「ねえ、ヤトは魔法使いだったの?」
私が尋ねると、ヤトはきょとんとした表情を浮かべ、バサッと羽を広げてみせる。
「あれは『言霊』なんだ!魂に合った言霊を唱えることで、力が出せるんだよ!魂はみんなバラバラだから、詠唱に使う言霊もみんな違うんだけど…」
「へえ~!じゃあやっぱり、ヤトだけの呪文みたいなものなんだ!格好良かったあ!」
「でしょ!?えへへ」
ヤトは首を傾げ、照れ笑いをする。だが、すぐに昨日の出来事を思い出したのか、しょんぼりし始めた。
「…だけど、俺はまだ一人前の
そう言いながら、ヤトは自分の足を見る。ヤトの足は他のカラスと同じ二本足。「真の八咫烏」になれば、足が三本になるらしい。
「昨日も、たった三回くらいの詠唱でバテちゃったしさ。真の八咫烏になれれば、昨日の秘術だって絶対成功したのになあ…って、ヤバ…!」
ヤトは焔を見ながら言葉を止め、慌てて両翼で
「秘術だと?まさか『口寄せの術』か?」
「あ…えっと…それは…」
ヤトは焔の質問にあからさまに目を逸らし、身を縮めた。
「口寄せの術?」
「八咫烏に伝わる秘術だ。人間に
「だが?」
焔はヤトとじっと鋭く見つめる。ヤトはその視線に耐えられないのか、つねられたまま思いきり顔を背ける。
「精神が未熟だと失敗しやすいし、心身の消耗が激しい。この術で命を落とす八咫烏もいるくらいだ。まったく、君はまだ半人前だろ。軽率なことをして」
焔はヤトの顔を離しつつ、ため息をつく。
「…罰として、帰ったらブロッコリーだ。覚悟しろ」
「え!?そ、それだけは…ブロッコリーだけは…ううぅ」
か細い声で鳴くヤト。どうやら、ブロッコリーがとてつもなく嫌いらしい。うなだれるヤトを見ながら、私は昨夜のことを思い出していた。
ヤトがカラスを呼んで私と花丸を逃がしてくれた時、空に向かって確かに口笛を吹いていた。カラスを呼んだのかと思ったけど、あれが「口寄せの術」だったんだ…。
「く、口寄せの術は肉親を呼ぶと成功しやすいんだ!だから父さまの魂を呼ぼうと思って…」
「言い訳をしてもブロッコリーだ」
「うぐ…そ、そんなこと言ってさ!焔だって、俺との約束破ってるじゃん!昨日、ずーっと人狼化してたよね!本当は三十分が限度なのに!」
ヤトが焔の手を離れ、ぴょんぴょん跳ねながら、彼にビシッと羽を突きつける。思わぬ反論だったのか、焔は一瞬たじろいで視線を逸らし、サッと両手を腰に回して爪を隠した。
「ふんっ。隠したって無駄さ!さっき見ちゃったもん!爪が伸びてた!人狼化して限界を超えた証拠だよ!」
「……目ざといな」
「長時間、人狼化すると危ないの?」
私がきょとんとしながら聞くと、ヤトが自慢げに胸を張って答える。
「うん!人狼の『気』は、長く出し過ぎると本人の体に負担がかかるんだ。だから三十分以上は人狼化しないって俺と約束したのにさ。自分のこと棚にあげちゃって!」
そうか…。私は合点がいった。
焔が人狼族の「気」を発した時、彼の手の甲や頬が突然裂け、血が滲んでいた。やっぱり人狼の気を出し続けるのは危険だったんだ…。
「俺がブロッコリーっていうなら、焔こそ…焔こそ…!」
ヤトは思いきり息を吸い、目をぎゅっと閉じて叫んだ。
「…帰ったら梅干しだ!覚悟しろ!!」
ヤトの発言を聞いて、私と花丸は思わずズッコケてしまった。どうやら、焔は梅干しが苦手らしい。ブロッコリーも梅干しも美味しいのになあ。そんなことを思いながら焔を見ると、あからさまに顔を背け、肩をプルプルと震わせている。
…もしかして、笑ってる?
