「―ぎ!なぎ!」
私はハッと目を開けた。すると、ヤトが私の目のすぐ先、十センチくらいのところまで顔を覗き込んでいた。
私は驚いてつい瞬きをする。考え込んでいる間に、ちょっとうたた寝してしまったらしい。体の上にはブランケットがかけられていた。
「大丈夫?うなされてたけど」
「大丈夫、大丈夫」
「今日は色々あったからね。凪も疲れたでしょ」
私はソファの上で体を伸ばし、あくびをしながらふと居間の時計を見る。時間は夜7時を回っている。私はガバッと起き上がった。
「わ!何?どうかした?」
「晩ご飯!今日は私が作りますって、さっき帰りの車の中で大見栄切っちゃったから!」
私は慌てて、椅子に掛かっていた焔のエプロンを身に着け、台所へ急ぐ。
「え!?今日は凪が作ってくれるの!?うわあ、楽しみ」
そう言い、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるヤト。だが、冷蔵庫を開けると、食材はまったくなくガランとしている。冷蔵庫の前で静止する私。バサッと隣に降り立ったヤトも首を傾げる。
「あれ?何もないじゃん。そっか!だから焔、さっき出かけていったんだ」
「え?出かけた?」
「すぐ戻るってついさっきね。きっと晩ご飯の食材買いに行ったんじゃないかなあ」
しばし呆然とする私。その時、居間の扉が開き、焔が帰って来た。
「ただい―」
焔はピッタリと制止し、エプロン姿で台所に立つ私を目を細めながら凝視している。ちょっと恥ずかしい。私は伏し目がちに、ポリポリと頭をかいて小声になる。
「…晩ご飯作ろうと思ったんですけど、さっきまで寝ちゃってて。すみません!今日も何もしてなくて」
そう言って私は頭を下げる。焔はコホンと咳払い。
「そうだったのか。気にするな、凪。食材が無いのを私もすっかり忘れていた」
「あの、晩ご飯作り手伝います!」
私が台所でワタワタしていると、焔が優しくこう告げた。
「じゃあ今度。実は、今日はすぐに食べられるものを買ってきた」
焔は手に持っていたビニール袋を顔の前に掲げる。ビニール袋からは四角い箱が透けて見えている。あの形状は…。
「ピザだ!!」
ヤトがぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶ。
「凪、棚からグラスと皿を出してくれないか?熱いうちに食べよう」
「は、はい!」
私はテーブルにコップやお皿を並べる。ヤトはずっとぴょんぴょん跳ねたままだ。余程、ピザが好きらしい。焔が箱の蓋を開けると、そこにはこんがり焼けたベーコンやチーズ、コーンが乗ったピザが。焔はピザを小さくカットして皿に乗せて、ヤトの前へ。さらに、焔は袋の中からワインのような瓶を取り出した。慣れた手つきで開け、グラスに注いで私に差し出す。
「あ、私未成年なので、お酒は…」
「お酒じゃない。ノンアルコールの炭酸ジュースだ。大丈夫」
私はホッとして笑い、グラスを取る。注がれるジュース。炭酸がキラキラと綺麗な気泡を作る。
「凪、おめでとう。今日は本当によく頑張ったな」
唐突に焔がそう言い出した。私は驚きの表情。ヤトもすかさず横に来る。
「おめでとう!凪!これから一緒に頑張ろうね。凪が元の世界に帰るまでだけど」
焔とヤトにそう声をかけられて、私はつい照れ笑いをしてしまう。
「ありがとうございます!これからよろしくお願いします」
そう言って、私たちはカランとグラスを鳴らす。焔が買って来てくれたのは、炭酸のリンゴジュースだった。おいしい。ヤトもおいしそうにピザを頬張っている。
「あの、今更ですけど、焔さんとヤトは今までずっと一緒に暮らしてるんですか?」
焔がピザをナイフとフォークで器用に切り分けながら答える。
「ああ。去年まではな。今年からヤトが君の護衛をするようになってからは離れていたが。まあ家族みたいなものだ」
ヤトを見ると、嬉しそうに頷いている。
「そうなんですね」
「そういう君の家族、御父上が確か警察官だったな」
「はい。お父さんは警官で。剣道と柔道をやっていたので、昔からよく一緒に稽古してたんです」
「柔道?」
私はピザを頬張りながら頷く。
「なるほどな。それで、あの背負い投げか」
焔が納得した様子で言った。私は今日の上木との対戦を思い出していた。あの時、上木の懐ががら空きになったのを見て、そうするしかないと思った。竹刀は私の手から離れていたし。半分賭けみたいなものだったけど、どうにか決まって良かった。
「焔ぁ、明日もSPTに行くなら、帰りにスーパーに寄って来て!クルミがないんだ。おやつ分が」
ヤトがピザをモグモグとさせながら言う。
「残念だが、明日はSPTには行かない」
「え!なんで?」
「明日は朝から移動だ。横浜にな」
「横浜!?」
私は思わず声をあげた。
「ああ。我々に与えられた長官直々の任務だ。横浜で人探しをする」
「なんだよそれ?横浜で誰を探せっていうんだよう」
ヤトが跳ねながら尋ねる。
「凪がこっちの世界に来た時、私とヤトは近場のダムからこっちの世界に戻って来た。ヤト、覚えているか?」
ヤトは軽快に答える。
「もちろん!あの辺だったらあのダムが、一番磁場が強かったから安全に装置を作動させて帰って来れたんだよね」
ダム…。確かに、私が住んでいた市内にはダムがあったっけ。
「私もヤトも、あの日はさすがに慌てていてな。周囲を十分に確認しないまま、こっちの世界へ戻ってきてしまった。その結果、その…」
急に口ごもる焔。ヤトがすかさず問い詰める。
「何だよ?あの時何があったんだよ」
「いや…。実はその時にある人物が、あの時間帯に偶然ダムにいて、誤ってこっちの世界の、それもなぜか横浜に来てしまったそうなんだ」
私とヤトは驚いた。もう一人「対の世界」に来てしまった人がいる?
「その人物を探しに行く。どういうわけかこっちの世界に迷い込んでしまった、花丸耕太という男をな」