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第76話 飛石

「気をつけろ。あの右手、人狼の『陰の気』を感じる」


 焔の忠告に丹後と江藤は一瞬で冷静さを取り戻し、瓜生の動きを見極めようとしている。瓜生の右手を見ながら、丹後が低く呟いた。


「どういうことだ?瓜生は人狼族か?」

「いや、恐らく人狼の血を注入されたんだろう。だが…」

「人狼の血を入れられて正気を保っているなんておかしい。そうだろ、焔?自我が崩壊するはずなのに」

 江藤の鋭い洞察に、焔は頷く。


「ああ。奇妙なことに『人狼化の気配』を感じるのは『右手』だけだ」


 瓜生は前かがみになって咳込、床には、ポタ、ポタと血が滴る。顔を上げた彼女の口元は赤い血で染まっていた。


 その姿を見て、私は横浜での焔を思い出した。人狼化すると膨大な精神力を消耗する。使い続ければ、精神も、肉体も容赦なく蝕まれるのだ。まだ戦闘が始まって十分も経っていない。それでも、彼女が限界を迎えているのは明らかだった。


「…その気を抑制するだけの精神力と体力は持ち合わせていないようだな。一体なぜ君が自我を保ったまま人狼化できる?それも右手だけ…独房でじっくり話を聞かせてもらうぞ」


 次の瞬間、焔の周囲にビリビリとした気迫がほとばしる。突如として襲ってくる禍々しい殺気。息が詰まるような感覚に、私は一瞬胸を押さえる。焔を見ると、彼の毛は逆立ち、瞳は獲物を捉えた獣のように光っていた。焔の人狼化。彼も本気だ。


「ほ、焔!三十分以上はダメだからね!」

「わかっている」


 焔はベッド下に隠していた鞘を取り出し、静かに抜刀した。焔と瓜生。二つの「陰の気」が激しくぶつかり合い、場は強い緊迫感に覆われている。


 一瞬の静寂を破ったのは江藤の銃声だった。鋭い破裂音とともに、数発の銃弾が瓜生へと向かう。だが、瓜生の周囲に渦巻いた「陰の気」が銃弾をあっさりと弾き返す。彼女の「陰の気」は禍々しく、目でもはっきりとその輪郭が見て取れる。灰色というより、もはや黒色に近い。


 突如、瓜生の「陰の気」が強風のように爆発的に広がる。驚く間もなく、私たちは壁にバンッと叩きつけられ、目の前が真っ白になった。数秒後、うっすら目を開けると、視界に広がるのは黒い靄。その中で金色の光がビリビリと小さな稲妻のように迸っていた。あれは…。


 ――電流?


 近くの病室内の機器がバチバチと音を立てながら壊れ始めた。瓜生を見ると、彼女の美しい髪は逆立ち、血走った瞳は狂気の光を宿している。体はよろめいているが、鋭い眼光はしっかりと私を捉えていた。みんなは…?さっき瓜生が放った「陰の気」のせいで、病室は黒い靄が立ち込め、視界が悪い。みんな、無事なのだろうか?すると、瓜生は静かにこう呟いた。


「ごめんねえ、凪ちゃん。私の必勝ルールはね、一番弱い奴から片付けることなの」


 瓜生の言葉が、鋭い刃のように突き刺さる。一歩、また一歩と私に向かってくるたび、私は言い知れぬ恐怖に襲われた。この場で一番弱い敵、つまり――。


 ……私?


「安心して。殺しはしないから。今は、ね」


 次の瞬間、瓜生が思いきり私に向かって駆け出す。瓜生の殺気が容赦なく襲い掛かる。


 ―逃げなきゃ…でも、後ろは壁…!


 頭が真っ白になる私。竹刀を握る手が震え、目をぎゅっと瞑る。もう駄目だ。逃げられない…。その時だった。


「怯むな、凪!構えろ!!」


 突如響いた焔の声。私はハッと目を開けて竹刀を強く握り、構える。すると、耳元で馴染みのある声が響いた。


―――


闇夜を照らす八咫の炎よ

我が魂の導きに従い

盟友なる者に力を宿せ

正しき意志で刃を導け


―――


 これは、確か…。


 ―バチッ!