肩を震わせたまま、焔は一度軽く咳払いをすると、私たちに向き直った。その瞳は、ほんのり潤んでいる。
「わかったわかった。梅干しでもなんでも食べるから、『口寄せの術』はもう使うな。心配なんだ」
そう言って、焔は優しくヤトを撫でた。だが、ブロッコリーが相当気に入らないのか、ヤトは羽をバタつかせながら念押しする。
「ズルして丸飲みするなよ!ちゃんと噛めよ!」
「はいはい」
焔とヤトのやり取りを見ながら、私と花丸は思わず笑いが込み上げる。
この感じ、なんか久しぶりって感じだなあ~。
すると、焔は花丸を見つめ、じっと考え込み始めた。
「…ん?どうかした?」
花丸が尋ねると、少し間を置いて、焔がこう切り出す。
「いや、君たちが元の世界に戻るまで半年はかかるから、その期間が勿体ないと思ってな。半年間、SPTで働くのはどうだ?うちには研究部署もあるし、外科の研修医なら大歓迎だ。それなりに金も貯まる」
「え?いいの!?」
「ああ。それに、実はもうひとつ、君に頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
そう言い、焔は突然私の方へ向き直る。
「当然のことながら、君はこっちの世界に来てから一日たりとも高校へ通っていない」
「え…そ、そうですね」
いきなり話を振られて、戸惑う私。なんだろう、この込み上げてくる嫌な予感は…。
「私が勉強を教える時間を作れれば良いのだが、やることが多くてな。君の家庭教師をSPTの誰かに頼もうと思っていた」
「か、家庭教師!?ま、まさか…」
「せっかくなら花丸に頼もうかと。研修医なら頭もいいし、何より…」
焔は、じっと私を見据えてこう告げた。
「君が大の苦手な理系科目対策もバッチリだ」
「うぐ…」
「凪の任務がない日、まずは一日四時間。時給三千円でどうだ?」
「そ、そんなに!?…いやあ~腕が鳴るなあ!人に教えるの、嫌いじゃないんだ、僕」
花丸の楽し気な返事に、思わず背筋が寒くなる。
最悪…。このままだと、みっちり勉強させられることは想像に難くない。
それに「まずは一日四時間」ということは、これが「五時間」いや、「六時間」になるかもしれない。
…嫌だ。勉強だけは、絶対に。
…うまいこと花丸さんを言いくるめて、サボる方法を考えなければ…。
顎に手を当てながら思考を巡らせることおよそ十秒。鋭い視線を感じて顔を上げると、焔がじっとこちらを見据えていた。視線の圧に耐え切れず、私はつい反射的に目を逸らす。すると、耳の後ろで焔の冷たいため息が聞こえた。
「…まったく。油断も隙もないな、君は」
私は笑顔を取り繕って、ゆっくりと焔を見る。
「何が、でしょう?」
「今、どうやってサボろうか考えていたな?」
「まさか」
「サボるなよ?」
「もちろん」
私は余裕の微笑を作り、当たり前じゃないですか、というように頷く。だが、焔の視線は鋭いままだ。まるで「君の魂胆はわかってるぞ」とでも言わんばかりに。だけど、ここで目を逸らしたら本当にサボろうとしていると思われてしまう(実際そうなんだけど)。
絶対に、絶対に、私はこの目を逸らさない…!
すると、焔は私から視線を外し、フッと息を吐きながら微笑む。
あ、諦めてくれたのか…?だが、安堵したのも束の間、焔はふいにこう口を開く。
「まあいいだろう。もしサボったら…」
「さ、サボったら?」
「君の大嫌いなピクルスが、毎食欠かさずテーブルに並ぶことになる」
「うぐ…」
「言っておくが、その時は食べきるまで部屋から出さんからな」
予想外の宣告に、私は上半身を思いきりがくりと倒す。
「なぜ…私の大嫌いな食べ物を…?」
「ヤトが教えてくれた。君が友人との部活帰り、バーガー屋に寄っては中に挟まったピクルスを欠かさず抜いていたと。覚えておいて良かった。こんな風に、思わぬところで役に立つ」
「ヤト…」
うなだれながらヤトを見ると、照れくさそうに、でもちょっと誇らしげな顔で微笑んでいた。