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第60話 洞察

 紅牙組組長、風間かざま烈牙れつがの和室は財前の和室の隣だった。部屋には刀や絵画、タバコの煙が染みついた掛け軸、隅には酒の空瓶が置かれている。


「ようこそ。さあ、どうぞ」


 藍色の和服に身を包んだ風間は、紳士的に私たちを招き入れる。私と焔、ヤト、花丸は軽く会釈をして、中へと足を運ぶ。財前も最後に入室し、静かに襖を閉めた。


 この人が紅牙組の組長―。

 年齢は四十代くらい。紳士的な物腰の一方で、鋭い眼光を携えている。そして、顔にはいくつもの古傷。死線を何度も潜り抜けてきたかのような、そんな威厳を感じさせる。

 私は目の前の座卓にふと目を落とす。座卓の上には雑然と古い本が積まれていた。


 なんだか、仕事部屋っぽい感じ。流石組長さんだなあ。


 そう思った矢先、私の腕の中でヤトがモゾモゾし始める。そして、次の瞬間…。


「ぷしゅん!」


 室内が少し埃っぽかったのか、ヤトが小さなクシャミをする。

 驚いたのか、今度は花丸がクシャミを、そして私もつられてクシャミをしてしまった。

 私たちは一斉に前かがみになり、座卓に積み上げられた本の山に触れてしまう。


「あっ…」


 本がバタバタと崩れ、慌てて元に戻す私たち。すると、崩れた本の間から、一冊の雑誌のページで開いた状態で露わになり、私は目を丸くした。そこには、セクシーなお姉さんがセクシーなポーズを決めた写真が載っていたのだ。


 思わず目を合わせる私と花丸。

 すると、風間は慌てふためき、手を伸ばして雑誌を奪うように取る。


「いや。これはだな…誤解しないように。隠そうとしたわけじゃないんだよ」


 諭すように告げて雑誌を後ろに隠す風間。だが、その拍子に後ろの壁に掛けていた絵画に手が触れ、額がカタリと傾く。剥き出しになった壁を見て、私たちはまた目を丸くした。そこには、さらに大胆なポーズを取ったセクシーなお姉さんのポスターがあったのだ。


「これはまあ…芸術作品だよ」

「芸術とは…なかなか、深い解釈ですね」


 焔は半ば呆れながら、小声で呟いた。


 紅牙組って、財前さんだけじゃなくて、組長さんもドスケベだったのか!


 心の中で呟き、納得するように頷く私。その時、財前と目が合った。彼はにやりと笑いながら、私たちを見る。一方、風間は照れくさそうに頭を掻いた。


「いやいや、お恥ずかしい。隠しても滲み出てしまうものだね、スケベ心というのは」


 風間は上等な生地の座布団を私たちに手渡し、座るよう促した。彼もあぐらをかきながら腰掛けると、ひとつ咳払いをする。


「改めて挨拶をさせてもらおう。私が紅牙組三代目組長、風間烈牙だ。我々と共闘してくれて、心から感謝申し上げる」


 風間は膝に手をつき、深々と頭を下げた。


「君たちのことは、財前から報告を受けていたよ。留守にしてすまなかった。野暮用があってね」

「確か、馴染みの占い師のところに行かれていたとか。人狼族の陽の血『ソルブラッド』を探していると聞きました」


 焔が鋭い声で切り込んだ途端、空気が張り詰めた。そう、紅牙組は、対ミレニアのために「ソルブラッド」を探していた。ソルブラッドは一般人に入れても拒絶反応が起きず、人狼の力をリスクなく手に入れられると紅牙組では考えているらしい。


「流石、人狼族の戦士。同胞の血の在処が気になるかね?」

「はい」


 風間の瞳に、わずかな警戒心が宿る。だが、彼はすぐに柔らかな笑みを浮かべ、少し笑い声を漏らした。


「失礼。まさかSPTの幹部が、こんなに率直な男とは思いもよらなくて。とはいえ、君の頼みを簡単に聞き入れるわけにはいかない。それより、まずはこちらの質問にいくつか答えてくれるかな?」


 風間の声が低くなる。だが、その瞬間、焔はわずかに姿勢を正して黙る。焔は部屋を静かに見渡し、ゆっくりと息を吸った後、意を決したように鋭い眼差しを風間に向けた。


「その手には乗りません」


 唐突な焔の返答に私たちは一斉に焔を見る。風間も焔の返答が意外だったのか、わずかに眉をひそめる。


「単刀直入に申し上げます。私は、あなたと駆け引きをするつもりはありません」


 冷静ながら力強い言葉。私とヤト、花丸は、焔の真剣さに思わず息を呑む。


 駆け引き?どういうことだろう?


