SPT本部に来た私たちは、花丸を受付に預けた。「対の世界」に来た後の出来事の詳細な聴取と今後の手続きが必要らしい。
花丸を受付に残し、私と焔、ヤトは二階へと向かう。行先は天宮の執務室。天宮は本当にスパイなのだろうか?だが、そんな思考を打ち消す光景が、目の前に広がっていた。
執務室の扉は半開きで、黄色いテープが貼られていた。テープには「立ち入り禁止」の文字。これって確か…。
――現場保存。
ドラマや映画でよく見る、事件が起きた時に警察が現場を封鎖するために使われるテープだ。
「焔さん!これって…」
思わず声が漏れる私。焔も状況を飲みこめない様子で、目を細めながらテープの向こうを凝視している。薄暗い執務室の中では、数人のSPT隊員が床や机、本棚を入念に調べていた。私たちが呆然と立ち尽くしていると、隊員を指揮する人物がこちらを向く。
「あ!焔!」
静まった空間にSPT幹部の江藤の声が響く。幹部最年少で、先日紅牙組に応援に駆けつけた人物だ。
「一体何事だ?天宮は?」
間髪入れずに尋ねる焔。江藤は一瞬目を泳がせ、視線を床に落とす。
「それが…大変なことになってさ」
「大変なこと、ですか?」
「なになに!?何があったの!?」
「…実は、SPTにミレニアのスパイがいたんだ」
唐突な言葉に私たちは顔を見合わせる。なぜ、スパイの情報が…?私たちと長官しか知らないはずなのに。すかさず焔が、低い声で江藤に問う。
「どういうことだ?誰から聞いた?」
「
「服部?」
聞き慣れない名前に首を傾げる私。私の腕に抱えられたヤトがこう囁く。
「天宮の部下だよ!一番近い参謀みたいな感じ」
「へええ」
でもどうして、服部という人がスパイの情報を…?
「服部が告発してるんだ。自分の上官である天宮はミレニアのスパイ。昨日、上木に発砲して逃走したってね」
衝撃的な発言に、私たちは完全に度肝を抜かれた。
天宮さんが発砲…?
それも上木さんに…!?
「そ、それで!?上木さんは!?」
思わず声が上ずる。すると、江藤は安心させるかのように柔らかな声で答えた。
「意識は戻らないけど、とりあえず大丈夫。急所は外れてたみたい」
私は両手で胸を押さえて、ゆっくり息を吐く。良かった…無事で…。
「詳しく話せ」
鋭い眼光を江藤に向ける焔。迫力に圧倒されたのか、江藤は若干しどろもどろになる。
「お、俺に聞かれてもさ。わかんないよ。幹部全員集まったら服部の聴取をすることになってる」
焔はふうっとため息をもらし、天井を見上げる。この状況、彼も相当予想外だったのだろう。江藤も同様に困惑しているようだ。
「ビックリだよ。俺、天宮のこと尊敬してたから。今回の件、丹後も蓮華さんも相当驚いててさ」
江藤は寂しげに笑いながら肩をすくめた。幹部の丹後志門はおばあちゃんを恨んでいるらしく、私への当たりも相当キツイ。そして、瓜生蓮華は幹部唯一の女性。彼女は確か上木の上官だったはず。
「蓮華さん、烈火の如く怒り狂ってたよ。天宮を見つけ次第、斬りかかる勢いで。まあ、ブチ切れるよね。自分の部下だもん。俺だって上木と同期だし、こんなことするなんて許せないよ」
「…同期?でも、江藤さんは幹部で、上木さんは幹部ではないですよね?」
私の発言に、江藤は少しきょとんとしながらこう告げた。
「ああ、そうだよ。俺は去年、幹部昇進試験を受けて幹部になったんだ。上木も優秀だけど、あいつ人見知りだからさ。幹部みたいに人を指示するポジションは性に合わないじゃないかな」
「そうなんですか…」
「それで?丹後と瓜生はどこへ?」
「丹後は三階の通信室を調べてる。天宮は通信室で上木に発砲したんだ。蓮華さんは警察と協力して検問。今こっちに向かってる。……はあぁ」
言い終わるなり肩を落とす江藤。どうやらかなりショックを受けているらしい。すると、ヤトが嘴を私の耳元に寄せ、小声で囁く。
「ねえ、通信室ってさ…前に凪の位置情報が盗まれた場所だよね。もし、そこで天宮が何かを確認していたとしたら…」
私はハッとした。そうだ。私が対の世界に来たあの日、スパイは外壁をよじ登って三階の通信室へ侵入し、私の位置情報を調べて塚田に知らせた。今回の事件も前回同様、私の居場所を通信室で調べていたとしたら?
事件が起きたのは、上木さんが撃たれたのは、私のせい…?
そんな思いがよぎり、胸がぎゅっと締め付けられる。私の心情を察知したのか、ヤトが慌てて頭を伸ばし、頬ずりをしてくる。肌から伝わる温かいぬくもり。ヤトを撫でながら、私は少し平静さを取り戻す。今は、目の前の状況に集中しなくては…。
「君は執務室の捜査か?手がかりは?」
焔の問いに江藤は苦い表情を浮かべ、首を振る。
「何も。本人だけが忽然と消えたって感じ。何が何だか…」
焔は顎に手を当て、執務室をじっと見つめていた。執務室は窓が開けられていて、わずかに風が吹き抜けている。貼られた黄色いテープが風で揺れるのを見ながら、私は湧き上がる不安を消化しきれずにいた。