに吝嗇家で、自分の財のことで妻にも見捨てられた男だったが、一度決めたことに関しては強かった。その眼光に宮内の君はびく、と身体をふるわせた。

「で、でも、ええ、あなた様がお望みだということは、お伝えいたします。はい」

「それはそれは。それではあなたの厚意と感謝をまとめて返さねばならぬな」

 そう言って高基は、大きな衣箱に美しい絹や色々に使える真綿や蚕綿を入れて渡した。

「これは美濃の国のものでな。前々の国のものもたんと倉にはある」

 返事をして物までもらってしまった宮内の君は非常に困った。

 幾ら何でも主人方があて宮をこの人にやるとは全く思えなかったのだ。

 実際、その後正頼と大宮に一応話を出し、この先何かと贈り物などあるかもしれない、と言うと、二人は大笑いしたものだった。

 しかし高基は本気だった。

 宮内の君はもんもんと困った困ったと言いつつ、贈り物を受け取り、「伝えてくれたか」「文を頼む」「お返りは」とせっつかれても、どうしようもない自分に困り果ててしまうのである。

 高基は、他の懸想人達の様に歌を送りはしなかった。

 考えもしなかったのかもしれない。宮内の君に頻繁に贈り物の言付けを頼んでいくだけだった。

 正頼は「よくあることだ」と物は物として受け取っていたが、格別の返事も出すことはなかった。

 そんな正頼の様子にしびれを切らしたのか、高基はある日、宮内の君を文で呼び出した。

 行きたくはなかったが車まで用意されてしまったからには仕方がない。宮内の君は鬱々としながら出向いて行った。

 高基は早速訊ねた。

「最近、左大将一家はどんなご様子だ?」

 はあ、と宮内の君は一度気のない返事を吐く。

「格別変わったこともございません。先日御祓いをなさって、間もなく夏の御神楽をなさいました」

「何処でだ? 誰がそこにはやって来た?」

「西河の河原です。右大将さまの桂殿のそばでなさいました。集まった方々は、屋敷にお棲みになっている男君方、それに兵部卿宮さま、右大将さま、源宰相さま…… 殿上人はいつも通りでした」

「それはずいぶんと大がかりなものだったのだな。そういうことと知っていたなら、心ばかり酒の肴を用意してお伺いするのだった」

 来なくていい! と宮内の君は内心つぶやいた。

 と同時に、その様な心遣いを見せようとするなど、ずいぶんとこの方も変わられたものだ、と思った。

 だが。

「……大体、左大将はそういう風流者ばかりを集めて浪費をするから世間から謗りも受け、費用もかさむのだ。近衛府は物を横からさらい取る盗人の集まるところか? 左大将の衣を剥ぐ様にして取ったり、飯や酒を探してまで飲み食いするなんぞ」

 ああ変わっていない、と宮内の君はこの後に続くだろう言葉を想像するだけでうんざりする。

「それに左大将が迎えた婿というのは、皆風流者か馬鹿ばかりじゃないか」

「……」

「皆、生きて暮らすということがどういうことか判っているのか?

 音楽に長け、和歌も少しでも人から謗られまいとする。

 仮名を書き和歌を詠み、綺麗な女ならどんなことをしても探し求めて言い寄り、笑う人が居ても気にしない。

 私の様に田畑を作り、商いをし、そうやって働いて物を貯め、暮らしを立てている者を呆れて口を開けている様な者を、左大将はどうして婿にしなくてはならなかったのだ!」

 それは単に貴方様が常識外れなのです、と宮内の君は内心つぶやく。

 高基は続ける。

「娘に夫を持たせる親も、結局のところ、娘が独り住みでは貧しく頼るところもなくて、やがて親の迷惑になるからではないか。左大将のやることは、婿取りの本意に背くというものだ」