 電気が走るような音と共に、私の左手首のブレスレットが真紅に輝いた。ブレスレットは光を放ち、一直線に竹刀を覆っていく。前を見ると、瓜生の薙刀が私に向かって切り込んで来るところだった。私は竹刀をしっかりと構え、瓜生の刃を受け止める。瓜生の「陰の気」と赤い光に包まれた竹刀…。互いの力が拮抗する。火花のような光が散る中、私は微かに瓜生の顔を見た。彼女の顔は苦痛に歪んでいる。私は力強く一歩踏み込み、竹刀に力を込める。


 絶対に、絶対に…押し負けない!!


 次の瞬間、瓜生は刃を弾かれ、数歩後退した。

すると、頭上から黒い影が私の肩へとふわりと舞い降りる。ヤトだ。彼は少年の姿からカラスの姿へと戻っていた。今のは、ヤトの「言霊」。八咫烏の力が、私の竹刀に宿っていた。

 徐々に、瓜生の黒い「陰の気」が晴れ、焔やヤト、丹後、江藤の姿が露わになる。


「うちの凪を舐めないでいただこう」

「そーだそーだ!」


 焔とヤトの声を受け、不服そうに舌打ちをする瓜生。二人の声に、私は胸を撫で下ろした。


 そうだ。弱腰になっちゃだめだ。


 私は竹刀をさらにぎゅっと握り締め、瓜生を見据える。

 すると、瓜生は突然、嘲笑うように声を上げた。そして、私を見るなりこう言い放った。


「凪ちゃん、いつまで隠してるつもり?あるんでしょ?あなたの秘密が。さっさと出してみなさいよ」


 病室が一気に静まり返る。ヤト、丹後、江藤の視線が一斉に私へと注がれる。

 私は直感した。瓜生が言っているのは、塚田との戦いで私が見せた「金色の光」のことだ。とはいえ、あれが何なのか聞きたいのは私の方。何か知っているなら教えて欲しいくらいだ。呆然と立つ私を見て、瓜生は鼻で笑う。


「すっとぼけるつもり?見せてもらうわよ。今ここで!」


 そう言い放つなり、瓜生は薙刀を構え、一歩踏み出す。だが、それよりも焔の方が速かった。


「させんぞ!」


 焔は瓜生の背後に瞬時に回り込み、鋭く刀を下ろす。だが、瓜生は紙一重で交わし、右手に陰の気を纏いながらしゃがみ込む。下から焔に斬り上げるつもりだ。

 その隙をついて、私は赤い光を纏った竹刀を握り、全速力で駆け出した。


 焔さんなら、かわせる!この瞬間が、瓜生さんの隙…!


 私は彼女の胴をめがけて竹刀を振る。だが、奇妙だ。竹刀が、瓜生の黒い「陰の気」に吸い込まれていく。陰の気は竹刀から手、腕へと絡みつき、気付いた時には体を動かせなくなっていた。


「やっと捕まえた」


 瓜生が不気味に笑う。


「凪!」


 焔が態勢を整え、間合いを詰める。ヤトも必死に飛んできた。だが、私を捕まえたはずの瓜生は突如私を解放し、陰の気を一瞬でヤトに向ける。体が小さなヤトは抗う間もなく、陰の気に飲まれた。


「う、うわ!」

「ヤト!!」


 叫びながら手を伸ばす私。だが、届かない。すると、瓜生は陰の気を操り、ヤトを後方へと放り投げた。その先にいたのは焔だ。

 ボフッと音を立てて、ヤトが焔の胸元に収まる。


「いてっ!」

「ヤト!大丈夫か!?」


 ヤトを支えた焔は、一瞬動きが止まる。その隙をついて、瓜生は懐から艶やかな黒光りの石を取り出した。私は、その石に見覚えがあった。つい最近、横浜で見たからだ。


 あれは確か…瞬間移動ができる「飛石ひせき」――!

 これから起こる事態を察したのか、焔の目が鋭く見開かれる。


「飛石だ!凪!逃げ――」


 その言葉が完全に届く前に、瓜生はコンパスのような機器に飛石を嵌め、冷たい指で私の腕をガッチリと掴む。

 次の瞬間、重力が引き裂かれるような感覚とともに、視界が一気に暗転した。


 光が消え、音が消え、世界が黒一色に染まる。

 焔の声も、ヤトの声も届かないまま、真っ暗な暗闇が私を包み込んでいった。


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