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第88話 聖道

 天宮の発言に会議室の空気が凍りつく。私は数日前の彼女の言葉を思い返さずにはいられなかった。


 ──見せてやる。私の覚悟を。


 瓜生は妹を救うために、躊躇なく自らの腕を犠牲にした。今ならわかる。彼女は妹を救うために命懸けなのだ。

 しばしの沈黙の後、会議室に丹後の低い声が響いた。


「何はともあれ、決戦は三か月後。中央刑務所の解体日か…」


 その言葉に応えるように、俯いていた江藤がゆっくりと顔を上げた。


「でも、こっちには凪さんのソルブラッドがある!その力を使えば有利なんじゃない?」


 注目を浴び、思わず肩に力が入る私。顔を伏せそうになったところで、長官が穏やかに尋ねる。


「凪さん、ソルブラッドの力が出せた時のことを聞かせてくれるかな?これまでに何回使えたことがあるんだい?」


 ソルブラッドの力…?


「凪、金色の光のことだ。あれが出た時のことを話してくれないか」


 あ、金色の光か!


 私は頷きながら天井を仰ぐ。


 えっと…今まで金色の光が出たのは…。


 命を絶とうとしたおばあちゃんを引き留めた時。

 対の世界に来た初日、塚田に襲われた時。

 紅牙組で、塚田からまたまた襲われた時。

 そして、先日の瓜生との決戦と、上木の救命―。


 ここまで話して顔を上げると、江藤は静かに顎に手を当て、神妙な面持ちで焔に向き直る。


「その力…ソルブラッド版の人狼化?焔みたいに自分の意志では出せないみたいだけど」

「その認識で間違いない」


 即答する焔。だが、長官は不思議そうに首を傾げる。


「焔、いつから気付いていた?凪さんがソルブラッドの宿主だと」

「紅牙組がミレニアの襲撃を受けた時です。戦闘中、私は彼女から放たれた金色の光を見た。その時、人狼化だと直感しました。ただ、あの時点では信じられなかった。まさか、という思いもあったし、確証がありませんでした。確信に至ったのは、凪の過去の話を聞いた時です。彼女が三歳の時、旅行先の北海道で大怪我をして輸血を受けたと」


「輸血?」

「彼女の血液型は二十五万人に一人しかいない『ボンベイ型』だ」


 会議室が一瞬ざわめいた。そんな中、焔は淡々と続ける。


「大量出血の対処は時間との勝負だ。出血の度合いによるが、遅くても一時間以内に対処しなければ命にかかわる。しかも彼女はボンベイ型。旅行先の病院にあるとは到底思えない。そう思った瞬間、ひとつの仮説が浮かんだ」


 次の瞬間、焔がじっと私を見据え、思わずどきりとする。


「治癒力に特化したソルブラッドのサンプルを幸村藍子が隠し持っていたら…そして、あらゆる血液型に輸血しても拒絶反応が起きない万能の血液だと知っていたら、間違いなく使ったはずだ。凪の命を救うために」


 長官は驚いたように目を泳がせた後、今後は静かに私に尋ねた。


「とはいえ、凪さん。君は自分が宿主とは知らなかったはず。それなのに、なぜ上木が重傷を負った時、迷わず血を使おうと思ったのかね?」


 私は言葉に詰まる。あの時、迷わず血を使おうと決意できたのは、おばあちゃんの傷を治した時のことを思い出したからだ。


 それを思い出せたのは──。


「どうした?」


 焔の問いかけに、私は戸惑いつつ、引っかかっていたことを打ち明けた。


「実は、この世界に来てから、ほぼ毎日おばあちゃんの夢を見るんです。おばあちゃんをソルブラッドの力で助ける夢も何度か見ていたから、上木さんの時も迷わず『血を使えば助けられるはず』って思いました。それに実は…」


 私は頭を整理しながら話す。単なる夢かもしれない。

 でも、そうじゃないかも──。


「昨日もおばあちゃんの夢を見たんですけど、誰かの声が聞こえたんです。その人、こう言ってました。『今見せられるのはここまで』って。だから、今までの夢も…『魂のおじさん』が見せてたのかなって」

