銀髪男は、軽々と私を抱きかかえていた。一体いつの間に?ちょっと目を閉じただけなのに。銀髪男を見ながら、私は
「…オマエ、は…」
小男は銀髪男に見覚えがあるような反応をした後、再びナイフを顔の前に構えた。
また、来る!
私は反射的に銀髪男の服の
「隙あり、だな」
小男は首をかしげながら、不気味に振り返り私たちを
あの物体は…?
いや、物体じゃない。あれは、カラスだ!
カラスは大きく鳴きながら、鋭い足の爪を容赦なく小男に突きつける。小男は両手をブンブン回しながらカラスを払いのけようとするが、カラスはするりと小男の攻撃をかわしている。カラスから、いくつか羽が抜け落ちていく。ゆっくりと地面に落ちる羽を見ながら、私はなんとなく、直感的に察していた。
あのカラス、見たことがある。もしかして—。
予感を確かめる間もなく、銀髪男は一目散に駆け出した。
は、速い!
目に当たる風が痛くて、私は固く目を閉じる。
一体これは、どういうこと?何が起きてるの?
現状が理解できないまま、私はただふるい落とされないように、銀髪男の腕にしがみつくしかなかった。
銀髪男の腕の中で、私はある思いに駆られていた。私の家があった場所は、コインパーキングになっていた。親友のひなたも私を知らない。剣道部の名簿にも、私の名前はなかった。
もしかして、あの時に見た閃光は車のライトだったのかな。
もしかして、交通事故に遭ったのかもしれない。
もしかして、今もう私は死んでいるのか?
だから今、こんな変なことが起きているんだろうか―?
「―い、おい!大丈夫か?」
そう声をかけられて、私はハッとした。目を開けると、男は走るのをやめていた。私は周囲を見渡す。どうやら、広い空き地に来ているようだった。
「怪我は?」
抱きかかえられたままの状態で、私は首を振った。ホッと息を吐く男。
少しの間、私たちは目を見合わせた。途端に抱きかかえられているこの状況が恥ずかしくなって、私は顔を隠すように手をバタバタとさせた。
男は「ああ、そうか」という顔をして、私を地面にそっと着地させる。私は深呼吸をして、恐る恐る男にこう尋ねた。
「あの、私死んだんですか?だから今、こんな変なことになってるんでしょうか?」
男は困ったように頭をかく。
「なんと言っていいのか…。とりあえず、死んだとかそういうことではない」
「じゃあ、一体…」
「結論から言うと、ここは君が元々いた世界線じゃない。ここはいわゆる並行世界、パラレルワールドだ」
「パラレル、ワールド?」
「そう。衝撃波のような、強い光を今日浴びなかったか?」
夕方、信号を渡っていた時に浴びた強い光のことを思い出して、私は頷いた。
「夕方、あなたにスマホを渡された後、友達と別れたんですけど、その後すぐ」
「それだ。その時に君はこっちの世界に来た」
「そんな、そんなことが…?」
だから、私の存在が消えているのか?でも、どうしていきなりこんなことに。私はわけもわからず、混乱した。
「あの…。ということは、あなたもその時にこっちの世界に?私と同じ状況ですか?」
「いや、私は元々こっちの世界の人間だ。君がこっちの世界に来たと知って、大急ぎで帰ってきた。まさか、こんなに早く事が動くとは思ってなかったが…。何はともあれ、間に合って良かった良かった」
何が何だかわからない中、銀髪男は安心しきっている。いやいや、ちょっと待ってくださいと、続けざまに私が質問をしようとした時、空から黒い塊がこっちへやってきた。私は思わず顔を
「大丈夫。あれは味方だ」
黒い塊は地面に何かを置くと、バサバサと音を立て、大きく鳴きながら空へ飛び立っていった。あれはカラスの集団だ。十羽以上はいるだろうか。ふと地面を見ると、私が学校に置き忘れた竹刀と竹刀袋が置かれていた。そして、竹刀の横には一羽のカラスがちょこんと
私は、カラスの羽をジーッと見る。カラスの羽は、少し傷んでいた。やっぱり!このカラスは―。そう思った、次の瞬間。
「忘れ物だよ、凪」
突然カラスが言葉を発して、私は思わず飛びのいた。
「え?え?え?ええ!?」
私を見て、銀髪男は、プッと軽く吹き出している。
「驚くに決まってるだろ、ヤト。突然話しかけるヤツがあるか」
銀髪男は至って冷静に返している。その様子を見て、私はただただ目を見開くしかできなかった。
「ごめんごめん、驚かせて。でもさ、俺ずぅっと話したかったんだよ」
少しダミ声のカラスは、軽快にそう答えた。
「驚いた?凪」
私は
「俺のこと、わかるかなあ?」
私はハッとして素早く頷いた。
「良かった!凪が助けてくれたおかげで、羽の具合も大分良くなったんだよ、ホラ」
カラスはご機嫌そうに、羽を広げて私に見せる。
「や、やっぱり、あの時のカラス…?」
カラスは全身を使って深く頷く。
「忘れ物。大事なんでしょ?この竹刀」
私は驚きながらも、ゆっくりと歩き、地面に置かれた竹刀に手を伸ばす。
「…あの、ありがとう。その、カラスさん」
「ヤトだよ!」
「え?」
「ヤトって呼んで!よろしくね、凪」
「…こちらこそ。ありがとう、ヤト」
「で、こっちの銀髪は『
私は焔を見てお
「焔、さん…。あの、すみません!ご挨拶が遅くなりました。幸村凪です。先ほどは危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」
私は手をモゾモゾさせながら、恐る恐る尋ねた。
「それで、その…。一体何が、どうなってるんでしょうか」
焔という男が口を開こうとした次の瞬間、私のお腹がグルルルルと、五秒くらい豪快な音を立てた。しんっと静まる空間。ヤトとは別のカラスが鳴きながら空を飛ぶ。私は恥ずかしくなって焔とヤトを見るが、二人とも表情を変えずに黙っている。いや、そこはお世辞でもいいから、ちょっとだけ笑って欲しかった。そんなことを思いながら私が気まずそうな表情をしていると、焔は腕時計を見た。
「七時半か」
焔は車のキーを取り出し、空き地に停められていた車のロックを解除する。
そのまま助手席のドアを開けて、こう言った。
「とりあえず、腹ごしらえだ。話の続きはそこでしよう」
焔は顔をクイっとさせて、私に車へ乗るよう促す。ヤトはふわっと飛んだかと思うと、助手席から車内へと入っていく。私は軽く会釈をして、助手席から車の中へ入った。