 焔は一呼吸置くと、さらに踏み込むよう言葉を続けた。


「実は滞在中、組長であるあなたについて調べさせてもらった」

「ほう」

「SPTの情報収集班によると、奇妙なことに紅牙組の組長、あなたに関する情報は驚くほどなかったそうです。ただひとつ、あなたが『非常に用心深い人物』であることを除いては」


 風間は微笑みながら湯呑に手を伸ばし、音もなく茶をすする。その動作の中にも、一瞬の隙がないように見えた。


「あなたは軽々しく人前に姿を現さない。だから情報がない。あなたは、会う相手が信頼に足る人物かどうか判断できなれば、腹を割った話をしないのではありませんか?」


 焔の口調は冷静でありつつも、相手を見透かすような鋭さを宿していた。それに気づいたのか、風間の笑みがわずかに深まる。


「紅牙組の血の気の多さは関東では有名だが、そんな紅牙組が三代に渡り、関東の極道社会で勢力を保っているのは、単なる武力の賜物たまものではない。数多の交渉の場で敵の真意を見極め、主導権を握ってきたからだ。時によっては共闘し、時によっては粛清しゅくせいする。そうやって今まで紅牙組を率いてきたのではありませんか?」


 焔の言葉に、風間は余裕の笑みを浮かべる。


「なかなか、面白い見解だね。我々について、随分知ったような口ぶりじゃないか」

「そう思った根拠は、そこにいる財前です」


 次の瞬間、私たちの視線が一斉に財前に向けられる。財前は、襖に寄りかかる形で立ちながら、腕を組んでいた。緊迫した空気の中でもうっすらと微笑を携えている。まるで、焔と風間のやり取りを楽しんでいるかのようだ。


「初めは豪快で直感的な男だと思ったが、実際のところかなり計算高い。滞在中、私たちはこの財前に幾度となくカマをかけられ、思わぬことを口走ってしまうことがありました。だからこそ、こういった交渉事の場数を踏んでいるのではと思ったのです。そして、極めつけはこの部屋に来た時。あなたが我々を試そうといると確信しました」


 試そうとしている?


 私と花丸、ヤトは何のことがわからず、顔を見合わせて首を傾げる。だが、焔を見ると、彼は目を逸らすことなく風間を見据えていた。その様子を見て私はうっすらと察した。この場は単なる雑談のために設けられたものではなかったようだ。

 焔は座卓を指でそっと撫でた。彼の指先には薄く埃がついている。


「たった数日留守にしていただけなのに、埃が随分溜まっている。隣は財前の和室でしたね?この部屋の主は本当は財前で、ここは彼の別室なのでは?スケベなフリをして我々を油断させた上で踏み込んだ質問をし、信頼に足る人物か見極めようとしていたのではありませんか?」


 私は周囲を見渡して、ようやく納得した。私たちは以前、財前の和室に入ったことがある。その部屋とこの部屋は、確かに雰囲気がどことなく似ているのだ。

 数秒の静寂の後、風間は口元に小さな笑みを浮かべ、低い声でこう答えた。


「紅牙組に関する重要な面会や交渉事がある時、私は必ず、まず財前を出す。君の言う通り、この男は一見豪快で短絡的なように見えるが、観察眼がずば抜けていてね。財前は、君たちにかなり信頼を寄せているようだ。だが…」


 風間は湯呑を手に取り、一口含んだ後で静かに置いた。


「それでも私は、初対面の人間を基本的に信用しないことにしている。疑いながら観察し、相手の真意をしっかりと見極めなければ組の存続に関わるのでね。相手を油断させるために、こういう物は何かと役に立つ」


 言いながら、風間は座卓に置かれたエッチな雑誌を手に取り、軽く振って見せる。その仕草は、どこか余裕さえ感じさせる。


「とはいえ、部屋のことまで見抜かれていたとは。なかなか鋭いね」

「この部屋に置かれた酒瓶、そして、今あなたが手にしている雑誌。同じ酒瓶、同じ女性が写った雑誌を、財前の和室で見かけましたから」


 焔が淡々と語ると、財前が口笛を吹きながら軽く笑う。


「やるじゃねえか、焔。俺の可愛い子ちゃんを、ちゃんと覚えていやがったとは」


 って、感心するとこはそこかい!…と私は思わず心の中で突っ込む。


 風間と財前が目を見合わせて笑う。やはり、二人ともこの状況をどこか楽しんでいる様子だ。だが、風間の視線が再び焔に向けられると、空気がピリッと引き締まる。


「それで?自らの洞察力をご披露いただいたところで、君は一体何がしたいのかね?」

「先ほども申し上げた通り、腹の内を探るような駆け引きを、あなたとするつもりはありません。こちらが提案するのは対等な情報交換です」

「対等な情報交換?」

「はい」


 焔は一呼吸置き、落ち着いた口調でこう続けた。


「あなたたちには知っていただきたい。ミレニアの真の目的、すなわち磁場エネルギーの在処を巡る争いについて」


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