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第19話 決闘

 長官の掛け声が上がった瞬間、上木が一気に駆け出した。私は、構えた竹刀を一旦顔の前に戻し、身構える。上木は私の顔を狙ってきた。速い!それに、力もある。強引にバンバンと撃ち込んで来る。私は体がブレないよう必死に竹刀を握り、タイミングを見計らって上木の竹刀を弾いた。一瞬、後ろへとのけぞる上木。だが、すぐに体勢を立て直し、再び攻撃を繰り出してくる。

 上木の動きには無駄がなく、力強い。それに、体勢が微妙に崩れると、そこを的確に狙ってくる。狐の面をつけていて視界が狭いのではないかと思ったが、こちらの動きは完全に読んでいるようだ。このままでは、いずれ上木の攻撃が体に当たるだろう。

 そう判断した私は、パンっと上木の攻撃を弾いた後、後ずさりをして大きく距離を取った。逃すまいと上木はすかさず追撃してくる。だが、それと同時に私は再び後ずさりをする。ちょっと逃げ腰だが、相手の行動パターンを見極めなければ勝機はない。ここは堪え時。どこかで隙を見つけないと…。そう思って防御に徹するが、上木には隙がない。


 強い。この人。

 ただ者ではない。

 だが、負けるわけにはいかない。


 私は意を決して、一歩前に踏み出す。上木の狐面に竹刀を振り下ろすと見せかけて、すぐさま胴へと攻撃を切り替えた。だが、気が付くと上木の竹刀は、すでに胴を防御していた。こちらの太刀筋は完全に読まれている。それでも私は、力まかせに胴へ竹刀を振る。しかし、上木は私の竹刀を下から上へ弾き上げた。その瞬間、私の竹刀が宙を舞う。


 しまった…!


 手から竹刀が離れ、完全に無防備状態になった私に、上木の竹刀が容赦なく襲い掛かる。私は反射的に体を逸らす。ブンッという風を切る音とともに上木の竹刀が顔面スレスレで横切る。

 あ、危ない。一秒でも遅れていたら、完全にやられていた。安心したのも束の間、上木の攻撃は止まらない。上木は竹刀を瞬時に右手から左手へ持ち替える。そして、軽く飛びながら、構えを変えていく。

 上木の動きは完全に剣道のそれとは違う。まるで動きが俊敏な忍者と戦っているようだ。そう思った途端、上木が勢いよく左足から踏み込んで来る。


 今度は…突きだ!

 私は、思わず反射的に大きくのけぞる。

 間髪入れずに、上木の鋭い突きが容赦なく私の喉元を狙う。うわっと私はつい声が漏れた。何とか避けるが、上木は足を一歩踏み出し、竹刀を持っていない右手で、今度は何と正拳を繰り出してきた。不意の正拳は完全に裏をかかれたが、顔に当たる寸前でなんとかかわす。もはや何でもありだ。


 ―実戦に競技ルールなんてものはない。相手は実践のつもりで容赦なく来るだろう。


 昨日の焔の言葉が、一瞬頭をよぎる。確かに、この上木は容赦がない。上木の鋭い突きや正拳の攻撃が立て続けに繰り出される。竹刀も両手で持ったり、片手で持ったり。身軽で俊敏な上木の攻撃に、私はすっかり防戦一方になっていた。それに、さっきの上木の攻撃で竹刀が手から離れたままだ。横目で確認すると、竹刀は三歩ほど離れた場所に落ちている。

 私が竹刀に向かって手を大きく右手を伸ばしたその時、バンっと右の腕に激痛が走る。上木の一撃が、私の肘を直撃していた。苦痛に顔を歪ませるが、一歩踏み込んで左手で竹刀をなんとか取る。だが、急に左手を大きく伸ばしたため、私は思いきりバランスを崩してしまう。ふと長官を見ると、右手を挙げかけていた。


