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第75話 幹部

 スパイを捕えるための作戦を練った日の夜。私たちがいる病室は、緊迫した空気に包まれていた。だが、銃口を向けられた焔は冷静な表情を保っている。彼は「天宮はスパイの尻尾を掴むため、発砲事件をでっち上げた」とだけ淡々と伝えた。ミレニアのスパイである瓜生は表情を強張らせ、ベッドに眠る人影を見て舌打ちをした。


「…じゃあ、あれは…」


 そう、今ベッドで横になっているのは、人間に変化へんげしたヤト。すると、瓜生は続けて私を冷たく見つめた。


「凪ちゃん。じゃあ、あなたの懐にいるのは…」


 私は自分の制服のジッパーをゆっくりと下げ、懐からぬいぐるみを取り出して掲げた。


「人気マスコットの『ペン爺』です!さっきドミ・ノホーテで買ってきました!」

「くだらない…こんな馬鹿げた策に引っかかるなんて」


 瓜生はそう吐き捨て、悔しさを滲ませる。そんな彼女に焔は鋭く言い放った。


「馬鹿げてなどいない。この場に馬鹿がいるとすれば、上木を撃ち殺そうとした人情の欠片もない君だ」


 焔は腕を組み、ゆっくり瓜生に歩み寄る。彼女の銃口は焔を捉えているが、彼に一切怯えはない。まるで「撃てるものなら撃ってみろ」と無言の圧を放っているようだ。私も、そして瓜生も、その気迫を目の当たりにして息を呑む。


「さあ、両手を挙げて、膝をつけ」


 低い声が病室に響く。瓜生は苦笑いを浮かべ、拳銃を片手で持ち、ゆっくりと両手を挙げた。焔が手錠を取り出そうと懐へ手を入れた時、一瞬の隙を突いて瓜生は素早く拳銃を翻し、再び構える。銃口の先は――ベッドで眠るヤトだ。


「ヤト!!」


 私の叫びとほぼ同時に、「パンッ」と乾いた銃声が響く。しかし、ヤトの体を赤いオーラがまとい、銃弾は弾かれた。次の瞬間、少年の姿に変化したヤトが飛び出し、鋭い爪を剥き出しにして瓜生に飛びかかる。


「ここまでだ、瓜生!」

「この、八咫烏め!!」


 瓜生はヤトに向けて立て続けに発砲するが、赤いオーラが銃弾をはじき返す。瓜生が舌打ちするや否や、彼女の背後に焔が音もなく迫る。人狼特有の「陰の気」は纏っていないが、速い!


 ―ガキンッ!


 金属が弾けるような音が響く。焔の鋭い正拳を、瓜生は拳銃を盾にして辛うじて防いでいた。だが、圧倒的な力に彼女の手は震え、銃がきしむ音が聞こえる。


「ちっ!」


 瓜生は苛立った様子で焔に蹴りを放つ。だが、彼は冷静にかわし、一歩距離を取った。瓜生は荒い息をつきながら、壁に背をつけ、息を整える。その表情から諦めの色は感じ取れない。銃弾が無くなったのか、彼女は拳銃を雑に放り投げ、代わりに懐から小刀を引き抜き、睨みながら構えた。


「…そんなもので私と戦う気か?もう一度言う。観念するんだ」


 焔が冷静に言い放つ。だが、瓜生は構えを崩さない。

 その時だった。


 病室の壁が「メリメリッ」と不気味な音を立て、突如として砕け散った。粉塵が舞う中、人間の腕が突き出し、躊躇なく瓜生の首を背後から掴み、締め上げる。


「え!?えええ!?」


 予想外の事態に、私は声が裏返った。瓜生の体は力任せに引き上げられ、僅かに足が床から浮いていた。瓜生は苦痛に顔を歪めて腕を掴むが、締め上げる力は変わらない。


 すると突如、彼女の右手から灰色のもやのようなものが放たれ、瞬く間に彼女の刀身に宿った。瓜生は小刀を逆手に握り、自らの首を締める腕に向かって振り下ろす。


 腕に刻まれる鋭い切り傷。腕は瓜生から離れ、鮮血が床に飛び散る。瓜生は咳込みながら床に崩れ落ちた。


 首を押さえ、肩で息をする瓜生。

 さっき彼女が出したあの灰色の靄。これまでに何度も見た。あれは…人狼族の「陰の気」だ。


「焔さん!今のは…!!」


 驚きの声を上げる私。焔もヤトも、予想外の出来事に言葉を失っていた。だが、呆然としている暇もなく、先ほど腕が飛び出した壁が、豪快な音を立てて崩れ落ちた。舞い上がる粉塵の向こうから姿を現したのは、SPT幹部の丹後だった。


「逃がさんぞ、瓜生!」


 彼の腕は、先ほど瓜生に斬り付けられ、血が滴っていた。だが、それを気にも留めず、彼は瓜生に向かって力強く手を伸ばす。


そういえば、ヤトから丹後さんは「怪力」って聞いたような…。

それにしても、壁を壊すなんて…ちょっと怪力すぎやしませんか…!?


 瓜生も動揺を隠せず、一瞬表情が焦りに歪む。


「この馬鹿力め!」


 瓜生は丹後に蹴りと正拳を交互に繰り出していく。彼女の動きは速く、鋭い。丹後の一撃も凄まじい威圧感だが、モーションが大きく瓜生の素早さに翻弄されている。その時、再び瓜生の右手に「陰の気」が集まり始めた。灰色の禍々しい靄が生き物のようにうごめいている。


「丹後、下がれ!瓜生の右手を見ろ!何かある!」


 声を上げる焔。だが、丹後は止まらない。鋼のような拳を振り上げ、とどめの一撃を繰り出そうとしていた。瓜生は「陰の気」を纏った小刀を構える。軌道は私にもわかった。丹後の喉元だ。


「消えろ」


 冷たく鋭い瓜生の声。彼女はそのまま、何の躊躇いもなく小刀を振り下ろした。だが、小刀が丹後の喉元に触れる寸前、風を切る音とともに、瓜生の目の前を別の小刀が横切った。驚いたのか、瓜生の動きが一瞬止まる。その隙を突き、何者かが丹後の体を思いきり突き飛ばした。粉塵の中から姿を現したその人物は…。


「江藤さん!?」


 現れたのは、江藤だった。丹後と江藤…幹部二人がどうしてここに…。

 慌てふためく私に、江藤は瓜生から目を逸らさず、毅然と懐から拳銃を取り出して構える。


「説明は後!蓮華さん…上木も丹後も殺そうとするなんて…」


 絞り出すような声から江藤の悲痛が伝わってくる。瓜生のことも信頼していたのだろう。しかし、瓜生はそんな江藤に目もくれず、代わりに冷ややかな瞳を私に向ける。


「やはり、狙いは凪か」


 焔が低く呟くと、瓜生は鼻で笑ってみせた。私は病室のベッドの下から竹刀を取り出した。万が一に備えて、ここに置いていたのだ。竹刀を握る手のひらは、汗でじっとりと濡れている。


 しっかりしないと!


 その時、瓜生は懐から何本もの細い棒状のパーツを取り出した。素早い手つきで先ほどの小刀と接続し、固定していく。短かった刃は、たちまち一本の長い武器へと変貌した。


 これは…薙刀…!?


 見覚えのある形状だが、そこから漂うのは尋常ではない気配だった。


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