「私は、彼女を…」
焔は、前を見据えてハッキリと言い放った。
「秘密警察SPTに推薦する」
瞬間、右側で
「ば、馬鹿なことを!」
思いがけない焔の一言に、丹後は声を張り上げた。他の幹部、
「焔、どういうことか説明しなさい」
「はい」
焔は、スッと立ち上がり、持っていた鞄から書類を取り出す。
「言うまでもないことだが、我々、秘密警察SPTは『特殊警察活動規定法』に則って任務にあたっている。同法三条の一項には、次のような記述がある。すなわち『SPTの幹部以上の階級の者から推薦を受けた者は、厳正な審査を経て、専門的な任務に従事する適性があると判断された場合、SPTと同等の任務を遂行する権利を有するものとする。』と」
「まさか…」
丹後はわなわなと震えている。だが、焔は気にも留めない様子だ。
「私はSPTの幹部として、この幸村凪が専門的な任務にあたる適性があると判断した。よって、彼女をSPTに推薦する」
「馬鹿げたことを抜かすな!SPTだと!?まだ成人もしていない小娘だ!それに彼女は…」
焔は丹後を鋭く睨みつける。その表情は、うっすらと怒りに満ちていた。
「彼女は?なんだ?言ってみろ」
丹後は言葉にできない。しばらく睨み合った後、丹後は焔から目を逸らした。
「黙っていようとも察しはつく。丹後、君は彼女を幸村藍子に重ねて、個人的な恨みをぶつけているんだろう」
顔を上げた丹後の顔は怒りで真っ赤になっていた。
「君はさっき、彼女に『知らないことは罪』と言ったそうだな。罪かどうかはわからんが、自分が関わる家族について、知らないことは実に不幸なことだ。それを強い言葉で彼女に諭してくれた君なら、彼女がSPTとして真実を知る権利を、すなわち、この私の提案を受け入れてくれると思ったのだが。それに、ミレニアもまさか自分たちが狙っている少女が、SPTの一員だとは夢にも思わないだろう。この選択は、彼女を守ることにもなる」
毅然とした態度でそう言い放つ焔。だが、この言い方が丹後にとっては屈辱だったのは、火を見るよりも明らかだった。丹後は拳を握りしめながら、こう吐き捨てた。
「小賢しいことを…。この、薄汚い
途端にしんと場が静まり、周囲の目線が焔に向けられる。
人狼族?末裔?私は恐る恐る焔を見るが、表情はまったく変わらず、冷静そのものだ。
「…個人的な感情を向けるのは結構だが、私の出自については、この場ではまったく関係のないことだ。今は、私の推薦を快諾していただけるか、その話をしている」
焔は丹後から目を離し、毅然と長官を見据える。
「いかがだろうか?」
ここまで冷静に話を聞いていたように見えた長官だが、よく見ると口が開いたままだった。焔の提案が予想外だったのだろう。長官は、少し間を置いた後、諭すようにこう言った。
「焔、君の言いたいことはわかった。だがね、SPTに推薦する以上、彼女にその適性があると、本当に君は思っているのか?それに、我々は立場上ミレニアという危険組織から彼女を守らなければならない立場だ。それなのに、SPTとして敵の前に堂々と姿を晒すなど…」
言いながら長官は頭を抱えた。
「彼女は組織からも狙われているし、昨日は追手の一人が接触している。そうだね?凪さん」
「あ、はい!」
予期せぬ質問に、私は声が裏返ってしまった。
「身の安全が危ぶまれている限り、私も彼女は安全な場所で身を隠した方が良いと思うのだが…」
「安全な場所などない」
キッパリと言い切る焔。長官は話を止める。
「お分かりのはず」
しばしの間。焔と長官が互いにじっと見合っている。
安全な場所が、ない?どういうこと?私は思わず首をかしげて周囲を見る。私と同じ疑問を、ヤトも幹部の人たちも思っているようだった。だが、焔は話を進める。
「それに、彼女の適正なら問題ない」
