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第6話その1 夏の求婚者達一覧と、今宮の思い

 母宮の複雑な思いを知ってか知らずか、それからも懸想人達は次々とあて宮に文を送って来る。

 神楽が終わって戻ったあて宮の元には、まず東宮から歌が届いていた。

「まあ可愛らしい」

 今を盛りの常夏とこなつの花に文は結びつけられていた。

「―――ただ独り寝をしている床/常夏は、いつも居心地のよくないものです。…今では生きていることさえ嫌になってきます」

 東宮さまにここまで、と孫王の君はため息をつく。

 あて宮は返す。

「―――毎晩新しく白露が置く常夏を、いつになったら一人でご覧になる折りがあるでしょう。毎晩女君が立ち替わり侍っておいでになる床に、一人居たなんておっしゃっても信じません」

 はあ、と女房達は別の意味のため息をついた。

   *

 それからしばらく経った、ある晴れた暑い日のことである。

 実忠さねただから文があった。

「―――夏の烈しく照る日に草木が焼けて色が変わるほど、大空も私のように思い悩んでいるのでしょう」

 いつものことだがしつこいなあ、と側で聞いていた今宮と一宮はうんざりしながら扇をぱたぱたとさせる。

 あて宮は返す。

「―――いつの間にかどこの宿にも入って照る日には、あなたでさえ負けないとどうして言えましょう。日ほどではなくとも、通いどころなら、幾らでもおありでは」

 うわ、寒、と今宮は思わず震え上がった。

   *

 またある時、夕立が烈しく降る夕暮れに、兵部卿宮から文があった。ちょうど居合わせた大宮は、はらはらしながら娘の様子を伺っていた。

「―――文を差し上げる様になって久しくなりますが、あなたはどんどん冷淡にお成り/鳴りで、鳴る神の響きにさえあなたは平気で何ともお思いにならないのですね」

 あて宮は素っ気なく。

「―――おっしゃる通り鳴る神がどんなに響いても、冷淡な人は一向驚かないで、雨雲だけが騒ぐようでございます」

 外では、今この時にも雷は鳴り響いている。

 あて宮の小さな妹達や、気の弱い女房などは、隅の方で固まっては震えている始末である。

 ざあざあと降り続く雨に混じり、時々青白い光が御簾越しに入ってくる。それをあて宮は悠然と眺めている。

「……姫様は大丈夫なのでございますか?」

 帥の君は娘にすがりついて震えている。

「何をです?」

 あて宮は問い返す。

 と、その時一段と光が激しく差し込んで来た。

「きゃ」

 女達の声がその後に響いた。

 大宮も怖い。

 が、彼女は恐怖をそのまま表情に表すことはない。少しばかり身体を震わせるばかりである。

 それでも怖いことは怖い。

 だがあて宮は違う。

「本当に…… あて宮、そなたは怖くはないのですか?」

「特には。むしろ綺麗だと思っています」

 うっすらと微笑んだ娘に、大宮は薄ら寒いものを感じた。

 夕立の後はからりとした陽気が続いた。

 そんな折り、兼雅から洲浜すはまが送られてきた。海に臨んで漁人が立っているという図を形にした飾り物だ。

「お歌が書き付けられていますわ」

 兵衛の君が見つける。

「―――海の底に海松藻みるめ/見る女が生えていますから、私は深い(女の)心を信頼します」

 ふうん、とのぞき込んだ今宮は肩をすくめる。

「まあ確かにあの方だったら、女の方は色々見て来ているでしょうけどね」

「仲忠さまの母君に定まったのなら、見る目はあるのではなくて?」

 一宮が口を挟む。

「そういう人が何でまたあて宮に懸想するのよ」

「それもそうね」

 そんな二人のことなど気にせず、あて宮は漁人が魚をとっている洲浜にこう書いた。

「―――すなどりをする漁人はどういう人でしょう。海と言っても、どこの海に生えたみるめなのですか。どうも私とは何の関係もないようで」

「私は関係ない方がいいと思うなあ」

 一宮はつぶやいた。

   *

 また別の日には、平中納言から文が届いた。

