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第98話 潜入

 天宮と話してから三日後の夕方。

 私は庭で、ヤトと水遊びを満喫していた。


「ぴやああ~気持ちいぃ~」


 私は嬉しそうに声を上げるヤトの嘴を目がけて、渾身の水鉄砲を放つ。


「ぶほ!凪、ひどい!」

「へへへっ」


 すると、ヤトがお返しとばかりに大きく羽をバタつかせる。大量の水しぶきを浴びて、今度は私がずぶ濡れになった。


「楽しそうだな」


 振り向くと、焔がいた。私は濡れた髪を払いつつ、笑顔で声をかける。彼はSPTの制服に身を包み、鞄を手にしていた。


「焔さん!お出かけですか?」

「ああ。長官に呼ばれてな。少し出る」


 そう言うと、焔は静かに玄関に向かい、外へ出て行った。私は玄関の方を見つめ、息を呑む。


 来た。チャンスだ。


「ねえ、ヤト」

「ん?」

「ずぶ濡れになっちゃったから、バスタオル取って来るね」

「うん!……ぴやああぁぁぁ…」


 再び水遊びに夢中になるヤトを微笑ましく見つめながら、私はそっとその場を離れた。行き先は、焔の執務室だ。

 執務室の鍵を突破する方法は至って単純、マスターキーを使うこと。元々、この家は天宮の別荘。彼がマスターキーを貸してくれたのだ。


 ──カチリ。


 執務室の扉をそっと押し開ける。薄暗い室内。僅かに差し込む夕陽が、長い影を落とす。背の高い本棚にアンティーク調の間接照明。そして、部屋の中央にある机。そこには、書類や本が無駄なく配置されていた。


 隠すなら、目につく場所には置かないはず。


 そう思った私は、引き出しに手を伸ばす。一段目、二段目…。

 三段目の引き出しを開けると、古い木箱が入っていた。


 木箱を開けると、そこにあったのは封筒と白い和紙。

 封筒には、名前が書かれていた。その名は──。


 ──御影稜馬


「みかげ…りょうま…?誰だろう」


 確か、焔のおじいさんは御影関水かんすい、ミレニアにさらわれたのは、御影安吾あんごだったはず。


 知らない名前…この封筒は関係なさそうだな。

 私は封筒を置き、白い和紙に手を伸ばす。


 その瞬間、私はギョッとした。そこに記されていた文字は…。


 ──血判状


 不穏な文字に、心臓の鼓動が一気に早まる。


 いや、待てよ。

 そういえば、対の世界に来た初日、彼から血判状を見せられたっけ。


 私は折られた和紙を開けて、中を見る。


 ──害をなす者にこの情報が渡ることを厳に禁ずる。命の危機に瀕した場合のみ、一人に限り口伝するものとする。口伝で秘密を伝えし者は、秘密を託した者の名前を八咫烏の一族へ申し伝えることとする──


 和紙の下部には「幸村藍子が口伝せし者 孫 幸村凪」と書かれていた。

 やっぱり。これはあの日に見せて貰った血判状だ。


 これも関係ないかな。


 そう思った時、和紙の端に目が留まった。微かに破られた跡があったのだ。不安に駆られ改めて木箱を見ると、他の紙に紛れてもう一枚和紙が入っていた。


 恐る恐る取り出し、中を見る。それは先ほどの血判状と同じ内容が記されていたが、名前が異なっていた。


 ──御影関水が口伝せし者 孫 御影稜馬


 この名前…さっきの封筒に書かれていた名前と同じだ。

 それに、御影関水の孫ということは、この「御影稜馬」という人は…。


 まさか──。


「……焔さんの…こと?」


 焔の本名は御影稜馬。


 つまり、彼も私と同じく磁場エネルギーの場所を聞かされていた…?

 じゃあどうして、私に聞いたりなんて…?


 疑問が頭の中を渦巻く中、私は「御影稜馬」と書かれた封筒にそっと手を伸ばす。もしかしたら、この封筒に答えがあるのかもしれない。

 名前が書かれているのは裏側。無意識に私は封筒を裏返して表を見た。


 そして、次の瞬間──。


「…え…?」


 あまりの衝撃に、私は言葉を失った。

 封筒の表に記されていたのは、たったの二文字。


 だがそれは、彼の覚悟と苦しみを象徴する、とても残酷な言葉だった。

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