焔は持っていた書類を長官と幹部に見えるよう、前に掲げた。
「ここに幸村凪に関する詳細なデータがある。学力や身体能力などを調査したものだ」
私はギョッとして掲げられた紙を見る。そこには確かに、私の成績らしきものや身長、体重など、身体的な特徴が細かく書き込まれているようだった。い、いつの間に。
「残念ながら、これを見る限り、学力の方はまったく使い物にならない。全科目平均点以下、理系に関してはほとんどの科目で赤点だ」
ズバッと言われて、私は顔を真っ赤にして俯いた。恥ずかしい。まさか、こんな場所で公に成績がバラされるなんて。
「…だが、運動能力は別だ」
う、運動能力?私は顔を上げる。すると、その場にいた一同が焔をじっと見ていた。
「運動能力に関しては、小学校からリレーの選手に選ばれていて、校内の新記録を年々塗り替えている。高校では反復横跳びの校内記録も」
焔の説明に、丹後が鼻で笑う。
「はっ。所詮子どものお遊戯レベルだ。その程度でSPTなど…」
「剣道では関東大会で優勝している。全国レベルだ」
焔は別の紙を取って、前に掲げる。
焔が周囲に見せたのは、私が関東大会で優勝したことが載っている、あの新聞記事だ。
「ど、どうしてそれを?」
私は思わず尋ねるが、焔は気にせずに話を進める。
「それに、先ほど長官からミレニアの追手が彼女に接触したとあったが、彼女は逃げるどころか、果敢にも竹刀を持って刃物を持った相手に立ち向かっている」
周囲の幹部の人たちの視線が、今後は一斉に私へ注がれる。
「最終的に私が助けた形となったが、追手の小男の首筋には反撃したようなアザがあった。あれは君がやったんだろう?」
「え?えっと…」
私は小男とのやり取りを思い出そうとした。確かあの時、顔を狙って竹刀を伸ばしたんだっけ。でも、結局外れて首筋をかすっただけだった。反撃になるのか?あれは…。考え込みながら焔を見ると、焔はジーッと私の反応を待っている。
「…あ。はい。そうでした!…多分」
私は自信なさげにそう答える。ちょっと誇張している気もするけど…。
「我々SPTにとって、知識や運動能力は確かに必要だ。だが、それ以上に必要なものは、どのような状況でも冷静に対処する判断力と、立ち向かっていく勇気だ。彼女には、それがある」
焔がじっと私を見た。力強い視線に私は思わずドキッとして、息を呑んだ。
「馬鹿な。お前が勝手に話を作っているだけだ。幸村凪が反撃したかどうか、そんな証拠はどこにもない!刑務所で匿いたくないだけだろ!苦し紛れの詭弁だ!」
「詭弁かどうか、審査をしてもらえればわかる」
焔は再び、長官を見据える。
「これは、その場しのぎで言っているのではない。私は彼女の適性を客観的に判断した上で、SPTに推薦している。彼女を匿うかどうか決める前に、どうか審査の機会をいただきたい」
長官は、腕を組みながら天井を見上げた。息を大きく吸い、目を閉じる。少しの間を置いて、長官は周囲を見渡す。丹後をはじめ、幹部全員が驚いたままの表情を浮かべている。長官は大きく息を吐き、重い口を開いた。
「…わかった。それでは、審査の機会を設けることとする。いいかな?凪さん」
「は、はい!よろしくお願いします!」
その瞬間、丹後がバンッと再び机を叩き、悪態をついた。
「審査については後ほど追って連絡する。それでは、本日の会議はこれまで」
何が何だか…。SPTの審査…?焔を見ると、いつも通りの冷静な表情。そして、相変わらず丹後は鬼のような目つきで私を見る。色んな感情が頭に渦巻く中、ヤトが「ガァ」と明るい声で鳴きながら私の肩に乗り、頬ずりをした。じんわりとしたぬくもりが、ゆっくり頬に伝う。ヤトに触れて、私は自分の両手が緊張でカチカチに冷たくなっていることにようやく気づいたのだった。