「―――私はほんのちょっとの間でもあなたにお会いできたら心が慰められるだろうと思いますが、その僅かな時さえ与えられないのが侘びしいのです」

「私ねえ」

 今宮は微妙な色合いの薄様うすように書かれた、滑らかな手跡の歌を見て言う。

「この方が一番どうでもいいと思うのだけど」

「あらなぁぜ?」

「だってあの方、もう東宮さまのもとに姫君を送ってるじゃない。今更お父様との関係を強めようってことにしても」

「今宮ぁ…… そんなこと、私はよくは判らないわ」

 一宮は困った顔で同じ歳の叔母を見つめる。

「私はよく考えるけどね」

 脇息に肘をつき、にっと今宮は笑った。

「あて宮のことを本当に好きで懸想しているのは誰かしらって」

「皆そうではないというの?」

「まさか」

 は、と口元をゆがめる。

「皆『左大将が大切にしている姫』ってことだけで期待するのよね。無論、先に婿取りなされた姉様達だって、そういう噂は流れた訳だけど」

「あなただって今に流れるじゃないの?」

「私、結婚なんてしたくないもの」

「したくない、したい、の問題じゃないでしょ。するものだし、お祖父様とお祖母様がお決めになることだわ」

「まあそうかもしれないけど。でも私は好きな人がいいわ。一宮もそうじゃない?」

「それは…… そうだけど」

 一宮は真っ赤になって口ごもる。  

   *

 お祓いに、と難波の浦へと下った仲忠からも文があった。

「―――恋に惑いながら、恋を忘れようと忘れ草を摘みに来ましたが、住吉には生えていませんでした」

 孫王の君はそれを見て「ああよく出来た歌だなあ」と思う。少なくとも彼女のよく知る彼の本心ではない。

 彼女の知る仲忠は「時候の挨拶でなおかつ定型の懸想の歌」というものを本気で詠む人物ではない。

 彼と逢う時、彼女はこう思う。

 まるで子供だ、と。

 彼女の丸い大きな乳房を愛撫する時の唇は、幼子のそれを思い出させる。

「あなたはいつかそれでも何処かの素晴らしい姫君と結婚なさるわ」

 あて宮にはその様な気持ちは持っていないとしても。

「それは仕方が無いことだからね」

「私はただ、あなたがその時のお相手と、幸せな家庭を作って下さることを願いますわ」

「そんなことを言って。あなたは僕と離れたいのだろう?」

 そう言っては彼女を腕から離さないあの青年は、孫王の君の本気を本気と取らない。彼女を正式な妻にする気など一欠片も無いくせに。

 彼女は「右大将家の侍従の君」の正妻にはなれないだろうが、妻の一人くらいにはなれる身分である。

 宮家の姫であることには間違いないのだ。―――それが奇人で知られる上野宮かみつけのみやであろうと。

 それでも彼女は自分の未来にその姿を見ることはできない。

 何故だろう。

 時々思う。

 この人はこんなに自分を求めてくれるのに、と。

 だがすぐに答えが出る。

 自分は彼から求められているかもしれないが、彼の周りの人々からは求められないだろう。

 できればこの仕えている左大将家の姫の一人と結ばれてほしいと思う。

 彼女のその意識の中には、女一宮や女二宮も含まれる。孫王の君にとって、彼女達は皆まとめて「左大将家の姫君」だった。

「姫様、お返しは……」

 孫王の君は問いかける。

「―――住吉は移り気な方が心にかける岸ですわ。恋の忘れ草ではなく、相手の方を次々に忘れるための人の忘れ草を摘みにいらっしゃるのでしょう」

 おや、と孫王の君は思う。

「ずいぶんとあの方にしては素っ気ないお返事ですね」

 あて宮は首を傾けるだけで、何も答えなかった。

   *

「何ですって、あの紀伊国の方からまたお文?」

 今宮が慌ててあて宮の元に飛び込んできた。

「今宮さま!」

「まあ何って勢いで!」

「だって『あの』お文をあて宮にくれた人よ。次はどうだって思うじゃない」

 満面に笑みを浮かべ、興味津々で今宮は姉に近寄る。

「今宮どうしたんだ、騒々しい」

 暑気あたりでうとうととしていた仲純は、ふと外の騒々しい気配に目を覚ました。

 と、簀子すのこを妹の一人が袴の裾も絡げて走って行くではないか。

「お兄様、起きて大丈夫ですの?」

