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第24話 伝承

「花丸、耕太…さん?ですか?」

「ああ」


 焔は話を続ける。


「花丸耕太。二十五歳。君の家からひと駅離れたところにある、東園大学病院で外科の研修医をしていたらしい」


 そう言って焔は鞄からファイルを取り出し、一枚の写真を見せた。そこには、黒髪で短髪の大人しそうな青年の姿が写されていた。


「東園大学病院って…」


 行ったことはないけど、確か、かなりの大病院だ。そんな人が一体どうして…?


「まさかあの時、我々の近くに人がいたとはな。驚いた」

「でも、そんなのおかしい!」


 ヤトが両翼をバタバタとさせながら、そう主張する。


「どうして?」

「だって装置が作動した時、俺、ちゃんと周りを確認したよ。誰もいなかったもん!」

「まあ、ヤトがそう思うのも無理はない。花丸耕太は、私たちが移動する寸前、思わぬところから近づいてきた」


 私とヤトが、首を傾げながら同時に焔を見る。


「どこ?」

「頭上だ」


 ず、頭上!?


「それって、上から落ちてきたってことですか!?」


 焔は頷く。私はサーッと血の気が引く思いがした。


「恐らく、ダムに来たのは良からぬことを考えてのことだろう」


 衝撃的な話に、心がついていかなくなっていた。花丸という人は、思い詰めてダムに行ったのか。


「凪が元の世界に戻れるのは、早くて半年後だ。それまでに花丸を見つけて保護するのが、今回の任務だ」


 相槌を打ちながら、私はこっちの世界の来た日のことを思い出していた。周りの風景はさほど変わらないのに、家が忽然と消えていて、みんなが私のことを知らない。あの時の驚きと孤独感は、今思い出しても辛い。花丸という人も、きっと今ごろ戸惑っているに違いない。それに、そんなに思いつめていたならなおさら…。


「あ、焔!あの装置、SPTにちゃんと返した?」

「そういえば、すっかり忘れていた。横浜の用事が終わったら返しに行くか」


 装置?装置ってあの並行世界を行き来できるっていうあの…?


「早く返さないと、事務のおばちゃんにどやされるよ、また」

「もう慣れた」


 二人は何やら「並行世界を行き来できる装置」について話をしている。そういえば…。私はずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。


「今更なんですけど、その装置って何なんですか?」


 焔がハッとした表情を浮かべる。


「そういえば…。装置の具体的な話はしてなかったな」

「焔あぁ~」


 ヤトが跳ねながら焔に近づき、詰め寄る。焔は驚いたのか目を見開いて、両手を広げてヤトを静止する。


「いや…。あまり色々話すと、かえって混乱させるかと…」

「そういうところ、良くないよ!スパイがいたことも、決闘が決まった時も、凪のこと置いてけぼりで勝手に話進めてさあ~」

「うむ…。その通りだ。以後気をつけよう。悪かった、凪」

「え!?や、全然」


 ヤトのお説教を受けて素直に謝る焔。なんだか珍しい光景で、ちょっとだけ私は笑ってしまった。


「しょうがないなあ。じゃあ、凪。俺が説明するね。ホラ、焔!出して出して!」


 得意顔のヤト。焔がテーブルの上に出したのは、直径三センチメートルほどの黒光りしている石と、木製の箱だった。


「これね、『境界石きょうかいせき』っていうんだ。並行世界を行き来するために必要な、磁場エネルギーを溜める石なんだよ」


 へええ~と言いながら、前かがみになってまじまじと石を見る。一見黒っぽいけど、なんというか、深みがある。良く見ると、金色のような紫のような、そんな色が濃く混ざりながら黒になっているみたいだ。


「綺麗な石だね、すごく…」

「でもね、この石はエネルギーを溜めるだけで、これだけじゃ並行世界は行き来できない。そこで必要になるのが、この『装置』ってわけさ!ホラ、焔!」

「はいはい」


 焔がゆっくりとテーブルに置かれた木箱を開ける。そこには精巧に作られた美しい円形のコンパスが収まっていた。コンパスの外縁にはメモリと数字が細かく刻まれていて、中央には丸いくぼみがある。


「この丸いくぼみに境界石を入れると、装置が発動して並行世界を行き来することができるんだ!すごいだろ!」

「すごーい!SF映画みたい!それで、今はこの石にエネルギーが溜まってない状態ってこと?」

「そう。俺たちが使っちゃったからね。焔!試しに石、コンパスにはめてみて」


 言われるがまま、焔が石をコンパスにはめる。すると、コンパスの針が少し上に動いて、メモリの一と二の間でピタリと止まった。


「磁場エネルギーが溜まると、針が動くんだ。メモリは今溜まっているエネルギーの数値。この針が『100』のところに止まれば、並行世界を行き来できるってワケ!」

「なるほど!これが溜まるまで半年かかるんだね」

「そういうこと」


 色々わかってきた。そして…。


「確か、これを作ったのがおばあちゃん、なんでしたっけ?」

「そうだ。境界石や装置を開発したのは、幸村藍子たち研究チームだ」

「研究チーム?」

「そう!十人くらいだったかな。凪のおばあさんがリーダーで、色々凄い開発してたんだよ。この境界石だけじゃなくて、飛石ひせきもそうだし。もしかしたら、時紡石じぼうせきも!」

