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第74話 連携

 長官室を出た私たちは、足早に廊下を進んでいた。先ほど長官が神宮医療センターの院長に問い合わせたところ、焔の読み通り「上木凛」という入院患者はいなかった。そして、院長曰く、このことは長官が身分を明かして直接問い合わせた時のみ伝えるよう、天宮が直々に頼んでいたらしい。つまり、これで例の「発砲事件」が芝居だという裏が取れたのだ。


 焔の話を聞きながら、私は胸の奥で込み上げる感情を抑えられなかった。上木はスパイとして利用されながらも、私を守るために命懸けで長官に告発していた。彼女がそんな危険な状況にいたなんて…。何も知らずに過ごしていた自分が情けなくなる。そして、彼女が撃たれたという話が芝居だと知り、心底安心した。


 天宮さんが、きっと上木さんを安全な場所に匿ってくれてる。

 会えたら、お礼を言うんだ。

 私のために危険を冒してくれた彼女に、きちんと。


 私はヤトをしっかり抱きかかえながら、焔の背中を見つめた。これから神宮医療センターで罠を張るらしい。


「焔さんは、天宮さんが病院でスパイが来るのを待ち構えていると?」

「いや、それは違うな。天宮の計画では、奴と服部の芝居に気づいた私たちが、病院で待ち構えるところまでセットだ。あいつは武闘派ではないからな。『後は任せた』と言いたいのだろう」

「そこまで考えてたなんて…天宮凄すぎ!」


 ヤトが感心の声を漏らす。確かに、天宮はスパイの瓜生だけではなく、焔の動きまで読んでこの計画を考えたことになる。


「さっきの服部の言い回し。三年前の幹部昇進試験の話をわざわざ持ち出していた。その話を出せば私が気づくと踏んだんだろう。まったく…」

「どうしました?」

「あいつに踊らされているようで、腹が立つ」


 焔が小さく苛立つのを見て、私とヤトは顔を見合わせて笑った。


「ねぇ、焔!天宮と友達だったって本当なの!?それに、三年前と八年前に何があったんだよう」


 ヤトが好奇心たっぷりに尋ねる。私も気になっていた。それに「友人だった」と服部が過去形で話していたのがちょっぴり引っかかっていたのだ。


「三年前の話は大したことじゃない。幹部昇進試験があいつと一緒だった。一週間のサバイバル試験でヒグマに襲われて、崖から湖に飛び込もうとしたら天宮が腰を抜かした。それで知ったんだ。あいつが高所恐怖症だとな」

「さ、サバイバル試験!?」


 思わず声が裏返る私。そんな過酷な試験があるのか…SPTには…。


「ああ。仕方なくあいつを抱えて崖から湖に飛び込んだ。それを根に持って服部に度々愚痴ってたんだろう。それが、今回役に立つとは。世の中、何があるかわからんな」


 そう言いながら、焔は口元を緩める。


「じゃあ、八年前は?」


 ヤトの問いに、焔は足を止め、視線を落とした。


「…今となってはもう気にしていないが…」


 珍しく言葉を濁す焔。どうやら言葉を選んでいるようだ。


「八年前の秋、天宮に『博物館に行こう』と誘われた。迎えに来たのは服部だ。車に乗って博物館に行って驚いた。開催されていたのは…」

「…開催されていたのは?」

「人狼展だ」

「じ、人狼展?」

「人狼族の歴史と生態に加え、過去に処刑された人狼族の骨格標本、襲撃されて死んだ同胞の遺品なんかが見世物にされていた。…二年前に村が襲撃されたばかりで耐えられず、その場から逃げだした」


 衝撃的な言葉に私とヤトは言葉を失う。彼の表情は冷静そのものだが、その眼差しから心に深く刻まれた痛みが伝わってくる。私は思わず声を張り上げた。


「な、なんで、そんな酷いこと!!」

「人狼族は過去、権力者に利用されて暗殺や誘拐なんかもしていた。天宮財閥とは先祖同士、因縁がある。世間でも、人狼族は人間ではないと差別的に見る者も未だにいるし、十年前の襲撃も自業自得だという声もあったくらいだ。需要があったんだよ」