「魂のおじさん?」


 ヤトがきょとんとした顔で私を見た。


「うん。低い声だったの。その人の口ぶりが意図的に私に夢を見せているみたいだったんだ」


 言葉を終えると静かな空気が広がる。突拍子もない話に動揺しているのだろう。


「ねえ、凪!昨日の夢はどんな夢?その『魂のおじさん』の声がした時の夢さ!」

「それがね、すっごく不思議な夢で…」


 私は口元を緩めながら、昨日見た夢の話を始めた。


 ──それは、ある昔話。


 別の世界に飛ばされた女の子が狼少年と出会う。

 狼少年は「君は宝物の在処を知っている」と告げ、二人は旅に出る。

 旅の途中、二人は半人前のヤタガラスと出会う。

 ヤタガラスは「宝物を見つけるには導く者が必要。それが僕」と告げる。


「あと、最後に『魂のおじさん』が凄く不思議なことを言ったんです!」

「不思議なこと?」

「はい、それは…」


 ―…私の遺志を継ぐ者が、君を「聖所」へと導く。


「…って!確か!ちょっとうろ覚えですけど!」


 力いっぱい言い放つ私。一方、会議室のみんなは首を傾げたまま。重たい沈黙を破ったのは江藤だった。


「…本当に、ただの夢なのかな?」


 他の幹部や長官が押し黙る中、丹後が鼻で笑った。


「まさか、信じるつもりか?見ろ、幸村凪の締まりのない顔を。本人も夢かどうか、ハッキリわからない様子だ。そんなもの、信じられるか。それに、幸村凪は家族と離れ離れ。家族が恋しくてそんな夢を見た可能性もある」


 ううう…言い返せない。


 私が押し黙ると、焔がハッと慌てた様子で私に問いかけた。


「待て、凪。その人物は『聖所へと導く』と確かに言ったのか?」

「は、はい!聖所って言葉、馴染みがないのでハッキリ覚えてます!」


 私が力強く頷くと、焔は一瞬目を泳がせ、ヤトを見つめた。

 ヤトは嘴を開き、ぽかんとした表情を浮かべた後──。


「………あっ!あ、あああああ!!!」


 会議室中にヤトの大声が轟き、肩をビクつかせる私。


「な、何!?どうしたの!?」

「父さまの伝承だ!出てくるんだよ!『聖所』って言葉!」


 父さま…?

 ヤトのお父さんって確かもう亡くなったって言ってたっけ…?

 そういえば、前にヤトから八咫烏の伝承を聞いたことがあった。

 確かあれは──。


 思い出そうと天井を仰いだ時、会議室の空気は一気に熱を帯びる。


「伝承って何!?初めて聞いた!」

「僕も。詳しく聞かせて」

「貴様…この期に及んで隠し事とは…」


 立て続けにヤトに詰め寄る江藤、天宮、そして丹後。三人の必死さに私は呆気に取られてしまう。


「ヤト。伝承の話、みんな知らないの?」


 ヤトはこくりと頷き、つぶらな瞳を私に向ける。


「うん。だって言う必要ないもん。焔にしか話してないよ」


 すると、次の瞬間幹部たちが一斉に前のめりになった。


「何!?言ってよ!」

「ヤト、大事なことかもしれないんだ!」

「早く言え、カラス!」


 畳み掛けるように迫る幹部たち。その圧にヤトは目をぱちくりさせ、戸惑いの表情を浮かべる。


「ちょ、ちょっと待ってよ!そんな突然…」


 すると、長官がバンッと机を叩き、トドメのひと言をヤトに浴びせる。


「さっさと言う!」


 ヤトは視線を泳がせ、観念したように肩を落とした。


「ううう…。わ、わかったよ…」


 ヤトは静かに目を閉じ、まるで古の唄を紡ぐように伝承を口ずさんだ。


── 血と血の魂が出逢う時

昏明こんめいの刻 影月えいげつ紅く染まりし時

飛石ひせき 境界石きょうかいせきは力を纏い始めん

放たれしその力にて

八咫烏やたがらすは選ばれし魂を聖所へと導く

二つの石を手にせし時

対なる者は力を放ち

時を超えし紡石ぼうせきへの道を開かん ──


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