「飛石はあるが、時紡石は半分都市伝説みたいなものだろう」

「そうだけど!伝承もあるし、本当にあるかもしれないじゃんか」

「伝承?」

「そう!この境界石と、飛石、そして時紡石っていう三つの石にまつわる伝承だよ。父さまから聞いたんだけどね…」


 ヤトはコホンと咳払いをすると、ゆっくりと目を閉じ、静かに語り出した。



―― 血と血の魂が出逢う時

夜と朝の狭間 東西南北 大地の戒めを破りし時

飛石 境界石は力を纏い始めん

放たれしその力にて

八咫烏は選ばれし魂を聖所へと導く

二つの石を手にせし時

対なる者は力を放ち

時を超えし紡石への道を開かん ――



「…ヤト?」


 いつもの軽快な言い回しとは異なる雰囲気に、私は思わず息を呑んだ。神秘的な内容と、それを話すヤトの表情につい見入ってしまったのだ。


「これ、俺の家―、八咫烏やたがらすの一族に伝わる言い伝えなんだ」


 そうだ。確かヤトは「八咫烏」の一族だと前に焔が言っていたっけ。


「この話に出てくる境界石はコレでしょ」


 ヤトが目の前の境界石を羽でピッと指し示す。


「で、飛石っていうのは磁場エネルギーを溜めて瞬間移動ができる石。これも実在するんだよ!」

「本当に?」


 ヤトが楽しそうに頷く。すると、すかさず焔がこう補足した。


「だが、飛石も境界石もせいぜい三つくらいだ。この境界石はSPTで管理しているもので、君を護衛するために特別に借りたものだ」

「へえ…。それじゃあ『時紡石』っていうのは?」

「時紡石は、時空を越えて過去や未来に行けるって言われている伝説の石だよ。まだ誰も見たことないけど、伝承でも名前が出てるし、きっとあるって、俺信じてるんだ!」


 夢物語みたいな話に私は胸がときめいた。確かに、並行世界の行き来や瞬間移動ができる石があるなら、時空を越える時紡石もありそうな気もする。だが、焔は懐疑的な様子だった。


「まあ、時紡石に関しては都市伝説みたいなものだ。本当に実在していたら、石を巡って今ごろ大騒ぎになっている」


 そう言って、目の前のワイングラスに手を伸ばす。


「でもさあ。そんなのわかんないじゃんか」


 心なしか、ヤトが少しだけしょんぼりしている。私はヤトにそっと顔を近づけて、話しかけた。


「ねえ、ヤトは時紡石があったらどこに行きたいの?過去?未来?」


 私の質問が不意だったのだろうか。ヤトは目をパチパチさせたかと思うと、うーんと暫く唸り、再び両翼を勢いよく広げた。


「未来だよ!」

「なんで?」

「凪が俺のお嫁さんかどうか、確かめなきゃ!」

「え?ええぇぇ!?」


 唐突過ぎる予想外の言葉に、思わず大声が出た。横を見ると、焔が目を細めて笑っている。私の視線に気づいた彼は、楽し気にこう尋ねた。


「凪、どうする?」

「ど、どうするって…?」

「ちゃんと返事をしてやらないと」


 そう言われても…。だが、目の前のヤトを見ると、目をキラキラと輝かせている。期待を込めた眼差し。いや、ここは年上のお姉さん(多分)として、しっかり説明しなければ…。


「あのさ、ヤトは、その…。カラスじゃん?」

「そうだけど?」

「カラスと人間って、まあ、普通は結婚できないんじゃないかなあー」


 私はなるべくナチュラルなトーンで伝えてみる。素直なヤトならこれで言いくるめられるはず…。そう思ってチラリとヤトを見ると、意外にも挑戦的な眼差しを向けて微笑んでいた。


「ふっふっふ」


 思わぬ反応に、私は首を傾げる。なんだ?この余裕の笑みは…?


「そんなことは些細な問題さ!だって…」

「だって?」


 ヤトは胸を張って、こう言い放った。


「俺にはね、まだ凪が知らない、格好いい秘密があるんだ!」

「格好いい『秘密』?」

「うん!八咫烏としての秘密がね!でも今は内緒。凪、きっとビックリするよ!」


 楽しそうにぴょんぴょん跳ねながら話すヤトを見て、私はポカンとしていた。ヤトの秘密…?焔を見ると、意味深な笑みを浮かべている。この感じ、さては…。


「焔さん、知ってるんですね!ヤトの秘密!」

「さあ、どうだかな」


 はぐらかす焔に、すかさずヤトが突っ込む。


「言うなよ、焔!絶対!」

「はいはい」


 冗談と笑いが飛び交う、賑やかな食卓。だけど、その明るさの裏で、なぜか私の心にはヤトが語った八咫烏の伝承がいつまでも残っていた。


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