財前との会話が終わった後、私たちは中庭で談笑していた。
「あの部屋、財前の部屋だったんだね!ビックリしたけど、俺納得しちゃった!」
確かに、自室のみならず別室にまでエッチな雑誌やポスターをしっかり用意しているなんて、ある意味財前は期待を裏切らない。ヤトの言葉で、場は一気に笑いに包まれる。
「焔君、凄いよ。『駆け引きはしない』って言い切って」
「ほんとです。あの迫力満点の組長さんを相手に…」
花丸の言葉に私は頷きながら答えた。風間は終始穏やかな口調だったが、「極道の組長」としての威厳が目線や仕草の一つひとつから感じられた。だが、一方の焔は少しはにかみながら首を振っている。
「私は駆け引きが苦手なんだ。無闇に腹の探り合いをするより、言いたいことを素直に伝えた方が余程いい。駆け引きが得意なのは、SPTでは
「天宮さん?」
思わぬ名前の登場に私は驚いた。天宮はSPT幹部の一人。歳は焔や花丸と同じくらいだろうか。
天宮さんはニコニコ系でほんわかしている感じ。
駆け引きが得意なんて、ちょっと意外だなあ。
天宮さんといえば…。
私はSPT審査での決闘後のことを思い返していた。決闘後、彼はわざわざ私のところへ来て、意味深な質問をした。そして、なぜか私の左手首をそっと掴んで来たのだ。あれは一体何だったのだろう。
そんな思いを巡らせていると、ヤトがぴょんぴょん跳ねながら軽快な声を上げた。
「あ!財前!」
「おう、おめえら。十五分振りだな。ホレ、焔」
財前は笑みを浮かべながら雷閃刀を焔に手渡した。
「話していた雷閃刀だ。頼んだぜ」
「ああ」
目を見合わせて笑う二人。すると、花丸が突然思い悩んだ表情を浮かべ、重々しく口を開く。
「僕…ここに残ろうかな」
「ああ?また研修医として頑張るって言ってたのに、怖気づいたのか?」
「だって、ここはまた襲撃されるかもしれないんですよね?誰かが怪我をしたら…」
花丸は紅牙組、特に財前に恩を感じている。襲撃の危険性を知り、気がかりなのだろう。だが、すかさず焔がこう告げる。
「心配ない。明日から紅牙組の周辺をSPTが見張る。怪しい動きがあれば、すぐに応援に来られる体制も整えておく」
「さっすが焔!」
感心の声を上げるヤト。その言葉に私や財前、そして花丸も安心したように胸を撫で下ろした。
「…だとよ。心配すんな。まあ、また近くに来たら遊びに来いや。その時は飯でも…いや…」
財前は花丸の耳元に顔を近づけ、にやりと笑う。
「その時は…俺が男の遊びを教えてやる」
途端に顔を赤くする花丸。手を顔の前でパタパタとさせて慌てふためく。
「え!?い、いや、僕はそんな…」
「任せとけ、お前好みの可愛い子ちゃんがいる店に連れてってやるからよ。俺はよーくわかってんだぜ。お前がムッツリだってこともなァ」
いやらしい笑みを浮かべながら小声で囁く財前。花丸は顔を真っ赤にして俯く。
財前さん、完全に親友の「対の花丸さん」と、この花丸さんを重ねてるな…。
私はすかさず割って入る。
「スケベターンはそこまでです、財前さん!花丸さん、困ってるじゃないですか!」
「ごちゃごちゃうるせい!それともなにか?耕太に変なこと吹き込まない代わりに、お前が色々教えてくれるってわけか?あん?」
そう言って、財前はにやりと笑う。
また始まった…一体どうしたらそういう話になる?ここはキッパリ、ハッキリ態度で示さなければ。言い返そうと意気込んだ次の瞬間…。
「財前」
焔の低く落ち着いた声が響く。彼の表情を見ると、いつもより眼光が鋭い。ほんのちょっぴり怒りが込められていた。
「君は私との賭けに負けただろう。改めて言うが、凪に構うな」
――きゅん。
焔さん…。
ハッキリ言ってくれるなんて、やっぱり格好いい~…。
