「…なんと意味深な…」
長官が息を呑むのと同時に、奇妙な静寂が会議室を覆う。
伝承の「聖所」
夢に出てきた「魂のおじさん」も確かに口にしていた。
一体どんな意味が…?
すると、天宮が静かに顔を上げ長官を見据えた。
「僕の見解をお話してもよろしいでしょうか。凪さんの夢を基にした仮定です」
「仮定」とは言うものの、天宮の目は鋭く、確信に満ちていた。
その雰囲気に気圧されるかのように、長官が頷く。
「結論から申し上げます。都市伝説として今まで語られていた、時空を超える『時紡石』。これは実在するのではないでしょうか」
ガタッ──!
椅子を大きく引く音が響くのと同時に、丹後が驚愕の表情を浮かべ、勢いよく立ち上がった。
それもそのはず。「時紡石」は過去や未来――時空を超えると噂される伝説の石。ただの都市伝説で実在しないと思われていたからだ。
丹後は鼻で笑い、天宮を一瞥する。
「馬鹿馬鹿しい!そんな夢物語、議論する価値はない」
だが、天宮は微動だにせず静かに言葉を紡いだ。
「凪さんのおばあさん…藍子さんは、瞬間移動を可能にする『飛石』、そして凪さんの世界と僕たちの世界を繋ぐ『境界石』の開発者だ。時紡石に関しては、確かに誰も見たことがない。ですが、この伝承…そして凪さんの夢を踏まえると、夢物語とは思えないのです」
「どういうことだね?」
「…単なる昔話なら、登場人物は『少年』や『カラス』といった表現で済むはずです。しかし、彼女は敢えて『狼少年』『半人前のヤタガラス』と言っている。偶然にしては出来過ぎています」
天宮の言葉に、会議室の空気が少しずつ張りつめていく。この場にいる全員が、彼の言葉の先を待っていた。
「この『狼少年』と『半人前のヤタガラス』は恐らく焔とヤトのことだ。彼女は、時紡石を使って未来の凪さんを、そして焔とヤトを見たのです。藍子さんは、凪さんがこちらの世界に来ることを知り、これから起こる出来事を『昔話』として伝えた。凪さんに、さりげなく道を示すために」
天宮の話に、私は言葉を失った。
まさか…おばあちゃんが、未来の私を知っていた?
混乱する私をよそに、丹後が苛立ちを滲ませながら声を荒げる。
「馬鹿な…そんな話があるはずが…!」
「いや、あり得る」
焔はゆっくり顔を上げ、一同を見渡す。その眼差しは冷静で、内に熱を秘めているようだった。
「私は最初、ソルブラッドは存在しないと思っていた。仮に幸村藍子が研究の過程で手に入れたとしても、保管できるのは二十年が限度だ」
焔の低く響く声が、空気をさらに緊迫させる。
「幸村藍子が凪の世界にソルブラッドを持ち込んでいたとしても、効果はとっくに失われているはず。二十年以上経っているのに孫の凪に血を与えるなど…時系列的に計算が合わない。どう考えても不可能だ。だが、凪はこうしてソルブラッドの宿主になっている。この矛盾をずっと考えていたのだが…」
焔はそう言うと、真っすぐ私を見つめた。その瞳の奥には確かな確信が感じられる。
「時紡石が実在するなら、この謎は解ける。彼女は時空を超えて未来に血を託した。だからこそ、凪が宿主になれたのだ」
焔の言葉に全員が息を呑む。数秒の静寂。誰もが息を詰め、言葉の意味を
その時だった。
「……はっ…まさか…」
不意に長官が小さく息を漏らす。彼はまるで何かを思い出したかのように、口を半開きにしていた。
「…どうされました?」
天宮がすかさず問いかける。言い方は穏やかだが、わずかに探るような響きを帯びていた。
「いや、なんでもない」
長官は少しギクリとした表情を浮かべ、慌てて首を振る。その言動は挙動不審そのものだ。
すると、天宮が突然長官に向かってにっこりと微笑んだ。その瞬間、長官の顔が一気に引きつる。一方の私も、ちょこっと背筋が寒くなった。天宮は尋問のプロ。この笑顔が、本気モードの彼に切り替わったように思えたのだ。
「今、視線が左上に向きましたね。僕の見解では、そういった時は大抵昔のことを思い出しています」
「う…」
長官は思い切り彼から目を逸らす。明らかに動揺しているのが見て取れるほどに。だが、天宮の追撃は止まらない。
「今度は右ですか」
天宮は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「長官もお人が悪い。僕たちに嘘をつこうとするなんて」
くすくすと余裕の笑みを浮かべながら、長官をじわじわと追い詰めていく天宮。彼の言葉と仕草の一つひとつが長官の心を掌握しているように思えてならなかった。
「あ、天宮!上官をおちょくるのはやめなさい!」
「いや、あなたは今、何かを誤魔化そうとしている」
天宮に続く形で、焔が冷静に追撃をかける。彼の眼光はいつもに増して鋭く、長官の心の奥底まで見透かそうとするかのようにギラついていた。
「ほ、焔…?」
思わぬ焔の参戦に、長官は僅かに声を震わせる。
「気付いていないだろうが、あなたは昔から嘘をついたり、何かを誤魔化す時、左手の甲を右手で何度もさするクセがある」
焔の指摘に、長官は「ヒッ」っと小さく声を漏らし、サッと両手を隠した。だが、時すでに遅し。焔は畳み掛けるように長官を鋭く見据える。
「何かあるなら隠さず、今この場で打ち明けていただきたい」
焔と天宮の連携攻撃に長官はたじろき、観念したかのように目を閉じて深く息を吐く。そして、ゆっくりと私たち全員を見据え、こう言葉を続けた。
「…SPTに定められた『特殊警察活動規定法』のことだよ」
特殊警察活動規定法──。
確か、SPTの規約だったっけ。
「元々これに『三条一項』はなかった。条項を加えるよう強く要望したのは、藍子さんなんだ」
その瞬間、会議室の空気が揺れた。
幹部たちが一斉に驚きの声を上げたのだ。
「ほ、本当に…!?三条一項ってあの…!?」
江藤が驚愕の声を上げる。彼の動揺した様子に、私はますます混乱する。
「ああ。草案を見せた途端、加えてくれないかと。理由は答えてくれなかったが、その時、彼女はこう言ったんだ」
長官は静かに目を伏せ、その言葉を口にした。
──いずれわかる。きっとこれが、役に立つはず。
その言葉が落とされるのと同時に、場の空気がさらに揺れる。
「三条一項って?…どんな内容なんですか!?」
私は焔の制服の袖を掴み、問いかけていた。自分でも驚くほど強く握りしめている。しかし、それ以上に驚いたのは彼の表情だった。冷静な彼が、目を見開き、明らかに動揺している。
焔さんがここまで驚くなんて。
三条一項って一体…!?
長官は一同を見渡し、そしてゆっくりと私を見据えた。
「凪さんにも、とても関わりの深い条項だよ。三条一項は次の通りだ」
長官は
──SPTの幹部以上の階級の者から推薦を受けた者は、厳正な審査を経て、専門的な任務に従事する適性があると判断された場合、SPTと同等の任務を遂行する権利を有するものとする──
聞いた瞬間、心臓がドクンと鳴った。
この条項、聞き覚えがある…。確かあれは…。
──私は彼女を、秘密警察SPTに推薦する。
焔が幹部会議で私をSPTに推薦した時。
その根拠として示された条項だ。