「でも、許せない!…そんな展示に、焔を誘うなんて!!」

「落ち着け。服部の言う通り、天宮本人は知らなかったんだ。私と奴が仲良くするのを快く思わなかった当主がわざと仕向けたんだろう。私が今後、天宮に近づかないようにな」

「焔さんは…天宮さんを責めなかったんですか?」

「私はそんなに綺麗な人間じゃない。当然責めたし、恨んださ。天宮ともそれ以来口を利かなくなった。だが、今は恨んでいない。むしろ…感謝している」


「感謝…?」

「その翌年から『人狼展』はなくなった」

「そうなの?なんで?」

「二度と開催されないよう、関係各所を駆けずり回って交渉したのは天宮だ。その一件以来、当主から睨まれ、冷遇されていると聞いた。そんなこと、しなくていいのに。…人が良いんだ。あいつは」


 そう言いながら、焔は寂しそうに笑った。


「…焔さん、天宮さんのこと信頼してるんですね」


 私の言葉が唐突に感じたのか、焔は一瞬目を見開く。


「…なぜ?」

「だって、さっきから天宮さんのこと『奴』とか「あいつ」とか呼んでるから。いつも焔さん、相手のこと『君』っていうのに。それってきっと、特別な信頼の証なんじゃないかなって」


 すると、焔は目を伏せて、少し控えめに笑いを浮かべてこう言った。


「そう…なのかな」


 照れたような反応に、私とヤトは目を合わせ、思わず顔がほころぶ。焔の隠された素直な一面が垣間見えたような気がした。


「そうだよ!さっきの焔の推理も、天宮のこと信頼してるって感じだったもん!」

「天宮さんも、焔さんだからこの作戦を託したんですよ!焔さんなら、きっと気づいてくれるって信じたから!」


 私とヤトは声を弾ませ、笑顔でそう伝える。焔は少し照れた様子で、目を細めて柔らかく笑った。その表情が何だか新鮮で、心がじんわり温かくなる。

 だが、焔はすぐに表情を引き締め、冷静な眼差しでこう口を開いた。


「それはそうと、作戦を立てるぞ。これから瓜生をどうするか」

「チームハントとしてのね!」


 ヤトが胸を張り、得意げに言う。チーム名はヤトが考えたもの。私たちのイニシャルから取った名前が、今はしっかり心に響く。


「病室に来た瓜生が、上木にとどめを刺そうとした瞬間を狙うか。天宮もそこを突けと言いたいのだろう」

「病室…誰か寝てないと怪しまれちゃいますよね…。私、ベッドで横になりますか?ちょっと怖いけど…」

「ダメダメ!そんな危ないこと、凪にさせられないよ!それに凪は上木より髪色が茶色だからすぐバレちゃう!」


 ヤトの提案を受け、私は自分の髪を少し摘む。


確かに、上木さんと比べるとちょっと茶色いかも…。


「俺が寝るよ!人間に変化すれば黒髪だもん!攻撃もバリアで防げるしね」


 ヤトは胸を叩いて自信たっぷりな様子だ。それを見て、焔が穏やかに微笑んだ。


「よし、決まりだ。ヤト、頭以外は布団から出すなよ」

「任せて!」


 その時、焔のスマホが鳴った。彼は画面を確認するなり、ヤトに向かって言う。


「長官からだ。横浜の報告書がまだ届いていないらしい。ヤト、至急送ってくれ」

「え!ごめん!昨日送ったと思ってたけど、長官だけ漏れちゃったのかも!」


 報告書?報告書……あっ!!


