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第10話 試案

 SPT本部の二階。重厚感のある扉を開けると、厳正で冷たい空気が流れていた。広々とした空間の中央に置かれた円卓。一番奥には七十代くらいの高齢の男性が腰掛けている。


「あれがSPTの長官、たちばな龍之介りゅうのすけだ」


 焔が私に耳打ちをする。私は長官を改めて見て、深く頭を下げた。長官は穏やかに微笑みながら会釈を返す。顔を上げて円卓の右側を見ると、丹後がいた。ヤトが再び低いうなり声を上げる。


「待ちくたびれたよ。焔」


 円卓の左側から声がした。そこにいたのは赤毛の少年。私と大して歳が変わらないように見えるけど…。


「あれは幹部の一人、江藤えとうりつだ」


 再び、焔がそう耳打ちをする。


「ついでに言うと、その横にいる長髪の女が瓜生うりゅう蓮華れんげ、その瓜生の横にいるニコニコしている眼鏡の男が、天宮あまみや昂生こうせいだ」


 私は三人の幹部に向けて、再び頭を下げた。SPTの幹部って合計五人なんだ。


「こっちだ」


 焔に促されて、私は席に着く。少し間を置いて、長官が口を開いた。


「さて。知っての通り、この幸村凪さんが、ミレニアによってこちらの世界に運ばれた。それだけではなく、彼女は昨日ミレニアの一派から急襲され、命の危険にさらされた。彼女の護衛および今後安全に過ごしてもらうための意見交換をこの場でしたいと思っている。意見がある者は挙手を」


 シンと静まる空間。私は緊張して、体中が強張る。すると、スッとある人物が挙手をした。眼鏡をかけた、天宮あまみやだ。


「凪さんの存在がミレニアに知られている以上、敵が予測できない場所でかくまうのが良いかと思います」


 丹後が尋ねる。


「例えば?」

「僕の屋敷はどうでしょう?」


 私は目を大きく見開いて、天宮を見た。屋敷って家ってこと?戸惑う私を尻目に、天宮は表情を崩さずに笑いながら言葉を続ける。


「僕の屋敷ならまあそれなりに人はいますし、凪さんの身の回りの世話もできるので、安心して過ごしてもらえるかと」

「護衛はどうする?あのだだっ広い屋敷を、たった数人で護衛するつもりか」

「…そこなんだよねえ。僕の部隊では人員が足りそうにないね。丹後、君の部隊から出せないかな?護衛」

「そんな人員の余裕はない」


 天宮を睨みながら言う丹後。だが、天宮は表情を崩さず笑顔のままだ。ハァーと焔もため息をつく。


「護衛の人員なら、私の部隊から数名出せます」


 そう言ったのは瓜生うりゅう。腰ほどまで髪が長く、顔立ちが整った綺麗な女性だ。


「…ですが、天宮のお屋敷はご存じの通り極端に閉鎖的ですから。ホテルなどで匿う方が良いのではないでしょうか?護衛の人員も抑えられますし」

「閉鎖的って、ズバッと言いますね。蓮華れんげさん」


 天宮は手をパタパタとさせながら、笑顔で瓜生に突っ込む。


「…閉鎖的?」


 私が思わず呟くと、ヤトが私にそっと話しかけた。


「…あの天宮ってやつ、財閥の御曹司なんだよ。屋敷は広いけど、その…。ちょっと家族が異様というか…。厳しくてうるさい大人が多くて窮屈なんだ。凪には合わないと思うよ」


 聞きながら、私は納得した。それで閉鎖的か…。


「俺も蓮華れんげさんに賛成」


 そう口を開いたのは、私と同じくらいの年齢の江藤えとうという少年だった。


「ぶっちゃけ、ホテルの方が天宮の屋敷より断然護衛しやすいし。ただ、申し訳ないけど、俺の部隊からはちょっと護衛の人員は出せない。今ほとんど偵察に行っているから」


 目の前を見ると、長官が腕を組んで考え込んでいた。


「他の意見は?…丹後。君はどう思う?」


 私はギクッとした。丹後を横目で見ると、相変わらず険しい表情をしている。


「…どいつもこいつも、事の深刻さがまったくわかっていない様子だな」


 幹部一同が一斉に丹後を見る。


「屋敷やホテルで護衛だと?相手はあのミレニアだ。そんな護衛を突破するのは容易たやすい。それに、護衛の人員が用意できるとはいえ、そのような場所では目立つ護衛はできない。入口なんかで目立つ護衛をすれば、『ここに標的がいますよ』と敵に知らせるようなものだ」


 長官を見ると、頷いている。丹後の話に共感している様子だ。


「それに、彼女がミレニアの手に落ちれば、最悪の事態を招く恐れがある。つまり、彼女を安全に匿うためには、より確実に敵の裏をかかなければならない」


 私は戸惑っていた。さっきまであんなに悪意を向けていた丹後がまともなことを言っているように思えたのだ。この丹後もSPTの幹部だ。重要な会議で、個人的な感情を向けることはさすがにないのだろうか…?

