その日の昼下がり、私は病室にいた。
カーテン越しにぼんやりとした陽光が室内を照らす中、ベッドで上木凛は上半身を起こしていた。
黒髪と微かに残る火傷の痕。漆黒の瞳が、真っすぐに私に向けられる。その瞳からは、彼女の名前の通り「凛」とした強さが感じられた。
私はゆっくりと謝罪と感謝の言葉を口にする。
しばしの沈黙の後、上木はふっと柔らかく笑った。まるで張りつめていた何かが解けたかのように。
「こちらこそ。お前がいなかったら私は死んでいた。ありがとう、凪」
その後、上木はぽつりぽつりと瓜生とのことを打ち明けてくれた。
──従わなければ児童養護施設に火をつける。
彼女はそう脅されていたらしい。
息を呑む私に、上木が微かに首を振った。
「でも、あの人は…そんなこと、しなかったと思う」
まるで自分に言い聞かせるように、彼女は静かに言葉を続けた。
「瓜生隊長は元々妹思いで優しい人なんだ。だから、初めは力になりたいと思った。でも、どんどん行動がエスカレートして…。結果的に止められず、凪のことも危険に晒した。本当に…申し訳なかった」
上木がゆっくり頭を下げる。思わず私は彼女の肩に手を添え、そっと制止した。彼女の葛藤が伝わり、胸が苦しくなる。
「天宮隊長が気付いてくれて本当に良かった。作戦だけじゃなく、児童養護施設の警護まで手配してくれて…」
その言葉には、心からの安堵が滲んでいた。
「…そういえば、天宮隊長は?…怪我は?」
「大丈夫です」
私が答えると、上木はほっと息を吐く。だが、すぐに目を伏せて唇を噛んだ。
「私は…きっと懲戒免職だな」
「いえ、それも大丈夫です!」
不思議そうに首を傾げる上木に、私は笑顔を向ける。
「天宮さんが代わりに処分を──」
すると、私が言い終わるより前に、上木が勢いよく立ち上がろうとする。が、動いた瞬間痛みが走ったのか、彼女の顔が歪む。
「か、上木さん!?」
私は慌てて彼女の体を支え、背中をさする。
「動いちゃだめですよ!」
「せめて長官に電話を…あの方は悪くない!あの日病院に行ったのは、私がどうしても行きたいとごねたからなんだ。それなのに処分なんて…」
「大丈夫です!長官さんもわかってます!天宮さんの処分は──」
私は少し言い淀んでから、言葉を続ける。
「お掃除だけです」
──ピタリ。
「そ…掃除?」
私は頷き、天宮の処分を伝えた。上木は安心したように一瞬笑うが、すぐに表情を険しくする。
「天宮隊長は無関係なのに、私のせいで…」
上木の言葉に、私は顔を伏せる。
そんなことないのに、うまく伝えられない自分がもどかしい。
ふと目線を横に目を向けると、ベッドのそばに開かれたパソコンが目に入った。画面にはネットショップサイト「フワゾン」のページが映し出されている。
「上木さん、お買い物ですか?」
何気なく尋ねると、彼女はちらりと画面を見やり、小さく頷いた。
「ああ。新しいお面を買おうと思って」
「あの…どうしてお面を?」
「火傷の痕が気になる…っていうのもあるけど、それ以上に後ろめたくて…人に話しかけられたくなくて被ってたんだ。お面を被った無口な女なんて、気味悪がって誰も話しかけないから」
「じゃあ、今はする必要がないんじゃ?」
私がそう言うと、上木は一瞬、目を泳がせた。
彼女の指は、無意識に布団をぎゅっと握り締めている。
「いや…外せない。お面をしないと気付かれる」
「気付かれる?誰に、何をですか?」
「…天宮隊長に」
………え?
「知っているかもしれないが、あの方は表情や些細な目線の動きで相手の本心を見抜く。私の気持ちを知られたら、もうSPTにはいられない」
上木はそう呟き、静かにうなだれた。私は、恐る恐る彼女の表情を伺う。先ほどまで冷静だった彼女の頬は、わずかに赤く染まり、表情がさらに柔らかくなっていた。
…ちょっと待って。これってまさか……。
上木さんも天宮さんのことを…!?
つまり…二人は両片思いってこと…!?きゃあぁぁぁ!!🔥🔥
一気に顔が火照り、心の中で絶叫する私。バクバクと心臓が高鳴り、頭の中で鐘が鳴る。まるで祭りだ。だが、当の本人は静かにうなだれている。
すると、上木がパソコンに手を伸ばし、淡々とお面の購入画面へと進む。アイコンが「購入」に触れる直前…。
──ガシッ!
気が付くと、私は彼女の手を強く掴んでいた。
「な…凪?」
「お面なんて……外しちゃいましょうよ……」
私は若干顔を赤らめながら、力いっぱい伝えた。
「だって…だって…上木さん、すっごく可愛いんだから!きっと天宮さんも…」
彼女の手を握りながら、言葉に力を込める。これはさっき天宮が言った言葉だ。
二人は両片思い。
でも、このままだときっと進展しない。
これくらいなら私から言ってもいいですよね、天宮さん…!
心の中で天宮に同意を求めつつ、上木を見つめる。
すると数秒後、彼女は不意に視線を逸らし、照れくさそうに俯いた。
「…そう、かな」
小さく、でも確かな明るさを感じさせる声。
それを聞いて、私はパッと笑顔になる。
「そうですよ!」
勢いよく告げる私に、上木は驚きながら瞬きをする。
「あの、来月一緒に買い物に行きませんか?」
「え?」
「来月、初めてお給料貰えるんです!だから化粧品買ってみたいなって…あと、服も!ね、一緒に買いに行きましょう!」
せっかくお給料が貰えるなら、お洒落したい。もっと可愛くなりたい。
そうすれば、今よりも焔さんと──。
「わかりやすいな、凪は」
「え?」
唐突な上木の言葉に、私は目を丸くする。
「焔隊長か?」
その言葉に、一瞬頭が真っ白になった。気付かれた。私が焔に恋をしていることを。私はゆっくり顔を上げ、頷きながら呟く。
「…誰にも言わないでくださいね」
すると、上木は目を細め、とびきり優しい笑みを浮かべた。
「凪も。さっきの話、内緒にしてね」
私たちは顔を見合わせてくすくすと笑い合った。対の世界に来てから、ずっと焔とヤトがいてくれた。でも今、この瞬間、尊い秘密を共有できる「友達」ができた気がした。