 私は目を大きく見開き、天井を見上げる。恐る恐る視線を戻すと、焔とヤトがじっとこちらを見つめていた。


「…どうした?凪」


 焔の冷静な声が重たく響く。


 や、やばい…。忘れてた…。

 焔さんから借りた刀の刃こぼれ、報告しなきゃいけなかったのに…。


 私が刀のことを伝えると、焔とヤトは一瞬黙り込んだ。ううう。沈黙が重たい。


「ご、ごめんなさい…」


 ぺこりと頭を下げる私。すると、ヤトが気まずそうに口を開いた。


「いや、その…凪。任務で使った武器は報告書に必ず記載しないといけなくてね…」

「え?」

「つまりね…今回みたいな報告漏れは、監督者の焔が責任を問われて…焔のお給料が減らされちゃうんだ…」

「えっ、ほ、焔さん…!」


 大口を開けて焔を見ると、いつも通りの冷静な表情。だが、その冷静さが今は逆に怖い。


「ごめんなさい!!私のせいで!!!」


 反射的に九十度頭を下げる私。ぎゅっと目を瞑った時、予想外にも焔の手がふわりと私の頭を撫でた。


「…これは、使えるかもしれんな」


 私が頭を上げると、彼の眼は鋭さを携えながらもどこか優し気だった。


「天宮にならって、瓜生にカマをかける。凪、君は横浜の報告書を持って病院のロビーにいろ。瓜生が来たら、声をかけて病室へ案内するんだ」

「え?あ、はい!」


「その間、さり気なく横浜の話を振れ。『報告書、読みましたか?』という感じで。多分、瓜生は報告書を読んでいない。例の発砲事件でそれどころではなかっただろうからな。だが、プライドの高い瓜生なら、嘘でも『読んだ』と言うだろう。その時に刀のことや、私たちしか知らない金色の光のことを口走ったら瓜生は黒だ。塚田から報告を受けていることになるからな」

「は、はい…でも…」


 言葉に力を込めたものの、心に不安が残る。すると、焔が私の気持ちを察したのか、静かにこう問いかけた。


「どうした?」

「…いいんでしょうか?新米の私が、そんな責任重大なことをして」


 すると、焔は一瞬間を置いた後、諭すように私を見据えた。


「…心配するな。これはあくまでも保険だ。案内はともかく、カマをかけて瓜生が口を滑らせる可能性は五十%くらいだ。彼女がもし報告書を読んでいたら、この作戦はきっとうまくいかない。その時はただ案内するだけでいい」

「じゃ、じゃあ、私がやる意味って…」


「負けず嫌いの君らしくないな」

「え?」

「忘れたか?凪。君は、こっちの世界に来てから、スパイにやられっぱなしだ」


 私はきょとん顔で焔を見つめる。


「初日は訳もわからず学校で襲撃され、横浜でも散々な目に遭った。そうだろう?」


 言われれば、確かに…。


「案内も、カマかけ作戦も、瓜生を罠にかける大事な役目だ。君をここまでコケにしたスパイには、君がきっちり引導を渡してやれ」

「は、はい!」


 焔に真っすぐ見つめられ、ドキドキする私。なんだかわかんないけど、いきなり勇気が湧いてきた…。単純だな、私ってば。


「大丈夫。カマかけ作戦がうまくいかなくても、私とヤトが君の分までカタをつける」

「そうそう!大丈夫だよ、凪!」


 焔とヤトの眼差しに私は深く息を吸い込み、ぎゅっと拳を握る。


 よし…。頑張るぞ…!


 そう決意を新たにした次の瞬間、唐突に焔がこう口を開く。


「ところで凪。君は私のカレーを食べたがっていたな。今回の件が片付いたら作ってやる」

「え?」

「ほんと!?やったあ~!焔のカレーだあ!」


 ヤトが目を輝かせながら小さく跳ねる。数日前、紅牙組で食べた焔のスパイスカレーがとてつもなくおいしくて「また食べたい」と伝えていたのだ。


 覚えててくれたんだ。これは嬉しい~。


 だが、そんな幸せな気分は一瞬で砕け散った。


「もちろん、自家製のピクルスも添えて、な」


 頭の中でピキッと嫌な音がする。ぴ、ピクルス…。私がこの世で最も忌むべき食べ物…。固まる私を見て、焔は静かに首を振る。


「まったく。あの刀は護身用と言っただろう。その上報告まで怠るとは。この一件が終わったらじっくりお説教だ」


 焔の言葉に、しょんぼりする私。やっぱり怒られるのね、私は…。


「とはいえ、安心しろ、凪」


 顔を上げると、焔の表情は穏やかで、どこか楽しげだ。


「自分で言うのもなんだが、私はピクルス作りがそこそこ上手いと自負している」


 少しウキウキした焔の声が追い打ちをかける。


 違う…。そういう問題じゃないんですよ、焔さん…!!


「ううぅ」


 小さなうめき声が漏れる私。すると、そんな私の気持ちを察したのか、ヤトが優しく、両翼で私の頭を撫でてくれた。


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