…だが、そんな胸きゅんタイムも束の間。財前は思いがけないことを口にした。
「…賭け?何のことだ?」
私と焔は同時に目を見開き、財前を見る。すると、財前は口の端をわずかに上げ、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「…焔よ。お前、何か勘違いしてねえか?あの時、お前は確かに『自分が勝ったら凪に構うな』と言った。だがよォ、俺は『わかった』なんて言った覚えはねえぜ。『面白くなってきた』くらいは言ったかもしんねえがよ」
私はあの時のやり取りを思い返していた。そういえば、確かにそうだった気がしないでもないけど…。
「今更そんなこと言って!ずる過ぎ!」
心の声が思わず口を突く私。すると、財前は肩を揺らして豪快に笑う。その声があまりに大きく、場違いなほど軽やかで逆に怖い。
「何とでも言いやがれ!焔よ。あの会話は、俺から言わせりゃただの茶番だ。口約束どころか……お前の可愛い独り言に過ぎねえんだよ」
その瞬間、ピリっという音が聞こえた気がした。焔が一歩ずつ、ゆっくりと財前に向かって歩を進めていく。焔が歩み寄るたび、温度が下がっていくような気がして身震いする私。私はそれ以上財前が地雷を踏まないよう、慌てて彼の和服の袖を引っ張る。だが…。
「俺に約束守らせてえなら、契約書でも持って来やがれい!」
時すでに遅し。一瞬の沈黙の後、私とヤト、花丸が恐る恐る焔の様子を伺うと、意外や意外。彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「…これはこれは。恐れ入ったよ」
笑ってる…?焔さんなら、絶対怒ると思ったけど…。
だが、そんな焔の笑みは一瞬にして消え、冷たく、鋭い空気が周辺を覆う。
「…まさか、紅牙組の若頭が、こんな小狡いことを言うとはな」
指をポキポキと鳴らす焔。次の瞬間、禍々しい殺気がぼわっと広がった。これは、あの陰の気…。財前も察したのか、反射的に「うおっ」と声を漏らす。
「契約書など必要ない。代わりに今すぐ詫び状を用意して貰おうか。君の血判も添えて、な」
一触即発の空気の中、割り込むようにか細い男の声が響く。
「あ、あの。ほ、焔さん…その…組長がお呼びです…」
紅牙組の若い男が草むらの影からそっと言葉をかける。すると、焔はふっと陰の気を引っ込める。焔は財前を睨みつけた後、ヤトに向き直る。
「ヤト。財前が妙なことをしたら、容赦なくぶちのめせ」
「うん!」
ヤトが意気揚々と私の肩に乗り、バサッと羽を広げてガーっと鳴きながら財前を威嚇する。だが、財前は動じず笑みを浮かべながら私たちと焔を交互に見る。
「…ったく。焔の奴、ちょっとからかっただけですぐブチ切れるから面白いぜ」
「面白いのはお前だけだ!このドスケベ!」
「人のこと、そうやっておちょくって!」
「わかった、わかった。さっきのは冗談だって。ただよォ、俺は一応極道だから、焔みてえなSPTとベタベタするわけにいかねえのよ」
「え?」
「近すぎると窮屈だし、遠すぎても張り合いがねえ。俺はこんくらいの距離で睨み合ってる方が性に合ってんだよ。その方が、次の喧嘩も盛り上がるしな」
言い終わると、財前は突然私の頭を豪快に撫でた。勢いがあり過ぎて、私のボブヘアはたった三秒でボサボサに…。
せ、せっかく綺麗に整えた寝癖が…!
文句を言おうと財前を見上げると、彼は一転、穏やかな表情を浮かべつつ、花丸をちらりと見てこう言った。
「頑張れよ、凪。次に会う時まで、耕太のこと頼んだぜ」
…この人は不意にこんな表情をするのだ。いつも決まって、大切な友人、花丸耕太の話をする時は。
ボサボサ頭のまま、私は財前に笑顔を向けた。次に会う時は、もっと強くなってみせますからね。そんな決意を込めて。