カラスのヤトに案内されて来た中庭の美しさは、想像以上だった。青や紫の紫陽花やバラ、コスモス…。その他にも、名前を知らない花がたくさん咲き誇っている。
「すごい!」
「ね!言ったとおりでしょ?」
私は笑顔で頷く。ヤトは嬉しそうに、私の頬にスリスリと寄り添う。可愛い。
「焔が会議でいない時、よくここに来てるんだ。花も綺麗だし、SPTの職員がよくここで昼食を食べるから、お裾分け貰ったり」
私は思わずクスっとした。ヤトはどうやら、おいしい食べ物に目がないらしい。
「…なんだか、いい香りがするね」
「この奥にあるクチナシだよ。風に乗ってきたんだね、きっと」
そう言われて、私は奥へと足を進める。甘い香りが次第に強くなっていく。数歩進んだところで、クチナシの花が視界に広がる。
「うわあ!すっごく綺麗」
「へへへ。そうでしょ」
嬉しそうなヤト。私もすっかり楽しくなって、歩きながら花を眺める。
瞬間、突風が吹いて、花びらがふわっと空を舞った。花びらを目で追い、私は空を眺める。
今日は快晴。太陽がギラギラと眩しい。片手で日差しを遮った時、すぐ目の前で何かがキラリと光った。私は思わず目を細める。
―あれは、日差し?いや、違う!!
唐突に、私は地面を蹴って後ろへ飛んだ。が、バランスを崩して、尻もちをつく。
「おわ!」
肩に乗っていたヤトが驚く。前を見ると、右手に刀を構えた短髪の男が、私とヤトの前に立ちはだかっていた。
「何者だ?見ない顔だな」
昨日の出来事が頭をよぎり、私はゾッとした。短髪の男は二十代後半くらいか。頬に傷があり、目つきは鋭い。今にも襲い掛かってきそうな殺気を放っている。が、男の胸元には見覚えのある印があった。
そう、あれはSPTのエンブレムだ。私がそれに気づいた時、間髪入れずにヤトが割って入った。
「おいおいおい!あぶねえじゃねえか!このバカ
「お前は…なんだ。焔のペットか」
「ペットじゃない!俺はヤトだ!何度も言わせるな!」
「お前がいるということは、この女が例の幸村凪か」
私は立ち上がり、ついた砂を軽く払ってお辞儀をした。
「あの、幸村凪です。はじめまして」
顔を上げて丹後を改めて見るが、目は鋭く、冷たいままだ。まるで「お前は敵だ」と言わんばかりに。
「いきなり刀を向けるなんて、どういうつもりだよ!」
「ふん。見たことがない人間がいたら、警戒するのは当然だ。誰かさんのせいで、すっかり物騒な世の中だからな」
「おい!」
ヤトが怒りをあらわにする。私は戸惑った。この丹後という人は焔と同じSPTのようだけど、敵意のようなものを感じる。
「さて、お前が幸村凪なのはわかった。それでどうしてここにいる?理由を言え」
問い詰めるような言い方に動揺する私。
「えっと、焔さんに連れられて来ました。でも今、焔さんは長官と会っていて…。それで少し散策を…」
「散策?」
丹後はあからさまに嫌そうな顔を向け、私を睨む。
「散策ねえ。お花畑を見て綺麗だなあ、可愛いなあと、呑気に思っていたわけだ」
私は顔を強張らせる。さっきから何なんだろう、この人。
「おい!お前に関係ないだろ!早く行けよ」
ヤトが声を荒げる。
「幸村凪、お前がここに来たのはなぜだ?言ってみろ」
「…それは、さっきも言いました。焔さんに連れて来られて…」
「そうじゃない。よそ者のお前が、こっちの世界に来た理由だよ」
「理由は…。その…、磁場エネルギーがある場所を思い出すため、です」
私はつい小声になっていた。この人、怖い。焔と同じSPTだけど、完全に敵意を向けられている。
「それだけか?」
「え?」
「それだけか?幸村凪」
ヤトは、丹後を威嚇するように大きく鳴く。それを見て、丹後は刀の刃先をヤトに向ける。
「ペットは黙ってろ。俺は今、この小娘と話をしてるんだ」
ヤトを見ると、今にも襲い掛かりそうな雰囲気だ。なんだかわからないけど、適当に答えたら、もっととんでもないことになりそうな気がする。
「それだけって…。それ以外に何があるんですか?」
そう言った途端、丹後は大声で笑い出した。私は恐怖した。この人からは狂気のようなものを感じる。横を見ると、ヤトが鋭い目つきで丹後を睨んでいる。丹後は笑うのをやめ、構えていた刀の刃先を私に向ける。
「まったく。知らないということは、それだけで罪だな」
この丹後は昨日会ったあの小男と同じように、私を襲おうとしていると直感的に思った。恐怖で体がすくむ。徐々に呼吸が浅く、速くなるのを感じた。逃げないと。この人は危険だ。
だけど、逃げ切れるのか?―そう戸惑っていると、ヤトが大きく羽を広げて飛び、私と丹後の間へ降り立った。
「邪魔をする気か?ペットふぜいが」
ヤトは低い声で鳴き、体を震わせながらより大きく羽を広げる。気のせいか、ヤトの体から赤い
ヤトは襲い掛かるつもりだ。この丹後に。丹後は鼻で笑い、剣の刃先をヤトに向ける。
――危ない!
