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第99話 秘密

 封筒を手にした私は、あまりの衝撃に血の気が引き、震えていた。


 嘘だ…そんなの…。


「何をしている?」


 静かな声に、私は弾かれたように体をビクつかせた。

 顔を上げると、そこには焔がいた。彼は私の顔を一瞥した後、床に置かれた木箱を、そして私が手にした封筒を見た。


「…車の鍵を忘れてな。なぜここに?どうやって入った?」


 すると、焔は机に目を向けた。そこには、天宮から借りたマスターキーが。彼はため息をつき、ゆっくりと私に厳しい眼差しを向けた。


「…天宮か」


 私は顔を伏せる。当然ながら彼の声には怒りが滲んでいた。


「詳しい事情は後で聞く。とにかく、今は出て行け」


 いつになく厳しい声を受けながら、私は手にした封筒を見つめていた。

 封筒に書かれたたった二文字が、容赦なく心をえぐる。視界は滲み、ぽたりと静かに涙が床へ落ちた。


「凪、出て行け!」


 焔は「これ以上踏み込むな」とでも言わんばかりに、冷たく厳しい視線を向ける。


 でも、だめだ。

 ここで引き下がったら、きっとこの人は──。


 私は覚悟を決めて、拳を握りしめた。


「嫌です」


 私の言葉が予想外だったのか、焔の目が僅かに揺れた。そして、彼の視線は再び木箱へと向けられる。


「…見たのか。血判状を」

「焔さんも、磁場エネルギーの場所を聞いていたんですね。なのに…どうして私に探させるようなことを?」


 焔は浅く息を吐き、冷静な声でこう告げた。


「…私の祖父は持病持ちで、人狼族に詳しい幸村藍子から治療を受けていた。その関係で彼女の研究にも協力していて…磁場エネルギーの場所も聞いていた。だが、血判状を残した後、私に伝える前に襲撃で死んだ。血判状に名前はあるが、私は知らない」


 そう言い終わると、彼は私を真剣な目でじっと見据えた。


「本当だ」


 私はゆっくりと頷く。嘘はついていない。そう直感した。


「本来なら、私がその場所を受け継ぐべきだった。それなのに君だけにこんな重圧を背負わせることになって、責任を感じた。だから…」

「私のことを、守ってくれてたんですね」

「…ああ」


 聞いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。

 ずっと疑問だった。どうしてこの人はこんなに私を守ってくれるのかと。その答えのひとつが、これだったんだ。


 だけどもうひとつ、この人に聞かないといけないことがある。


「…血判状のことはわかりました。でも、焔さんの秘密は…それだけじゃ…ないですよね」

「何が言いたい?」

「焔さん。凄く大事なこと、隠してる」


 その瞬間、私の手から封筒が滑り落ちた。

 小さな音を立てて床に落ちた封筒。焔はそれを一瞬見つめ、顔を上げる。


 滲み出る焦燥と悲しみ。彼のこんな顔を見るのは初めてだ。

 でもそれが、封筒に記された彼の「覚悟」が、紛れもない事実だと物語っていた。


 やがて、焔は深くため息をつき、呆れたようにこう言い放った。


「…君は祖母が何を託したのかを知りたくてSPTにいるはずだ。いつから私の事情に立ち入るのが目的になった?」

「それは…」

「これ以上干渉するな。君にはまったく、関係のないことだ」


 すると、彼はパンッと手を叩いた。


「話は終わりだ。さあ、出て行け」


 私は動かない。

 ここで終わらせるわけには、この人をこのままにするわけには、いかないんだ。


「凪?いい加減に──」

「私と勝負してください!」


 焔の言葉を遮るように、私は鋭く声を放った。


「…何だと?」


 数秒の沈黙。時計の秒針だけが、無機質に響く。


「勝手に部屋に入って、ごめんなさい。でも、知ってしまった以上、磁場エネルギーを見つけて私だけのうのうと元の世界に帰るなんて、そんなことできません。…私と勝負してください!私が勝ったら、焔さんが今隠したこと、包み隠さず話してもらいます!」


 私の言葉を受け、焔は驚いたような表情を浮かべた。だがやがて、彼は目を細めて、冷たく私を睨みつける。


「…君が私に…勝つだと?」


 我ながら馬鹿げてる。普通に考えたら勝てるわけがない。


 だけど──。


 頬に熱が伝う。

 私は唇を噛み、負けじと焔を睨みつけ、声を振り絞る。


「本気です!!」


 焔は僅かに目を伏せるが、私の覚悟を感じ取ったのか、ゆっくりと向き直った。


「…そこまで言うなら、受けてやってもいい。だが…私が勝ったら、冷蔵庫にあるピクルスを全部食べ切るだけでは済まさんぞ」


 焔は一歩踏み出し、威圧感を纏いながら、こう告げた。


「負けたら金輪際この話はするな。それが条件だ。どうだ?」

「…望むところです」


 一歩も引かず、睨み合う私たち。

 重苦しい沈黙が場を支配した、その時だった。


「ルン♪ルンルン♪」


 遠くから聞こえてくる陽気な鼻歌。

 軽快なリズムに乗せて、ご機嫌な調子でヤトが執務室に向かってくる。

 だが、執務室の扉をくぐった瞬間──。


 ピタッ。


 場の張りつめた空気を察したのか、ヤトは即座に床に降り立ち、固まった。大きな瞳で私と焔を交互に見て、羽をバタつかせる。


「ど、どうしたの?二人とも…」


 私は答えなかった。

 涙ぐんだまま執務室から飛び出し、そのまま自分の部屋へ。大急ぎで鞄に財布や着替えを手あたり次第に詰め込んだ。

 そこへ、慌てた様子のヤトが飛び込んでくる。


「な、凪?どうしたの!?」

「出ていく」

「ええ!?」

「これから真剣勝負する人と、同じ屋根の下でなんて暮らせないもん!」


 私は鞄のファスナーを閉め、足早に玄関へ向かう。

 靴を履き、扉に手をかけた時──。


「凪」


 背後から名前を呼ばれ、私はピタリと動きを止めた。


 喉が詰まる。胸が軋む。

 何度も助けてくれた、大好きな人。

 こっちの世界に来てからずっと、私はこの人の強い背中を見続けてきた。

 声を聞いただけで一気に愛おしさが込み上げる。

 でも今は、ここから離れなきゃいけない。

 私は深く息を吸い込み、振り返る。精一杯、毅然とした表情を浮かべて。


「勝負は二週間後。どうですか?」


 焔はしばらく私を見つめた。そして、諦めたように静かに頷いた。


「…いいだろう」


 次の瞬間、私は扉を開けて全速力で駆け出した。生ぬるい夜風が頬をかすめる。


 自分がやるべきことがわかった。

 私は絶対に、この人を──焔さんを止めるんだ。

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