天宮と話してから三日後の夕方。
私は庭で、ヤトと水遊びを満喫していた。
「ぴやああ~気持ちいぃ~」
私は嬉しそうに声を上げるヤトの嘴を目がけて、渾身の水鉄砲を放つ。
「ぶほ!凪、ひどい!」
「へへへっ」
すると、ヤトがお返しとばかりに大きく羽をバタつかせる。大量の水しぶきを浴びて、今度は私がずぶ濡れになった。
「楽しそうだな」
振り向くと、焔がいた。私は濡れた髪を払いつつ、笑顔で声をかける。彼はSPTの制服に身を包み、鞄を手にしていた。
「焔さん!お出かけですか?」
「ああ。長官に呼ばれてな。少し出る」
そう言うと、焔は静かに玄関に向かい、外へ出て行った。私は玄関の方を見つめ、息を呑む。
来た。チャンスだ。
「ねえ、ヤト」
「ん?」
「ずぶ濡れになっちゃったから、バスタオル取って来るね」
「うん!……ぴやああぁぁぁ…」
再び水遊びに夢中になるヤトを微笑ましく見つめながら、私はそっとその場を離れた。行き先は、焔の執務室だ。
執務室の鍵を突破する方法は至って単純、マスターキーを使うこと。元々、この家は天宮の別荘。彼がマスターキーを貸してくれたのだ。
──カチリ。
執務室の扉をそっと押し開ける。薄暗い室内。僅かに差し込む夕陽が、長い影を落とす。背の高い本棚にアンティーク調の間接照明。そして、部屋の中央にある机。そこには、書類や本が無駄なく配置されていた。
隠すなら、目につく場所には置かないはず。
そう思った私は、引き出しに手を伸ばす。一段目、二段目…。
三段目の引き出しを開けると、古い木箱が入っていた。
木箱を開けると、そこにあったのは封筒と白い和紙。
封筒には、名前が書かれていた。その名は──。
──御影稜馬
「みかげ…りょうま…?誰だろう」
確か、焔のおじいさんは御影
知らない名前…この封筒は関係なさそうだな。
私は封筒を置き、白い和紙に手を伸ばす。
その瞬間、私はギョッとした。そこに記されていた文字は…。
──血判状
不穏な文字に、心臓の鼓動が一気に早まる。
いや、待てよ。
そういえば、対の世界に来た初日、彼から血判状を見せられたっけ。
私は折られた和紙を開けて、中を見る。
──害をなす者にこの情報が渡ることを厳に禁ずる。命の危機に瀕した場合のみ、一人に限り口伝するものとする。口伝で秘密を伝えし者は、秘密を託した者の名前を八咫烏の一族へ申し伝えることとする──
和紙の下部には「幸村藍子が口伝せし者 孫 幸村凪」と書かれていた。
やっぱり。これはあの日に見せて貰った血判状だ。
これも関係ないかな。
そう思った時、和紙の端に目が留まった。微かに破られた跡があったのだ。不安に駆られ改めて木箱を見ると、他の紙に紛れてもう一枚和紙が入っていた。
恐る恐る取り出し、中を見る。それは先ほどの血判状と同じ内容が記されていたが、名前が異なっていた。
──御影関水が口伝せし者 孫 御影稜馬
この名前…さっきの封筒に書かれていた名前と同じだ。
それに、御影関水の孫ということは、この「御影稜馬」という人は…。
まさか──。
「……焔さんの…こと?」
焔の本名は御影稜馬。
つまり、彼も私と同じく磁場エネルギーの場所を聞かされていた…?
じゃあどうして、私に聞いたりなんて…?
疑問が頭の中を渦巻く中、私は「御影稜馬」と書かれた封筒にそっと手を伸ばす。もしかしたら、この封筒に答えがあるのかもしれない。
名前が書かれているのは裏側。無意識に私は封筒を裏返して表を見た。
そして、次の瞬間──。
「…え…?」
あまりの衝撃に、私は言葉を失った。
封筒の表に記されていたのは、たったの二文字。
だがそれは、彼の覚悟と苦しみを象徴する、とても残酷な言葉だった。