私はハッと目を覚ました。顔を上げると、窓から心地よい風が入り込み、カーテンを揺らしている。上体を起こすと、私は白い入院着に身を包んでいた。横には脈拍を測る電子機器が淡々と動いている。
ここは、病室…?
「起きた?」
驚いて声のする方に視線を向けると、そこにはSPT幹部の江藤がいた。制服姿の彼は安心したように微笑む。
「あれから三日眠ってたんだよ」
三日…三日も!?
私は一瞬顔を伏せた後、慌てて江藤に向き直る。
「あの…上木さんは!?」
江藤はさらに表情を緩め、落ち着かせるように頷いた。
「大丈夫。助かったよ。意識はまだ戻らないけどね」
私は目を閉じ、長く深い息を吐く。
良かった、本当に…上木さん…。
「あの、焔さんは?ヤトは!?」
すると、江藤が人差し指を口元に当てて「シーッ」と静かに息を漏らした。そのまま私に歩み寄り、隣の仕切りのカーテンをそっと引く。
そこには、焔がヤトを抱き抱えたまま眠りについていた。
「さっきまで起きてたんだけど、流石に寝ちゃったね。焔もヤトも、三日三晩ほとんど寝ずに君を診てたから」
「え?」
私は驚いて焔とヤトの姿を見つめる。スヤスヤと寝息を立てる姿を見ているうちに、胸の奥がじんわり温かくなる。
その時、病室のドアが小さく開き、一人の男性が入ってきた。SPTの隊員だろうか。男性は江藤に何か耳打ちし、すぐに姿を消した。
「何か…?」
「ん?いや、あと五分で見張り交代だって」
「見張り?誰のですか?」
江藤は一瞬口ごもり、小さく笑う。
「君の。蓮華さ…瓜生が君を狙っているから」
江藤はかつての同僚の名を言い直した。彼女…瓜生蓮華はSPTを裏切っていた。親しげに呼ぶことを拒んだのだろう。
「江藤さん、瓜生さんはもしかして…」
「逃げられた。凄いよね。幹部全員を相手に。ただ、負傷しているからそれほど遠くへは逃げてないと思うけど」
「…あの、そういえばどうしてあの夜、応援に来てくれたんですか?」
「長官から指示があったんだ。焔を援護しろ、スパイは瓜生だってね。驚いちゃった」
「…そう、でしたか…」
「それで…」
江藤は軽く咳払いをし、一転して真剣な表情を浮かべる。
「みんな君に色々と聞きたいことがあるみたい。明日にでも、また会議が開かれると思う」
「…はい」
なんとなく察した。会議の議題はきっと瓜生のこと。それに私が持つ「ソルブラッド」のことだ。
「じゃあ、俺行くよ。代わりの見張りがすぐ来るから」
江藤は振り向き、病室から出ようとする。だが、次の瞬間…。
──ぐるるるる…。
情けない音が響き、私は思わず固まる。すると、江藤が驚いた表情で振り返った。目が合った瞬間、私は苦笑いを浮かべて軽く会釈をする。何とか誤魔化そうと口を開いたまさにその時…。
──ぐるるるる!
今度はさらに大きな音が轟いた。私はお腹をサッと抱え、顔を逸らす。昔からこうなのだ。お腹が極限まで空くと、かなりデカイ音が鳴る。家族と親友のひなたしか知らない秘密を、まさかこのタイミングで江藤に知られることになろうとは。
「…ははっ」
不意に漏れる江藤の笑い声。彼を見ると、微かに肩が震えていた。
「売店なら一階のロビーにあるよ。この病院内なら自由に移動して問題ないから」
「は、はあ。でも…」
「ん?」
「売店があっても…お金がありません」
私はさらに情けない声を出した。そう、私は無一文。これまで衣食住はすべて焔が用意してくれていたのだ。
「…給料は?」
「入隊したのちょっと前ですから、貰ってません」
「焔から貰ってないの?その…お小遣い的な」
私はゆっくり頷く。焔ならお金を持っているだろうけど、彼の荷物を漁るわけにもいかないし。
すると、江藤はポケットから財布を取り出し、紙幣を一枚抜き取ると、入口近くの棚の上にそっと置いた。
「これ使って。おつりはいいから」
「え!?そ、そんな…ダメですよ!悪いです!」
「いいから」
江藤の声は短く、どこか優しかった。予想外の展開に私は戸惑いながら江藤を見ると、彼は少し目を伏せていた。
「…江藤さん?」
「…君、たった一人で戦ったんだね。あの瓜生と」
不意な江藤の言葉に私はどう答えていいかわからず、きょとんと彼を見上げた。
「それに天宮から聞いた。上木も君が救ったって。命懸けで」
その言葉に、私は思わずパタパタと手を振る。
「いえ、花丸さんもいたし、上木さんの時は焔さんも…私は結局瓜生さんに負けちゃったし…」
江藤は頭を掻き、申し訳なさそうに笑った。
「正直さ、焔が君をSPTに推薦したの、丹後へのただの当てつけかと思ってたんだ。だからこの子がSPT?って内心馬鹿にしてた。けど…」
江藤は顔を上げ、真っすぐ私を見据える。表情はとても柔らかかった。
「…思ったより、ずっと度胸あるね。君」
そう言い残し、江藤は静かに病室を出て行った。
乾いた足音が廊下に響き、次第に遠ざかっていく。その音が完全に消えてから、私はトコトコと入口近くの棚の前へ行く。
その瞬間、我が目を疑った。江藤が置いた紙幣は、渋沢栄一。そう、一万円札だったのだ。
「い、いちまんえん!?」
思わず声が漏れる。確か、江藤は私と大して歳が変わらないはず。それなのに、何の躊躇いもなく一万円札を渡すとは…。
…江藤さん、太っ腹!
私は恐る恐る一万円札を掴む。視線をベッドで眠る焔とヤトに移した時、江藤の言葉がふと蘇った。
「度胸あるね」
そんなことない。あの時、勇気を振り絞れたのは、焔がいたからだ。
私は、白い包帯が巻かれた自分の手首を見て、この前の夜を思い返していた。不安でいっぱいだった私を、力強く抱きしめてくれた焔。そのぬくもりを思い出すと、胸の奥がじんと熱くなり、熱が顔から耳へと広がっていく。
一気に照れくさくなった私は、カーテンを閉めようと手を伸ばす。すると、突然ヤトが「ううう」と小さなうめき声を上げた。ベッドの上を見ると焔の腕がヤトの首にかかり、軽く絞められるような格好になっている。ヤトはピクピクと動きながら、こんな寝言を漏らした。
「焔…やめてえ…ブロッコリーだけは…ううぅ」
どうやら、夢で大嫌いなブロッコリーを必死で拒絶しているらしい。小さな羽をバタつかせて抵抗するヤトの羽が、今度は焔の顔を直撃。焔は寝ながら眉をひそめる。
その様子に、思わずクスっと笑みがこぼれる。私は、二人を起こさないようヤトをひょいっと持ち上げ、焔の腕の中に優しく戻す。数秒後、二人は再びスヤスヤと心地良さそうな寝息を立て始めた。
そうだ。焔さんとヤトのご飯も売店で買ってこようっと。
私は仕切りのカーテンを静かに閉め、病室を後にした。