「どうした?」
「何かございましたか?幸村さま?」
二人が同時に尋ねてきて、私は思わず目が泳ぐ。
「SPTとして、いい機会だ。勉強だと思って聞いてみろ」
べ、勉強!?
えーっと、えーっと…。
「…物凄く大したことじゃないんですけど…その…」
私は言葉を探しながら、意を決して口を開く。
「…立派なおひげですね、服部さん」
次の瞬間、静まり返る会議室。こんな状況で何を聞いているんだ、私は。ただ、この人のおひげがどうにも気になってしまう。こんな質問をしてしまいたくなるほどに。とはいえ、やらかした感が半端ない…と思っていると、意外なことに服部は誇らしげな表情を浮かべていた。
「…おわかりいただけますか?このひと手間が」
あれ?不快に思ってないみたい。むしろ嬉しそう。
「はい。右側と左側のバランスが完璧で見とれちゃいました!」
私はへへへと笑いながら頭をかく。すると、服部はホホホと品の良い笑顔を見せた。
「我が家は代々天宮財閥に仕えてきた身ですからな。日本を代表する財閥を支える身ならば品性高潔でなければ。このひげはその象徴。私なりのこだわりです」
「だけど、服部さんはSPTの隊員で、天宮さんの部下なんですよね?」
「仰る通り。私はSPTの隊員でありながら、天宮家に忠誠を誓う執事でもあるのです」
「執事?」
「左様。昂生さまが赤ん坊のころからお仕えしております。昂生さまは、それはそれはお顔立ちも凛々しくて、お優しくて、SPTに入られてからも誠実にお仕事に向き合っておられて…」
服部が語る天宮は、まるでどこかの王子様のようだ。彼の熱意に圧倒されつつ、私は相槌を打つ。そうなんだと思いつつも、胸の奥に違和感が生まれる。すると、服部は突然、大げさにコホンと咳払いをした。
「…とはいえ、今回のことは決して許されることではございません。繰り返しますが、恥さらしも甚だしい!」
表情が一転険しくなる服部。彼の意志に呼応するかのように、自慢の口ひげもさらにぴょんと上を向く。その変化に思わず見入りながら、彼の顔をじっと見つめていたところで、服部が首を傾げる。
「まだ何か?」
「えっと。つまり、服部さんは天宮さんのお世話をするためにSPTに?」
「左様」
「それって凄く、その…過保護すぎやしませんか?」
口に出してから、あっと心で叫ぶ。私ときたらどうしてこんなことを。だが、そんな私の心配をよそに、服部は微笑を浮かべた。
「ホホホ。そう見えるかもしれませんね。我々執事は主人を守り、支えるのが役目。それこそ火の中、水の中、何があっても全力でお支えする所存です」
「そう…なんですか」
「私の入隊は三年前、昂生さまが幹部に昇進されてからでございます。日々誠心誠意お支えしておりましたのに…」
服部は静かに目を伏せる。その仕草には深い落胆が滲んでいた。思わず声をかけようとした次の瞬間、彼は鋭い視線を天井へ向けた。服部の視線を追うと、そこにあったのは防犯カメラ。こちらへ向き、赤く点滅している。
すると、服部はゆっくりと焔へと視線を移す。焔は冷静な表情のまま、服部の言葉を待つかのように視線を返していた。
「…焔さまも、ご心痛のことと存じます。あなたさまは昂生さまと幹部昇進試験を共に受けられたご縁。同期であり、友人でしたから」
服部の言葉が静かに放たれた後、焔の眉がかすかに動いた。
「え!?同期!?」
「友人!?そうなんですか?」
焔さんと天宮さんが友人…。タイプが全然違う二人に見えるけど…。
いや、待てよ。さっき、服部さんは「友人でした」って…?
