紅牙組での一日はあっという間に過ぎ、気づくと夜になっていた。私と焔、ヤトは紅牙組が用意してくれた客間にいた。客間は昔ながらの雰囲気を感じさせる和室で、広さは八畳ほどだろうか。畳の香りがかすかに漂っている。この部屋にも玄関同様に掛け軸が飾られており、静かな山間の風景画が描かれている。部屋の中央には木目の座卓が置かれ、私たちは囲う形で座っていた。
結局、焔は組長が戻ってくるまで紅牙組に滞在することを決めた。その決断の裏には、彼なりの意図があった。
私は座卓に用意されていた急須に茶を入れ、湯呑に注ぐ。焔は静かに視線を落とし、湯呑を手に取って一口すすった後で、ゆっくり口を開いた。
「SPTである私と会いたいということは、もしかしたらミレニアに関する情報を、その組長とやらが知っているかもしれない」
「確かに!あの財前、焔がSPTであることをしきりに気にしてたもん!」
相槌を打ちながら、私は湯呑に手を伸ばす。私は湯呑を持ちながら、昼間の花丸とのやり取りを思い出していた。
あの辛そうな表情がどうしても引っかかってしまう。本当は戻るか、戻らないか、迷ってるんじゃないだろうか。でも、元々花丸は思い詰めて命を絶とうとしていた。そんな人に一緒に戻りましょうなんて、偉そうなことは言えないし。
そう思いながら私はお茶を一気に飲み干した。喉元を通った瞬間、熱さと苦さで、思わず顔をしかめる。そのまま湯呑を座卓に置き、私はため息をついて顔を伏せた。
「どうした?何かあったか?」
ボーっとしているように見えたのか、焔がそう尋ねてきた。私は、気になっていることを素直に言葉にした。
「本当にいいんでしょうか?花丸さんを置いていっても」
私の言葉にヤトも少し神妙な表情を浮かべる。花丸の様子がやはり少し気がかりなのだろう。
「本心がどうであれ、最終的に決めるのは花丸本人だ。彼が残ると言っている以上、無理矢理連れ戻すわけにはいかない」
焔の静かな声が響く。確かにその通りだと納得しながらも、どこか割り切れない気持ちが私の中に残る。
「気になるか?」
「辛そうな表情をしてたから」
頷きながら、私は正直にそう答えた。すると、今度は焔が急須を手に取り、私の湯呑に茶を注ぐ。
「優しいな、凪は」
突然の言葉に、私は驚いて思わずきょとんと焔を見つめる。彼は柔らかな笑みを浮かべていた。
「あ、いや。そういうわけではなくて!ただ、なんとなく…。思いつめた人を見ると、心がモヤモヤするというか。うまく説明できないんですけど…」
焔は優しさを帯びた口調で、私に諭すよう穏やかにこう続けた。
「これは私の持論だが、人に言われて自分の生き方を決めてしまっては、いつまでも人に振り回されてしまう。だが、自分で決断して行動することができれば、どんな結果になっても、これからの花丸の糧になると思う」
「…そうですね」
私は微笑んで頷き、湯呑の茶をすすった。不思議なことに、心なしか少し苦みが和らいでいるように感じた。
「ところでさ!全然関係ない話なんだけどね」
ヤトが急に軽快な口調で話しかけてくる。
「どうしたの?」
私が聞き返すと、ヤトは待ってましたと言わんばかりに言葉を続ける。
「俺たちに用意された客間ってこれだけ?」
私はハッとする。そういえば…。
焔に視線を向けると、彼は一瞬気まずそうな表情を浮かべた。
「うむ…。聞いたところ、ここだけみたいだ。客間は」
「えぇ!?」
思わず驚きの声を上げる私。
つまり、この広い和室一部屋で、全員過ごすことになるということ…!?
私がソワソワする一方で、ヤトは歓喜の声を上げた。
「やっぱり!やったあ!今日は凪と寝れる!焔もいるけど!」
ヤトは楽しそうにぴょんぴょん跳ねながら、まるで子どものように喜んでいる。その無邪気な様子とは対照的に、私は冷静さを失い、完全に目が泳いでいた。
もしかして、組長が帰ってくるまでずっと三人一緒…!?
そんな私の様子を見て気にかけたのか、焔がすかさず声をかける。
「凪」
「はい!?」
咄嗟に返事をするが、私は動揺して声がすっかり裏返ってしまう。
「心配するな。私はヤトと入口近くに布団を敷いて寝る。凪は窓際に布団を敷けばいい」
私は室内の入口と窓際を交互に見る。ザッと見た感じ、三メートルくらい離れていて、間には座卓が置かれている。私は深く息を吐き、状況を飲みこんだ。だが、ヤトはこの提案に納得いかない様子だ。
「なんで!?やだ!焔だけ入口で寝ればいいじゃん!」
ヤトが跳ねながら不満を漏らす。
「俺は凪の懐に入れる仲なんだよ!一緒に寝たっていいじゃんか!」
「ダメだ」
だが、ヤトは納得できない様子で反論しようとしていた。それを察してか、焔は冷静かつ俊敏にヤトのくちばしをギュッと掴んだ。ヤトは声が出せず、うーっとくぐもった声でうなる。
「ううぬうん(なんでだよ)!」
「ダメったらダメだ」
必死に訴えるヤトだが、焔は微動だにせず、無表情でくちばしを掴み続けている。ヤトがジタバタする様子を見て、私は思わず吹き出してしまった。