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第103話 鍛心

 それから一時間近く、私は丹後の猛攻を必死に耐えた。丹後は一切の躊躇ちゅうちょなく急所を狙ってきたが、私は紙一重でかわし続けた。だが、それは運が良かっただけ。まともに喰らえば、一撃で終わっていただろう。さっき現れた金色の光は、どれだけ願っても竹刀に宿ることはなかった。体力の限界に達したのか、私は突然全身の力が抜け、そのまま倒れ込んだ。


「そこまで」


 天宮の静かな声が響く。すると、私の肩に温かいものが触れた。上木の手だ。彼女は心配そうな眼差しを向け、ゆっくり私の体を支える。顔を上げ、丹後を見た私はぎょっとした。汗ひとつかいていなかったのだ。


 まさに体力お化けとはこのこと…!


「丹後さん、あの…ありが――」


 お礼を言おうとした時、丹後が冷静に呟いた。


「お前の突きは、前のめりになり過ぎる」


 突然の指摘に、私はきょとんとした。


「体重が乗る分、勢いは増すが、その分隙もデカい。それに…」


 丹後は目を細めながら、私の足元を指す。


「左足を踏み込んだ時、若干重心が沈む。これも次の動作が遅れるし、隙が生まれる。…あとは、これだ」


 丹後は数歩近づくと、軽く竹刀を掲げ、私が握っている竹刀をカンカンと打った。


「気が張ると、若干竹刀を強く握る癖があるな。腕や肩に力が入り過ぎると、動きが固くなる。どの癖も共通しているのは、気持ちが前面に出過ぎていることだ。剣道はよく知らんが『残心』という言葉があるんだろう。仮にも関東大会で優勝したなら、肝に銘じておけ」


 私はハッとした。


 残心――。

 それは、攻撃を仕掛けた後も油断せず、次の動作に備える姿勢や意識のこと。こんな基本を忘れていたなんて。


「とはいえ…」


 丹後が再び口を開く。


「瞬発力と勝負強さだけは…ちょっと認めてやる。警策きょうさくでもして、雑念を叩き落としてもらえ」


 警策きょうさく…?

 その言葉が出た途端、天宮がくすっと笑った。


「やっぱり。凪さんは気持ちが入り過ぎるから、警策きょうさくを取り入れて正解だった」


 私は呆気に取られた。天宮は、私の弱点を知った上で特訓に警策きょうさくを取り入れたらしい。それを知った丹後は、ふんっと悪態をつき、無造作に竹刀を天宮に投げ、道場を出ようとする。すると――。


「丹後、ありがとう」


 天宮の声を背中で受けて、丹後は動きを止めた。


「来てくれて助かった。凪さんね、二週間ここで上木と特訓するんだ。良かったら、また顔を出してよ。君がいてくれると、すごく心強い」


 丹後がゆっくりと振り返り、私を見る。私は上木に支えられながらなんとか立ち上がり、深く頭を下げた。


「丹後さん、ありがとうございました。あの…また…よろしくお願いします!」


 丹後は鼻を鳴らし、再びきびすを返す。そしてそのまま、無言で出て行った。

 完全に打ち解けたわけじゃない。けれど、彼の背中を見つめながら、私は純粋に感謝の念を抱いていた。


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 それからというもの、私の特訓は熱を増していった。

 天宮と上木は、連日私の特訓に付き合ってくれた。そして、驚くべきことに、あの丹後も二日に一回、稽古をつけてくれた。丹後の指導は厳しく、的確だった。


 金色の光も、五分から六分、そして七分と、徐々に維持できる時間が伸びている。焔の三十分には及ばないが、それでもこの光を長く出し続けることが勝機に繋がる気がして、純粋に嬉しかった。


 気付けば、焔との決戦は明日に迫っていた。私は天宮の屋敷の寝室で、寝そべりながら天井を眺めていた。


 深い静寂。

 ふと横を見ると、彼から預かった懐中時計型の発信機が転がっていた。私は懐中時計をぎゅっと握り締める。よく見ると、細かな傷が刻まれている。相当古い…誰かからの贈り物だろうか。


 焔さんとヤトは、今何をしてるんだろう。

 二人のことを考えるだけで、胸が締めつけられる。


 早く会いたい。でも、会うのが怖い。

 明日、もし私が負けたら、焔さんは――。


 最悪の未来が頭をよぎる。

 ダメだ、考えるな。

 明日は勝つんだ、絶対に。


 私は深く息を吸い、ゆっくりと吐く。そして、私は静かに目を閉じ、ゆっくりと夢の中へと落ちていった。


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