「まだ戦えます!」


 私はつい声を張り上げた。長官が右手をゆっくりと下ろす。だが、この瞬間を逃すまいと、上木は思いきり竹刀を顔面めがけて振り下ろす。私は寝転がったまま、体をぐるぐると回転させて攻撃を避ける。回りながらなんとか膝を立て、立ち上がろうとするが、上木はこれで終わりだと言わんばかりに竹刀を振り上げる。私は慌てて竹刀を顔の上で構え、迎え撃つ。

 ガンッと、竹刀と竹刀が激しくぶつかり合う。

 だが、先ほど上木に攻撃された右手がビリビリと痺れて力が入らない。このままだと、上木に力負けしてしまう。上木は体重をかけ、さらに竹刀を押し込んで来る。ヤバい!そう思った途端、私は無意識に右足で蹴り上げていた。

 だが、上木は蹴りをかわして、飛びながら間合いを取る。羨ましいほど身のこなしが速い。今の蹴りは反則だけどお互い様だ。この勝負に勝つためにはそうも言っていられない。

 私は立ち上がり、呼吸を整えて再び竹刀を構える。その瞬間、右肘にビキッと鋭い痛みが走る。どうやら、さっきの攻撃は予想以上のダメージとなっているようだ。これじゃあ、まともに上木の攻撃を防げない。どうすれば…。目を泳がせながらふと前を見ると、こちらを睨む丹後が視界に入った。相変わらず、その眼差しは憎悪に満ちている。

 そうだ。ここで負けたら、きっとどこかへ匿われることになる。そうなれば、おばあちゃんのことを調べることも、真実を突き止めることもできない。だけど、この劣勢を挽回して、上木に勝てるのか―。そんな思いが頭をよぎった瞬間、突然大きな声が響いた。


「凪!!」


 ハッとして前を見ると、上木が素早くこちらに駆け寄り、竹刀を振り上げていた。私はしゃがみ込みながら頭上に竹刀を構える。上木はバンッと竹刀を振り下ろす。さっきと同じ状況。だが、今回の一撃はさらに重い。ビキッと右肘に鋭い痛みが走る。三十秒ほど拮抗が続き、額に汗がにじむ。ここは力勝負だ。


 絶対に、絶対に、押し負けない!


 私は渾身の力を込めて、上木の竹刀を払った。

 驚いたのか、上木は数歩後退して距離を取る。あ、危なかった。でも、もう力勝負はできそうにない。右腕は、軽く痙攣していた。私は深呼吸をして、声が聞こえた方向を見る。焔がじっと私を見つめていた。いつもと同じ、冷静な表情。だけど、諦めるな、とにかく攻めろと言われている気がした。

 再び、上木に視線を移す。勝負中なのに、丹後のこととか、余計なことばかり考えてしまう。私は頭をブンブンと振った。

 そういえば、いつもそうだ。負ける時は大抵気持ちから負けている。気が散って集中力がなくなったり、相手の強さに圧倒されて逃げたくなったり。そうやって、自分から勝負を降りてしまっているのだ。だから勝つためには、自分の心を整えて、気迫を絞り出さなければならない。


 ―どうしても気迫が出せない時はどうするの?


 昔、そう父に聞いたことがある。

 すると、父はこう答えた。


 ―まずは深呼吸だ。次に声。大声を出して、自分に喝を入れるんだ。


 そうだ。私は絶対に、この人に勝つ!


 背筋を伸ばし、右足を前に出す。大声を出しながら重心を前足にかけて、思いきり踏み込んだ。狙うは上木の狐面。声に驚いたのか、上木は一瞬、動きが遅れる。


 だが、上木はギリギリのところで顔の前に竹刀を構え、攻撃を防いだ。私が再び竹刀を振り下ろした瞬間、右肘に激痛が走る。上木はその隙をついて、私の竹刀を下から思いきり薙ぎ払った。竹刀が再び、私の手から離れて宙を舞う。だが、上木は自分の竹刀を大きく振ったせいで、上半身が完全に無防備となっていた。


 今だ!!


 私は力強く踏み込み、素早く上木の懐へ入る。

 次の瞬間、私は上木の胸ぐらを掴み、背負い投げで床に叩きつけていた。

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