目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第94話 秘友

 その日の昼下がり、私は病室にいた。

 カーテン越しにぼんやりとした陽光が室内を照らす中、ベッドで上木凛は上半身を起こしていた。


 黒髪と微かに残る火傷の痕。漆黒の瞳が、真っすぐに私に向けられる。その瞳からは、彼女の名前の通り「凛」とした強さが感じられた。


 私はゆっくりと謝罪と感謝の言葉を口にする。

 しばしの沈黙の後、上木はふっと柔らかく笑った。まるで張りつめていた何かが解けたかのように。


「こちらこそ。お前がいなかったら私は死んでいた。ありがとう、凪」


 その後、上木はぽつりぽつりと瓜生とのことを打ち明けてくれた。


 ──従わなければ児童養護施設に火をつける。


 彼女はそう脅されていたらしい。

 息を呑む私に、上木が微かに首を振った。


「でも、あの人は…そんなこと、しなかったと思う」


 まるで自分に言い聞かせるように、彼女は静かに言葉を続けた。


「瓜生隊長は元々妹思いで優しい人なんだ。だから、初めは力になりたいと思った。でも、どんどん行動がエスカレートして…。結果的に止められず、凪のことも危険に晒した。本当に…申し訳なかった」


 上木がゆっくり頭を下げる。思わず私は彼女の肩に手を添え、そっと制止した。彼女の葛藤が伝わり、胸が苦しくなる。


「天宮隊長が気付いてくれて本当に良かった。作戦だけじゃなく、児童養護施設の警護まで手配してくれて…」


 その言葉には、心からの安堵が滲んでいた。


「…そういえば、天宮隊長は?…怪我は?」

「大丈夫です」


 私が答えると、上木はほっと息を吐く。だが、すぐに目を伏せて唇を噛んだ。


「私は…きっと懲戒免職だな」

「いえ、それも大丈夫です!」


 不思議そうに首を傾げる上木に、私は笑顔を向ける。


「天宮さんが代わりに処分を──」


 すると、私が言い終わるより前に、上木が勢いよく立ち上がろうとする。が、動いた瞬間痛みが走ったのか、彼女の顔が歪む。


「か、上木さん!?」


 私は慌てて彼女の体を支え、背中をさする。


「動いちゃだめですよ!」

「せめて長官に電話を…あの方は悪くない!あの日病院に行ったのは、私がどうしても行きたいとごねたからなんだ。それなのに処分なんて…」

「大丈夫です!長官さんもわかってます!天宮さんの処分は──」


 私は少し言い淀んでから、言葉を続ける。


「お掃除だけです」


 ──ピタリ。


「そ…掃除?」


 私は頷き、天宮の処分を伝えた。上木は安心したように一瞬笑うが、すぐに表情を険しくする。


「天宮隊長は無関係なのに、私のせいで…」


 上木の言葉に、私は顔を伏せる。

 そんなことないのに、うまく伝えられない自分がもどかしい。


 ふと目線を横に目を向けると、ベッドのそばに開かれたパソコンが目に入った。画面にはネットショップサイト「フワゾン」のページが映し出されている。


「上木さん、お買い物ですか?」


 何気なく尋ねると、彼女はちらりと画面を見やり、小さく頷いた。


「ああ。新しいお面を買おうと思って」

「あの…どうしてお面を?」

「火傷の痕が気になる…っていうのもあるけど、それ以上に後ろめたくて…人に話しかけられたくなくて被ってたんだ。お面を被った無口な女なんて、気味悪がって誰も話しかけないから」

「じゃあ、今はする必要がないんじゃ?」


 私がそう言うと、上木は一瞬、目を泳がせた。

 彼女の指は、無意識に布団をぎゅっと握り締めている。


「いや…外せない。お面をしないと気付かれる」

「気付かれる?誰に、何をですか?」

「…天宮隊長に」


 ………え?


「知っているかもしれないが、あの方は表情や些細な目線の動きで相手の本心を見抜く。私の気持ちを知られたら、もうSPTにはいられない」


 上木はそう呟き、静かにうなだれた。私は、恐る恐る彼女の表情を伺う。先ほどまで冷静だった彼女の頬は、わずかに赤く染まり、表情がさらに柔らかくなっていた。


 …ちょっと待って。これってまさか……。

 上木さんも天宮さんのことを…!?

 つまり…二人は両片思いってこと…!?きゃあぁぁぁ!!🔥🔥


 一気に顔が火照り、心の中で絶叫する私。バクバクと心臓が高鳴り、頭の中で鐘が鳴る。まるで祭りだ。だが、当の本人は静かにうなだれている。


 すると、上木がパソコンに手を伸ばし、淡々とお面の購入画面へと進む。アイコンが「購入」に触れる直前…。


 ──ガシッ!


 気が付くと、私は彼女の手を強く掴んでいた。


「な…凪?」

「お面なんて……外しちゃいましょうよ……」


 私は若干顔を赤らめながら、力いっぱい伝えた。


「だって…だって…上木さん、すっごく可愛いんだから!きっと天宮さんも…」


 彼女の手を握りながら、言葉に力を込める。これはさっき天宮が言った言葉だ。


 二人は両片思い。

 でも、このままだときっと進展しない。

 これくらいなら私から言ってもいいですよね、天宮さん…!


 心の中で天宮に同意を求めつつ、上木を見つめる。

 すると数秒後、彼女は不意に視線を逸らし、照れくさそうに俯いた。


「…そう、かな」


 小さく、でも確かな明るさを感じさせる声。

 それを聞いて、私はパッと笑顔になる。


「そうですよ!」


 勢いよく告げる私に、上木は驚きながら瞬きをする。


「あの、来月一緒に買い物に行きませんか?」

「え?」

「来月、初めてお給料貰えるんです!だから化粧品買ってみたいなって…あと、服も!ね、一緒に買いに行きましょう!」


 せっかくお給料が貰えるなら、お洒落したい。もっと可愛くなりたい。

 そうすれば、今よりも焔さんと──。


「わかりやすいな、凪は」

「え?」


 唐突な上木の言葉に、私は目を丸くする。


「焔隊長か?」


 その言葉に、一瞬頭が真っ白になった。気付かれた。私が焔に恋をしていることを。私はゆっくり顔を上げ、頷きながら呟く。


「…誰にも言わないでくださいね」


 すると、上木は目を細め、とびきり優しい笑みを浮かべた。


「凪も。さっきの話、内緒にしてね」


 私たちは顔を見合わせてくすくすと笑い合った。対の世界に来てから、ずっと焔とヤトがいてくれた。でも今、この瞬間、尊い秘密を共有できる「友達」ができた気がした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?