私とヤトはSPTの入口ロビー内の椅子に腰かけていた。スパイがいる以上、なるべく人目が多い場所にいた方がいいだろうという、ヤトの提案だった。椅子に座りながら、上木がくれた保冷剤で肘を冷やす。すぐに対処したからか、痛みは大分引いた。そして、ここでもヤトの興奮は冷めやらぬ状態だった。
「さっきは本当に格好良かったよ、凪!特に最後!もう終わったと思ったのに、バーンって!見てよ、コレ。羽バサバサさせながら応援してたら、羽チリチリになっちゃった」
そう言って羽を見せるヤト。確かに少しだけチリチリになっている。本気で応援してくれてたんだと嬉しくなって、思わず顔がほころぶ。
「ありがとう。ヤトのお守りのおかげかも」
そう言って左手首の赤いブレスレットに触れる。ヤトは私の肩に乗り、嬉しそうに頬ずりしてくる。スリスリと甘えてくるヤトが堪らなく可愛い。だが、ヤトが突然動きを止める。ふと前方を見ると、幹部のひとり、天宮が私たちに向かって歩いてきていた。私は思わず立ち上がり、頭を下げる。ヤトは警戒しているのか、低く鳴く。天宮は人懐っこい笑顔を浮かべながら、両手をパタパタとさせた。
「こんにちは。そんなに警戒しないでよ、ヤト」
天宮は私たちに近づくと、軽快にこう伝えた。
「おめでとう、凪さん。凄かったよ。あの上木相手に」
そう言って、天宮は私に右手を差し出すが、一瞬ためらったような表情を浮かべて左手を差し出した。右肘の怪我を気遣ってくれたのだろう。私は左手を天宮に差し出し、軽く握手をして離す。
「そんなことないです。でも、ありがとうございます」
謙遜する私に、天宮はこう続ける。
「焔の言う通り、君は勝負強い子だね。上木でも敵わないなら、僕なんて瞬殺だろうなあ」
そう言いながら、天宮は手を頭にやり、はははと笑う。私もつられて愛想笑いを浮かべるが、ヤトが軽く足でコツンと肩を小突く。SPT幹部の中にミレニアのスパイがいる。油断しないでと、そう言いたいんだろう。
「…なんだか申し訳なかったね。初対面なのに、昨日の会議で君をうちの屋敷で匿おうなんて提案しちゃって」
「え?あ、いえ!そんなことは…」
今度は私が両手を顔の前でパタパタとさせる。
「ところで、凪さん。ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
天宮の顔から、さっきまでの笑みが消える。そして、どういうわけか天宮は私の左手首を突然ギュッと掴み、真っすぐ私を見据えてきた。
「どうして焔は、君をSPTに推薦したのかな?」
突然の質問と鋭い視線。私は驚いて顔を強張らせる。
「いくら君に適性があるとはいえ、危険なことには変わりないんじゃないかなって、気になってね。どう?心当たり、あるかな?」
心当たりは…。私は黙る。ヤトもソワソワしている。気づくと、私は天宮から目を逸らしていた。焔が私をSPTに推薦した理由は色々あるけど、そのひとつは私をスパイから守るためだ。でも、この人がそのスパイかもしれない。どうしよう、どうすれば…。回答に困りながら恐る恐る天宮を見ると、さっきまでの鋭い視線から一転、私を安心させるかのように優しく微笑みかけていた。
「…綺麗なブレスレットだね。ヤトがくれたの?」
言われて私はきょとんとした。天宮の手が私の左手首、ブレスレットにかすかに触れている。
「はい!そうです。決闘の前にヤトがくれて。お守りです」
そうなんだね、綺麗だね、と頷く天宮。屈託のないその表情に、私は拍子抜けしてしまう。すると、天宮が再び意味深な眼差しを向けて、こう囁いた。
「僕さ、思ったんだけど、ひょっとして—」
そう天宮が言いかけたところで、焔が天宮の後ろからガシッと腕を回していた。
「おい」
焔の声を聞くや否や、天宮は慌てて私から手を離す。
「いやあ、見つかっちゃった。思ったより帰りが早かったね、焔。長官に呼び出されてたでしょう」
「何の用だ?」
焔は、天宮の問いに答える気がないらしい。だが、天宮は動揺するどころか楽しそうにこう続けた。
「いやさ、彼女の試合ぶりがあまりにも素晴らしくて、一言お祝いを言いたくて」
「そうか。じゃあもう用は済んだわけだな。さ、行くぞ。凪、ヤト」
途端にくるっと天宮に背を向けて歩き出す焔。えええ!?と心の中で驚く私。天宮と焔の温度差が激しくて、戸惑ってしまう。
「それと、もうひとつ確認したいことがあって」
これまでの軽快な口調とは一転、少し冷静さを帯びた天宮の声に、焔が足を止める。
「実は、昨日の朝も、君が一人で長官室に入って行くのを見かけたんだ。その後にあの緊急会議が開かれたでしょ?だから、何かとてつもなく重大なことが起きたのかなって思ってね」
焔が振り返り、天宮を見る。焔は冷静にこう続けた。
「別に、何も」
「そっか。でもビックリしちゃったよ」
天宮がゆっくりと焔へと歩み寄る。
「丹後の『凪さんを刑務所で匿おう』っていう提案もかなり突拍子がないと思ったけど、君がSPTに凪さんを推薦したのも、十分突拍子がなかったから」
天宮が鋭い目つきで焔を見る。焔は黙ったままだ。
「凪さんをSPTに推薦した理由。もしかして別にあったのかなって思ったんだけど、違う?」
一同が黙る。さっきよりも強い天宮の口調。口を挟める雰囲気ではない。少しの間を置いて、焔がため息をつく。そして、首をわずかに右に傾けながらこう言った。
「理由は、昨日会議で言った通りだ。彼女には適性がある。そして、それがさっきの勝負で証明された。逆に聞くが、他に何か思い当たることでもあるのか?」
焔の言葉に、天宮は片手を軽く振って、苦笑いを浮かべた。
「いやいや、そんな。引き留めて悪かったね。じゃあまた」
天宮は振り返り、その場を去って行った。天宮が完全にロビーから姿を消したタイミングで、焔が小声でこう尋ねる。
「…何か聞かれたか?」
「あ、はい。さっき焔さんが聞かれたことと、まったく同じことを」
焔を見ると、顎に手を当てながら考え込んでいる。
「何かありましたか?」
「いや、何でもない。行くぞ」
私とヤトが戸惑っているのをよそに、焔は颯爽と歩き出した。