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第55話 救護

 怪我人に駆け寄った花丸は、呼吸や脈拍、症状などを確認しながら、彼らの手の甲に何やら書き込み始めた。「黄」や「緑」といった文字がちらりと見えたが、遠目でハッキリとはわからない。


「…トリアージか」


 花丸を見て、焔が低く呟く。


「とりあーじ?」

「多数の負傷者がいる場合に、限られた医療資源で治療の優先度を決める手法だ。外科の研修医だったな、花丸は」


 呆気に取られる私に、焔はこう言葉を続ける。


「…幸いなことに、『黒』と書かれた者は今のところいないようだ」

「黒?」

「トリアージの『黒』は救命不可能な負傷者だ。重傷者は『赤』、次いで『黄』、『緑』と続くが、見たところ『黄』や『緑』が多いようだな。命に係わるほどの重傷者がいないのは幸運だ」


 花丸は息をつく暇もなく、次々と負傷者の様子を伺っては、手の甲に書き込んでいる。


 花丸さん…。なんだか別人みたい…。


 ある程度の負傷者を診た花丸は、私たちの方へと歩み寄る。


「待たせてごめん。ちょっと診せてね」


 花丸は私の頬や肩、腰に視線を向け、慎重に傷を確認する。先ほど塚田に斬り付けられたところだ。花丸は私の手の甲に「黄」と書くと、申し訳なさそうに口を開いた。


「…ごめんね。ヤト君を置いて逃げようなんて言って。それにひとりで戻らせて、こんな傷負わせることになって、なんて言ったらいいのか…」


 彼の視線がちらりと私に向く。私は思いきり首を振ってこう告げた。


「私こそ、言い過ぎてごめんなさい…花丸さん、それよりもヤトが…」


 私がヤトに視線を向けると、花丸はすぐさまヤトへ駆け寄り、体にそっと触れる。数秒撫でたところで花丸の表情が険しくなり、私は一気に不安に駆られた。


「ヤト、大丈夫なんですか!?どうしよう、どうしたら…」


 私の声は震えていた。何か悪い知らせを受けることへの恐怖が、心を締め付けていく。すると、花丸は私へ向き直り、優しく肩に触れる。


「大丈夫。まず低体温の処置をするね」


 花丸は近くに置かれていた毛布でヤトを優しく包み、リュックから空のボトルを焔に差し出す。


「焔君、お湯が来たらこのボトルに入れて、ヤト君の体を二十分くらい温めてあげて。そのまま当てると火傷しちゃうから、毛布越しに。体が温まったら傷の手当をする」

「わかった」

「…あの、ヤトは大丈夫なんですか?」

「僕が助ける。大丈夫」


 花丸が力強く言う。私は息を震わせながら目を閉じて、毛布に包まれたヤトをギュッと抱きしめた。


 ヤト。今度こそ、大丈夫だからね。もうちょっと、頑張ろうね。


「ありが――」


 そう言いかけた瞬間、私は大きく目を見開いた。花丸の背後でミレニアの使徒が刃物を握り、斬りかかろうとしていたのだ。


「花丸さん!!」


 花丸は驚き振り返る。同時に焔と江藤が刀を抜くが、次の瞬間、電気が走るような音が大広間に響き渡る。敵に一太刀を食らわせたのは、財前だった。背中を切り裂かれたのか、敵は仰け反ったまま後ろに倒れ込む。


「ったく。油断も隙もねえぜ、ミレニアの野郎」


 財前はそう呟くと、刀をブンと振り、ついた血を軽やかに払う。だが、すぐに苦痛に顔を歪ませ、左手で握っていた刀を床に落とした。もう限界だったのだろう。その左手は血に染まり、痙攣し始めていた。


「ちっ。この左手…」


 財前は悪態をつきながら刀を拾おうとするが、すかさずその手を花丸が掴む。


「お、おい!」


 驚く財前。だが、花丸は手を離さず、状態を伺っている。


「…左手、酷くなってるじゃないですか!」

「俺はいい。他の奴らを診てくれ!」


 花丸は財前を真剣な眼差しで見る。その視線は、財前が負った怪我に向けられていたが、敵の返り血で、どこを怪我しているのか見極められない様子だ。

 その時、複数の男たちが大鍋を担ぎながら大広間に入ってきた。熱湯なのだろう。鍋からは湯気が立ち上っている。続いてバスタオルや布、ラップ、新聞紙など、花丸から指示されたであろう日用品を持った男たちが続々と入ってくる。


「財前さん、布でまずは返り血を拭いてください!その後すぐに診ますから」

「だから、俺はいいって言ってんだろ!怪我なんてしてねえ!」

「この左手だけでも重傷です!僕がいいって言うまで、絶対に左手は動かさないでください!」


 ピシッと言い切る花丸。目の奥に光る真剣さを感じ取ったのか、財前は驚いた表情を浮かべながら、黙ってしまった。そうして、花丸は再び別の怪我人の元へ駆け出していく。


「…なんだあ、耕太のヤツ…突然…」


 財前はそんな花丸の背中を見ながら、渋々布を右手で取り、顔をゴシゴシと拭く。一方、焔は空のボトルにお湯を入れ、ヤトの体を温め始める。彼はヤトをそっと床に寝かせ、私の腕の様子を見る。


「とりあえず、簡易的に止血だ。あと少し、我慢できるか?」

「はい!」


 私が前を向くと、江藤が花丸に駆け寄っているところだった。


「花丸さん、俺は何をすれば?」

「手の甲に『黄』って書いている人の応急処置を手伝って欲しい!出血の止血と骨折の固定…できる?」

「ああ」


 江藤の返答に、花丸は安堵の表情を浮かべ、負傷者の元へと走り出した。その背中は、以前の花丸とは違う力強さが宿っていた。


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