衝撃の事実を知ったが故に俺は頭が混乱して意識がふわついていた。しかし、腹部を貫かれたリリスを見て一気に我へと返る。いや、正確には我に帰らざるをえなかったのだ。自分の過去を知るよりもリリスが致命傷を負う事の方が何倍もショックなのだから。
血を流しながら膝をつき、虚ろな目をしたリリスに俺は大声で呼びかける。
「おい! しっかりしろ、リリス! なんで……こんな……」
「……だって……たい……せつ……って……いったじゃ……ないですか……それよりも……早く逃げ……カハッ!」
リリスは言葉を言い切る前に大量の血を吐き出した。腹部を貫かれたのだから一刻の猶予も許されない。俺はアスタロトへの怒りと自分に迫る危機を忘れて、どうやってリリスを助け出すかだけを考えていた。
リリスのおかげでアスタロトの一撃を喰らわずにすんだけれど、アスタロトはまだ俺達の前にいるのだから問題は全く解決していない。
すぐさま追撃してくるかもしれないと顔を上げてアスタロトの方を見ると、どういうわけかアスタロトは両手で自身の頭を抱え込み、激痛にもがいて唸り始めた。
「ウグゥゥ……グアアァァ……こ、こんなはずでは……ぬああぁぁぁっっ!」
何故攻撃をしてきた当のアスタロトがパニックを起こしているかさっぱり分からない。だが、これは絶好のチャンスだ。アスタロトが動けなくなっている今のうちにリリスを止血し、この場から立ち去らねば。
「みんな! リリスを止血してすぐに逃げるぞ! 回復のできる奴はリリスの治療を頼む!」
俺が指示を出し、リリスを両腕に抱えてサーシャとフィアの前に置いた次の瞬間、俺の背後から突然アスタロトとは違う聞いたことの無い声が飛び込んできた。
「急いで逃げる必要はないよ、英雄ガラルド君」
背筋にゾッとしたものを感じた俺はすぐさま後ろを振り返ると、そこには如何にも賢そうなガウンを羽織り、正方形で平面の学者然とした帽子を被った男が立っていた。
その男はモノクルを付けていて中肉中背、歳は40代半ばといったところだろうか。俺はその男の顔を知らないはずなのだが、不思議と既視感がある。困惑していて何も言えなくなっていた俺を尻目にゼロが震えた声で男の名を口にした。
「父さん……いや、ワン……どうしてこんなところに!」
その男の正体はゼロの父親であり、皇帝アーサーに兵器を提供した狂気の学者ワンだった。今までに見た事のない血走った目でワンを睨みつけるゼロとは対照的にワンは飄々とした顔でアスタロトに近づくと、首に針の様な物を突き刺した。
するとアスタロトは一瞬で眠りにつき、ワンはそのまま片腕でアスタロトを抱えると呆れたような口調で言い放つ。
「はぁ……久しぶりの親子の再会なのになんて顔をしているんだゼロよ。まぁお前は私に対して憎しみしかない。仕方がないのだろうな。まぁ私はお前のことなどどうでもいいがな。お前のような中途半端な学者では私の役に立てやしないのだから」
「……僕は父さんの役に立つ為に知恵をつけた訳じゃない……それより、ここに現れた理由はなんだ? アスタロトを抱えてどうする気だ? 一体お前達は何を企んでいるんだ?」
「私の崇高な目的を話す義理はないが、アスタロトの元へ駆けつけた理由は教えてやろう。それは見ての通り暴走したアスタロトを助けに来たのだよ。彼は私に勝るとも劣らないほど優秀な男だが不安定な精神がたまに傷でな。近くにいる時は暴走を止めてあげているのだよ」
「父さんとアスタロトは仲間なのか? アスタロトは何故いきなり悶え始めたんだ? そもそも父さんは何をしたいんだ?」
「さっきも言ったが目的を話すつもりはない。だが、アスタロトとの関係ぐらいは教えてやるか。アスタロトと私は仲間というほど仲の良い間柄ではない。お互いの目的の為に一時的に協力し合っているだけなのだよ。まぁ、私が協力関係を結んでいる者は他にもいるがな。もっとも、そのうちの1人はディアトイルの集会所でさっき殺されたみたいだが」
集会所でさっき殺された男……皇帝アーサーのことだ。エンドとアーサーは繋がっていたからワンと協力関係だと言われても驚きはしない。やっぱり大陸会議を監視されていたようだ。
きっとアスタロトは大陸会議の日なら確実に俺と接触できると思ってディアトイルに来ていたのだろう。
そして、もう1つ気になるのがワンの言い方だ。ワンは『もっとも、そのうちの1人はディアトイルの集会所でさっき殺されたみたいだが』と言っていた訳だが、この言い方から察するに協力関係になった者はアスタロトとアーサー以外にもいるようだ。
俺はゼロに協力関係を結んでいる人物について尋ねる。
「ワンの言い方だと他にも協力関係にある人物はいるようだが、どこのどいつだ?」
「さあ、誰だろうね? ガラルド君ならなんとなく勘づいているんじゃないかな? まぁ1つ忠告しておくと敵はアスタロトだけと思わない方がいいだろうね。その協力者はアスタロト程の力は無いけど、芯がしっかりしている。だから決して心が折れる事はないし、頭も切れるからね」
「今、あんたをぶん殴って無理やり吐かせてもいいんだぜ? さっさと全てを話せ!」
「止めておいた方がいいよ。私もアスタロトほどではないけれど強いからね。君達が束になっても敵わないと思うよ。それより、そこの女神をさっさと治してあげた方がいい。彼女が生きている方がアスタロトも喜ぶし、事態も面白い方に転ぶはずだからね。それじゃあ私はこのあたりで失礼するよ。また、どこかで会おう」
「お、おい! 待て!」
俺の制止を無視し、ワンは氷の竜巻で俺達の視界を塞ぐと、そのまま音もなく洞窟から去ってしまった。
最悪な敵を2人も逃がす事になってしまったが、殺されなかっただけマシなのかもしれない。それよりも今はリリスの怪我の方が心配だ。俺はリリスに駆け寄り、フィアに容態を尋ねた。
「フィアさん、リリスは助かりそうか?」
「はい、直ぐに傷口を氷結魔術で固めたのでなんとか……。しかし、傷口とは別に不可解な点があります。リー姉さんの頭をよく見てください、髪の毛が少し光っていて少しずつ銀髪の部分が金髪になっているのです。まるでかつてのリー姉さんのように。この現象は一体何なのでしょうかガラルドさん?」
「前にリリスの記憶が刺激された際、1度だけ髪色が部分的に変わったことがあったけど、俺達にもよく分からないんだ。それよりリリスをゆっくり治療できるところはないか?」
「棚を動かすと床下に階段がありまして、降りた先に治療器具やベッドのある部屋がありますので降りましょう。ここならアスタロト達が戻ってきてもすぐに見つかる事はないと思いますので」
俺達はフィアの指示に従い、地下階段を降りていく。リリスは命に別条がなくて一安心だが、髪色が再び変わり始めているのが気がかりだ。前回、髪の一部分が金色になった時よりも広い範囲が金髪に変異しているし、今も進行形で変わり続けている。
アスタロトとの接触が前世の記憶を呼び戻すうえで重要な鍵となっているのだろうか? リリス本人に尋ねたいが気を失ってしまっている以上、回復を待つしかない。
俺達はひたすらリリスの回復を待ち続けた。