私はヤトを止めようと、震えながら手を伸ばす。その時―。
「私の連れに何か用か?」
一斉に声の方を見る私たち。そこには焔が立っていた。
「ヤト、落ち着け」
ヤトは低いうなり声をあげながらしばらく丹後を睨みつけていたが、ゆっくりと羽を収めた。
「ふん」
丹後は焔を睨みつけて、刀を収め、その場を去って行く。
私は安心して腰を抜かした。フーっと大きく息を吐き、ヤトを見る。ヤトは振り返らず、ずっと丹後が去った方向を見ている。私はゆっくりヤトに近づいて、ぎゅっと抱きしめた。まだ怒っているのだろう。体が小刻みに震えている。
「あの、今の人は?」
焔は去って行った丹後の方向を見ながら、答える。
「
「幹部…」
「二人とも、怪我はないか?」
焔が私たちを交互に見る。
「怪我はないです。ただ…」
私はしゃがみながら感じた疑問を焔に投げかける。
「あの丹後っていう人、私のこと嫌っていたようなんですけど、どうしてなんでしょうか?『知らないことは罪』って言われたんですけど、どういう意味なのか…」
私の問いに、二人は何も答えない。
どちらかはわからないが、違和感のある二人の様子を見て、私は不安を募らせる。
「あの…。私、まだ知らされていないことがあるんじゃないですか?おばあちゃんのことで」
私は立ち上がり、焔を真っすぐ見る。
「幸村藍子がしたことは、昨日君に話した通りだ」
「でも…」
「…だが、幸村藍子の行動の解釈が人によって違う、ということだ」
私は言葉に詰まる。
「…解釈って。どういうことですか?ちゃんと説明してください」
「凪、落ち着いて」
ヤトが私をなだめる。が、私も止まらない。わけもわからず、これ以上襲われるなんてまっぴらだ。
「人によって解釈が違うっていうなら、その解釈を教えてください!みんな、おばあちゃんのこと本当はどう思っているんですか!?」
気付いたら私は焔の腕を掴んでいた。焔は私をじっと見つめるが、口をつぐんだままだ。
「…どうして教えてくれないんですか?おばあちゃんは私の家族なのに。本当のことを知ろうとすることが、そんなにいけないことですか?」
焔は一瞬、瞼をピクリとさせた。
「…すまない。私からは言えない」
私は焔の腕を掴んだまま、うなだれた。頭がごちゃごちゃだ。だが、休む間もなく、焔はこう告げた。
「…実は、これから緊急会議が行われる」
「緊急会議?」
ヤトが不思議そうに尋ねる。
「君…、凪がこれからどう過ごすのが最も良いかを、長官と幹部一同が集まって話し合うことになった」
「幹部って、じゃあ丹後もいるのかよ?」
焔が頷くと、ヤトは悪態をついた。
「色々事情があってな。ついさっき長官から招集がかかった」
焔の知らせを受けて、一気に不吉な予感がした。俯く私の肩に、ヤトがふわっと乗る。
「俺も行くよ。大丈夫。俺と焔は、凪の味方だし、変なことにはならないから」
「その通りだ」
私は不安げに焔とヤトを見る。
「行こう」
焔の言葉を合図に、私は拳をぎゅっと握りしめて歩き出した。