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第90話 双命

 「特殊警察活動規定法」三条一項──。

 その条項が長官から発せられた後、私は息をするのも忘れ、呆然としていた。


 おばあちゃんは、敢えてこの条項を入れるよう長官に進言した。

 もしかして「対の世界」に来た私をSPTに入隊させるため…?


「藍子さんは、凪さんをSPTに入隊させたかった…?それに…」


 長官は揺らめく瞳のまま、今度は焔へと視線を移した。


「…彼女は、焔の入隊も見越していたのか?この条項がなければ焔も…」


 長官の思わぬひと言に私は息を呑んだ。焔を見ると、彼も驚愕の表情を浮かべている。


「焔さんもこの条項でSPTに…!?」

「…ああ。十年前、この条項があったから入隊できた。長官の推薦で」


 十年前…。

 それは、彼の故郷である人狼族の村がミレニアの襲撃を受けた時。


 つまり、焔さんはあの悲劇の直後にSPTに?


「あの、焔さん…」


 だが、私の言葉は、江藤の声にかき消される。


「ってことは、藍子さんは本当に時紡石で未来に来たってこと!?だとしたら、一体今、時紡石はどこに…?」

「それも、ヤトの伝承にヒントが隠されてるんじゃないかな」


 天宮が静かに答える。


「伝承によると、瞬間移動できる『飛石』と凪さんの世界とこの世界を結ぶ『境界石』。この二つの石を手にした時、八咫烏…つまりヤトは選ばれし魂を『聖所』へと導く、そして『紡石』への道を開く…とある」


 すると、ヤトが羽を大きくバタつかせ、キョロキョロと周囲を見渡す。思いがけない展開に戸惑っている様子だ。


「ちょっ…ちょっと待ってよ!俺、聖所なんて知らない…本当に聞いてないよ!聞いてたら覚えてるはずだもん!」


 天宮はヤトを見つめながら、指を顎に当て考え込む。

 伝承が示す「聖所」とは何なのか、思索を巡らせているのだろう。


 ヤトは「聖所」を知らない。

 そんな中でも、私はひとつの確信を抱いていた。


 ──このカラスはね、とっても特別なの。


 夢でのおばあちゃんの言葉。これを踏まえると、ヤトが磁場エネルギーの道を示す存在だと思えてならなかったのだ。


 …まてよ?もし時紡石が存在するなら…。


「あの、もしかして…おばあちゃんは時紡石で過去か未来に行って磁場エネルギーを隠したんじゃないでしょうか?そもそも隠せるものなのかっていう気はしますけど…」


 張りつめた沈黙の中、焔が静かに目を閉じ、ゆっくりと頷く。


「…時紡石が実在する以上、可能性はある。SPTやミレニア、政府機関や軍事組織…あらゆる団体が何十年も血眼になって探しているのに、手がかりすら掴めない。もしや、これが答えなのではないか。この時系列にはない。過去か未来にあるから、いくら探しても見つからなかったのだ」


 焔の言葉が衝撃的だったのか、長官は小さく息を吐き、椅子の背もたれに深く寄りかかる。重苦しい空気の中、私は再び「あのっ」と呟き、顔を上げた。


「磁場エネルギーが過去か未来にあるなら、ある意味安全なんじゃないでしょうか?だって、誰が探しても見つからない。つまり、ミレニアにも見つけられない。だったら探す必要もないんじゃ…」

「いや…」


 焔が静まり返った空気を再び揺らす。


「紅牙組の風見組長が言っていただろう。ミレニアの幹部、万丈がソルブラッドの宿主、すなわち君を探していると。恐らく、ミレニアも時紡石が磁場エネルギーの場所に繋がるという情報を掴んでいる。だったら、過去だろうが未来だろうが、先に私たちが磁場エネルギーを見つけ出し、破壊するしかない」


 そ、そうか…。言われてみれば確かに…。

 その時、江藤が焔を見て尋ねた。


「つまり、ヤトが聖所へと導く『選ばれし者』は、凪さんってこと?」


 その言葉に、焔が私を見てゆっくりと頷く。


「恐らく──」

「いや、ちょっと待って」


 言葉を遮ったのは天宮だった。彼の瞳はどこか確信めいている。まるで、伝承の謎が解けたとでも言わんばかりに。


「『選ばれし者』は凪さんだけじゃない」

「どういうことだね?」


 長官の低い声が会議室に響く中、天宮は毅然と答えた。


「伝承にある『対なる者は光を放ち―』の一節。『対』という言葉は、単数ではなく、二つの存在を示すもの。つまり、この伝承が示しているのは一人ではなく、二人の人物です」

「二人?」

「伝承の冒頭『血と血の魂が出逢う時』がそれです。ひとつが凪さんの陽の血『ソルブラッド』なら、もうひとつの『対』となる血は、たったひとつしかありません」


 次の瞬間、一同の視線が一斉に焔へと向けられる。

 まさか…伝承が示す二人の「」は…。


「人狼族の陰の血『ルナブラッド』──。ヤトの伝承『対なる者』とは、凪さんとルナブラッドの宿主である焔、この二人を指し示しているのです」



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