 さすがに宮内の君もそれには笑った。何を笑う、とじろりと高基はにらむ。

「端からご覧になったらそうかもしれませんが、婿君達は裕福で、勢力もおありです。沢山の宝物を散らす方法も無い程でいらっしゃる様です」

「宝物か」

 ふん、と高基は鼻を鳴らす。

「物というものは、そもそも家や倉に一杯になるほど積み重ね、取り出さずにおくのが頼もしいものだ。

 まあ左大将やその婿達が裕福と言っても、今の権勢のおこぼれをもらおうとする奴らから荘園の産物や贈り物であふれているということだろう。

 それにしたって、何かと物詣だの神楽だの、派手なことばかりして使ってばかりだ。

 今からでも遅くはない。そういう当てにならないことは止して、しっかりとした頼みになることをすればいいんだ」

 はあ、と宮内の君は生返事をする。

「現在の世間でその様な点で頼もしい婿と言えば、わしを除けば、滋野の宰相くらいだな」

滋野しげのの宰相ですか」

 類は友を呼ぶとは良く言ったものだ、と宮内の君は思う。

「お年は多少召してらっしゃるが、それでも七十は越えてはいないだろう。お心は円満で」

 そうか? と宮内の君は内心突っ込む。

 風の噂で、早合点で縛られて折檻された者が居ると聞いているのに。

「しっかりなさっていて、浪費はなさらず、貯蓄ということをきちんとよく心得て、難の無い方だ。

 この方か自分が、あて宮を妻にするにふさわしいというものだ。

 なのに、惜しいことに、評判のいい九の君に、例のように平凡な婿選びをしようとしているのだな。

 左大将夫婦に言ってくれ。娘は若いときに、貯蓄し生活に心得のある人について、やがて一家の主婦となり、家の中に欲しいものは何でもあるという様な人の所へ行くのが将来頼もしいのだと。

 子孫が衰える様では、大抵自分も貧乏になるのが関の山だと。

 浮ついた気持ちから宮仕えなどする人は、時も場所もわきまえず、亡き親の名誉を傷つけ、末々まで上手くいかないものだと」

 それはまた、あんまりだと宮内の君は思う。

「だからあて宮は、ここへお寄越しなさい。左大将に心配はかけない。子の代孫の代まで安心して暮らせる様にしてあげよう」

 宮内の君は一度ふう、と大きく息をつくと、言葉を切り出した。

「以前にも大宮様に、あなた様がそうおっしゃっていると申し上げました。ただ今そちらは北の方もいらっしゃらないし、どなた様でもお一人お上げ遊ばしたら、と……。すると大宮様は『本当に殿の北の方として差し上げるのは似合いだと思うが、さしあたってそのと年頃の娘が居ないのが残念です』と」

「またその様なことを!」

「それに東宮さまがあて宮さまを是非に、とお望みになるので……」

 すると高基はちっと爪弾きをし。

「運の無い方だ。その東宮をどういうお方だと思っておられるのか。

 今は右大将の息子の仲忠とか言う者をずいぶんとお気に入りにされて、昼も夜も召しているそうではないか。

 仲忠は東宮に参内して何をしているというのだ。

 親からもらった美しい着物をまとい、見栄えばかり良くても、将来の頼みにはならない奴だ。一緒に居れば東宮までそう言われてしまうだろうよ。

 大体この仲忠とか言う奴が、東宮に悪知恵をつけたのだ。

 仲忠はまだ何も判らない浅はかな者だ。格好ばかり一人前で、従者を召し使っていようが、その見栄えが良かろうが、それが何だという。

 家の内に財宝がないからと言って、器量を倉に積むか?」

 宮内の君はそれには答えない。

「まあ、左大将があて宮を心配するのも、親子の宿世だ。たとえ国王や東宮に奉ったとしても、それは必ずしも幸せじゃない。真の幸せがあるのなら私の所へいらっしゃるだろう。だから宮内よ、よくよく申し上げてくれ」

 そう言って高基は、無骨な古めかしい箱二つに、東絹と遠江綾をそれぞれ入れて、鄙びた紙に文をしたためて添えた。

「……ひそかにあなた様に実を尽くして長年になりますが、あなた様が私のよばい文を御覧下さらないのを心に嘆いております。

 自然、あなたにお仕えしている人が申し上げるでしょう。私の所にはあなたが不安に思う様な女も居りません。

 ただあなたを高い山とのみ崇めてご信頼申し上げましょう。必ず御顧みいただきたく存じます。さて、この贈り物は少しばかりですが、あなた様の下仕達におやりになる様にと存じまして」

 宮内の君は銭をもらって左大将の屋敷まで送ってもらったが、何とも言えない気分だった。

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