 几帳の向こうからあて宮の声がする。

 はっ、とそこで彼はあて宮の部屋の側であることに気付いた。今宮の後をふらふらと追いかけたら、ここまで来てしまったのだ。

「あ、ああ…… こんな格好で済まない」

「そんなこと!」

 今宮は几帳など立てずにこの兄に接する。素顔で話しかける。口元に扇などあてはしない。

 そもそも姫君が「走り回る」なぞ尋常ではない。

 深窓の姫君というものは、ひなが母屋の真ん中で女房達に傅かれ、かしづかれ、かしづかれ――― ているだけである。

 それが「姫君」に生まれてしまった者の役目と言ってもいい。

 同じ「姫君」生まれとしても、孫王の君のように途中でその役目から下ろされた者は、立ち歩き何かと仕事をしなくてはならないが、今宮はそうではない。

 それに加え、好奇心は満載である。

 あて宮の深窓ぶりに反発してなのか、今宮は時々「姫君」としては困りものな行動を取る。

 女房達もまた、そんな主人をよく知っている。

 今宮を「らしくない」「嫌だ」と思う者は他の女君のところへ行き、逆に「面白い」と思う者はやってくる。

 結果、それぞれの姫君の元の女房は、その姫君に合った者となる。

 その今宮の女房達は情報通である。

 しかしその情報通を手の内に持ちながらも、彼女は兄があて宮に懸想していることを知らない。

 同母のきょうだいがその様な気持ちを持つことを想像すらできない彼女には、仲純を懸想人の中に入れて探ることはできなかったのだ。

「ねえねえお兄様、今、紀伊国の源氏の君からお文があったんですって」

「紀伊国…… というと、ああ、仲忠や仲頼達が行ってきた所の」

「聞いて下さいなお兄様! その方、あて宮に以前お文下さったんだけど、それが結構失礼だったのよ」

「ほぉ……」

 仲純は軽く眉を寄せた。一体この妹に、どの様な失礼を。

「で、今日のは……

 ――常の月よりも、夏越の月が私にとって侘びしいのは、五月の様に忌み月ではないということです。あなたに会えないのも忌み月のせいに出来るのに」

 ん? と今宮はもう一度目を通し直した。

「何か今回はずいぶんとまともなお文じゃない」

「そうだね。ちょっと貸してごらん」

 そう言うと仲純は今宮の手からその文を取り、筆を借りると端にこう書き付けた。

「―――人はどうであれ、私は夏越なごしの月を頼みにしました。瀬毎にする祓いに恋忘れをするかと思って」

 返すよ、と兵衛の君を介してあて宮に渡す。几帳の向こう側からは何の返事も無かった。

 一方、今宮は涼からのその文に何となく物足りないものを感じた。

 もっとも以前の文に返事が無かったことに「今度はよくありそうな歌を」と思ったのかもしれない。そう考えることもできる。

「どうしたんだい? 今宮。さっきはあんなに騒いでいたのに」

「……何でもないわ」

 兄の言葉にぷい、と彼女は横を向く。

 そう、あんなに騒いだ自分が何となく可笑しくなる。どうして自分は。

「今宮さまは源氏の君がもっと面白いことを言って来なかったかと期待してらっしゃるのですよ」

「面白いことね。まあそんなに、男の恋心を笑うものではないよ」

「笑ってはいませんわ、お兄様。私にとってあて宮は大事な大事な姉ですから、ちゃんと好きになってくれる方じゃあないと嫌だと思うだけよ」

「それはそうだ。だがね今宮、好き嫌いだけで物事が進んだら、苦労はしないだろう」

「そうでございますよ」

 口を挟んだのは、普段はそう前に出てくることがないやや年かさの女房「宮内くないの君」だった。

「珍しいわ宮内さん。最近結構引っ込んでらしたと思ったけど」

「色々ありまして」

 宮内の君は、露骨に不機嫌そうな声を立てる。

 確か彼女も誰か懸想人との取り次ぎをしていたのではなかったか、と孫王の君は思う。

「何か困っていることでも?」

 問いかける。

 すると宮内の君はいえいえ、と手を振る。だがその一方で、目は自分にすがっている様に孫王の君には思えた。

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