「昂生さまは度々話しておられました。三年前の試験のことを。覚えていらっしゃいますか?」
静かに問いかける服部。声色は控えめだが、その視線には力が込められていた。
だが、焔はわずかに首を傾げて素っ気なく答える。
「…さあな。悪いが、関心がないことはすぐに忘れる。行くぞ。凪、ヤト」
そう言うと、焔は立ち上がり、躊躇うことなく会議室の扉へ向かった。
え!?切り替え早っ!
そう心の中で突っ込む私。ところが、焔がドアノブに手をかけたところで、服部の声が響く。
「お待ちくださいませ、焔さま」
ゆっくりと振り返ると、瞳に飛び込んで来たのは、先ほどよりも姿勢を正した服部の姿。どうやら、どうしても言いたいことがあるようだ。
「…八年前のことは流石に覚えておいででしょう」
八年前…?一体何の話…?
「なかなかお話できる機会がないのでこの場を借りて申し上げます。あの日のこと、昂生さまはずっと気にされておりました。あなたを深く傷つけたと」
私は焔の表情を伺う。冷静な面持ちだが、服部の話にしっかりと耳を傾けているように見えた。
「…白状いたします。あの日のこと、私はすべて存じておりました。ご主人さま…昂生さまのおじいさまから聞いていたのです。その上で、私があの場所へあなたをお連れしました」
そう言いながら一瞬顔を伏せる服部。だが、すぐに顔を上げて焔を見据える。その瞳は、どこか自責の念を含んでいるように見えた。
「随分と年月が経ってしまいましたが、私の行動がどれだけ、あなたたち人狼族の尊厳を傷つけたか…。悔やんでも悔やみきれません。深くお詫び申し上げます」
そう言うなり、服部は深々と頭を下げた。突然のことで私とヤトは言葉を無くし、ただ二人の会話を見守る。
「今や、昂生さまは裏切り者の恥さらしでございます。ただ、どうか信じていただきたい。あの日、昂生さまは何も知らなかったのです。いつものように、純粋に話したくてあなたを誘った。どうか、そのことだけは信じていただきたい」
服部の声には、確かな切実さが込められていた。
しばしの沈黙が会議室を包み込む。焔は深く息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「…先ほども言ったが、関心がないことは忘れるタチだ。何を気にしているのか知らんが、忘れている以上、気にされたところでどうしようもない」
焔の言葉は素っ気なく、少し冷たさを感じさせた。何か確執があるのだろうか。服部もそれ以上は何も言わず、わずかに目を伏せる。すると、焔は一瞬部屋の防犯カメラをじっと見据える。私もつられて見ると、カメラは服部の方を向いていて、今私たちが立っている扉辺りは死角になっていた。
「…敢えて言うなら」
言葉を続ける焔を見て、驚いた。先ほどとは一転、穏やかな笑みを浮かべていたからだ。
「裏切り者で恥さらしの天宮は、私が必ず連れ戻す。煮るなり焼くなり、好きにしろ。長年仕えているあなたには、その資格がある。それに奴は、あなたをとてつもなく信用しているようだ。…そうですよね?
名前を呼ばれた途端、服部は驚愕の表情を浮かべる。焔は服部に軽く頭を下げ、会議室を後にした。
焔さん…?今、
戸惑いつつ、私も会議室を出る。扉を閉めようとした瞬間、深々と頭を下げる服部の姿が目に入った。まるで焔に感謝の意を伝えるように。
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会議室を出た後、私はヤトを抱きかかえ、焔の背中を小走りで追いかけていた。
「焔さん、これからどこへ?」
「長官室だ」
そう告げる彼の足取りには、さっきよりも迷いがない。
「どうだった?服部の話は?」
「…うまく説明できないんですけど、違和感があったような…」
「君の質問に対する、服部の答えだろう?」
「はい。でもなんて言ったらいいんだろう~」
目を泳がせる私。違和感は、服部の言葉の何かだ。でも、具体的に何かイマイチ掴めない。情けないと思いながら俯いたその時だった。
「君も、少しずつSPTが板についてきたな」
「え?」
「その違和感こそ、今回の謎を解く鍵だ」
そう言いながら焔は、柔らかな笑みを向けた。