 そう一瞬思ったが、この私の気持ちは、あっさりと裏切られる。


「絶対に敵にバレない場所。私が提案するのは…」


 丹後は私を見て、にやりと笑いながら言い放った。


「刑務所です」


 丹後の唐突な提案に、私は思わず体をビクつかせた。け、刑務所?焔とヤトも驚いた表情で丹後を見ている。丹後は両手を広げながら笑顔でこう続けた。


「一見、刑務所と聞くと驚かれるだろう。だが、どの施設よりもセキュリティがしっかりしている。ミレニアの連中も、まさかそんなところに標的がいるとは思わないだろう」


 得意げな提案をする丹後に、ヤトがすぐ反論する。


「ふざけるな!刑務所なんて…!犯罪者や過激派が多いし、去年刑務所であんな事件があったばかりだ!安全なわけあるか!」


 事件…?一体どんな?そう思ったのも束の間、丹後が鋭い目つきでヤトを睨む。


「ペットは黙ってろ」


 ヤトは怒りに満ちた低いうなり声を上げる。


「冷静に」


 長官が、穏やかにそう促す。私は怒りで震えるヤトをそっと抱き寄せる。


「内部の脅威だと?ふん。外部の脅威から比べたら、可愛いもんだ。それに、昨年の事件以降、国内の刑務所のセキュリティはかなり強化されている。彼女にとっては、まさに最も安全な場所だ。それに…」


 丹後は私を見据え、長官には聞こえないような小声でこう呟いた。


「…幸村藍子の孫に、最もふさわしい場所だ」


 吐き捨てるような声を聞いて、丹後が心の底から私やおばあちゃんを恨んでいることを改めて痛感した。胸のあたりが、重石を乗せたようにどっしりと重たい。


「君の言い分はわかった。他のみんなはどうだね?」


 長官のこの問いに、真っ先に口を開いたのは天宮だ。


「僕は反対です。ヤトが言うように、内部から狙われる可能性があります。それに、周囲にバレないよう刑務所で護衛するとなると、せいぜい任せられる隊員の人員は一名です。仮に狙われることがあれば、守り切れないかもしれない。他の場所での護衛を提案します」


 続いて、最年少の江藤が苦笑いをしながら言う。


「…俺もさすがに刑務所は、と一瞬思ったけど。去年の事件から、セキュリティはかなり強化されていると聞いているし、敵の裏をかくこともできる。ホテルとか人が多い場所で匿うよりも、刑務所の方がよっぽど安全な気が…」


 この意見に、瓜生も同調する。


「そうですね。刑務所には女性専用の棟もあります。そこはどうかしら?凪さん」


 突然話しかけられて、私はギクッとする。そんな私を見て、瓜生は優しく諭すように言葉を続ける。


「敵も刑務所のセキュリティがかなり厳しくなっているのは知っているはず。無闇に潜入してくることはないでしょう。それよりも、簡単に人が入れる公共の場の方が危険かと」


 二人の発言を受けて、ヤトが江藤と瓜生を睨む。視線に気づいたのか、瓜生がにっこりとヤトに微笑みかける。


「感情的にならないの。大事なのは、彼女がどうすれば敵の脅威にさらされることなく、より安全に過ごせるかということよ」


 だが、ヤトは視線を逸らさずに、瓜生と江藤を睨みつけたままだ。それを見て江藤は、まいったなという感じで頭をかく。

 一方の私は、幹部の人たちの話を聞きながら、気持ちが一気に沈んでいた。私はミレニアに狙われているから、隠れなければならない。そこまでは理解したけど、刑務所なんて…。嫌な予感しかない。


「―さん?凪さん?」


 ハッとして顔を上げると、長官と幹部の人たちが一斉に私を見ている。長官は私に対して、穏やかにこう言った。


「凪さんはどうしたい?」


「私は―」


 そう言って、私は口をつぐんだ。この気持ちをどう言えばいいのか。この人たちは私をどう匿うのか。そんな話をしているけど、本当はどこにも行きたくない。だって、刑務所もホテルも、どこにいようとずっと閉じ込められることには変わりはない。何も事情を知らされないまま、この人たちが欲しい情報を思い出すしかないなんて、絶対に嫌だ。私はおばあちゃんが、何をしたのか?それだけが知りたいだけなのに。だけど、それが言葉にできなくて、私は両手の拳を握りしめながら、目を閉じてしまった。


「話にならんな。自分の意見も言えないのか」


 丹後の吐き捨てるような声が、私の耳に冷たく響く。


「焔、君はどう思う?」


 私は体をビクつかせた。もし、焔が刑務所行きに賛成したら―。心臓の音が大きく頭に響く。


「私は…」


 焔がゆっくりと口を開く。周囲の視線が、一斉に焔へと向けられる。私は怖くて、思わず息を止めた。

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