嬉しそうなアスタロトとは対照的にシリウスは大汗をかきながらアスタロトを見つめていた。シリウスは懐から剣を取り出してアスタロトに向けると、震える声で尋ねる。
「その声……まさかお前は……。今すぐ仮面を外して顔を見せろ!」
「フフフ、そう焦るなシリウス。お前の予想は当たっているのだからな。それに私が仮面を外す時は視界を得るということだ。罪深き私の瞳は仮面で長年塞ぎ続け、聴覚・触覚・嗅覚・魔力の波動を目の代わりとして世界を感じ続けたのだ。だから仮面を外す時ぐらいはゆっくりさせてくれ」
俺の予想通りアスタロトは目で物を見ていなかったようだ。アスタロトは仮面を外すと、ゆっくりと瞼を開く。するとアスタロトの右目は銀色で、左目は黒色になっていた。
髪の毛もローブの中にしまっておいたのか、仮面を外すと同時に一つ結びにされた黒色の長髪が細く長身なアスタロトの背中に垂れる。
俺が死の山で初めてアスタロトと接触した時は年齢を20代か30代と予想していて、実際に仮面を外した今もそれぐらいの男に見える。強さと隙の無さと威圧感は見た目の年齢を遥かに超えていて、剣聖を思わせるほどの凄味があるわけだが。
顔立ちは中性的で、どこか儚げではあるものの、暗くどす黒い雰囲気も漂わせている。目は吊り上がってもいなければ垂れてもいないが、不思議と鋭さも温和さも内包しているように思えて、掴みどころのない男だ。
「やっぱりお前だったか……」
どうやらシリウスの予想は当たっていたようだが、俺には誰だか分からない。俺が今すぐ名を尋ねてやろうとしたその時、リリスはいっそう頭痛に苦しみ始めてしまう。
するとアスタロトは目的のシリウスには目もくれず、リリスの顔を見て声を失い、目を丸めて驚いていた。
アスタロトはシリウスだけではなく前世のリリスとも関係があったのだろうか? 今までアスタロトは仮面をしていたから感情の揺れを捉えにくかったこともあるが、それを差し引いてもアスタロトがここまで感情的になっている姿を見るのは初めてだ。
何が何だか分からない状況の中、アスタロトはリリスに向かって問いかける。
「そうか、死の山でガラルドの横にいた女がそうだったのか……。仮面で視界を閉じていたのが裏目に出たようだな。だが、これでようやくグラドに復讐を果たせる」
何故ここでグラッジの祖父であるグラドの名前と『復讐』というワードが出てきたのかが分からない。アスタロトは若く見えるから長年孤独に旅をしていた高齢のグラドと関わっていたとは思えないのだが。
俺は「グラドとも知り合いなのか?」と尋ねたが、アスタロトは俺の言葉など聞こえていないかのように無視し、リリスへ質問する。
「そこの女神、確かリリスという名だったな。お前に質問する、ガラルドはお前にとってどれほど大事な存在だ?」
またしてもよく分からない事を言いだしたアスタロトだったが、リリスは頭痛に苦しみながらも迷いなく答えた。
「自分の命よりずっと大切で、初めて私に恋心を抱かせてくれた存在です」
こんな状況じゃなければ俺にとってどれほど嬉しい言葉だろうか。俺はリリスとは対照的に素直に好意を表現できる人間じゃない。だから気の利いた言葉は言えないけれど、全てが片付いた時には俺なりに精一杯彼女の気持ちに応えたいと思う。
リリスの真っすぐな言葉を受けたアスタロトは何故か舌打ちをした後、不可解な言葉を発する。
「女神リリスとしてはそういう答えになるかもしれないな……女神としては」
さっきからずっと訳の分からない事を言い続けていて、いい加減腹が立ってきた。気が付けば俺はアスタロトを怒鳴りつけていた。
「何なんだお前は! 死の山でも、イグノーラでも、洞窟でも、ずっと掴みどころのない言動ばかり……さっさと目的を言いやがれ! 俺が全力で止めてやるからよ!」
「ガラルド……お前は何も知らずに呑気なものだな。いいだろう私の数ある目的の1つを教えてやろう。私はずっとガラルド……お前を殺したいと思っていたのだよ。だが、お前と再会した死の山の麓はお前の死に場所に相応しくないと思ってな。だから殺しはしなかった」
「ちょっと待て、再会だと? お前と俺が初めて会ったのは死の山の麓だろ? それに、お前の仲間のザキールは『ガラルドの父親のところにガラルドを連れて行くのが任務』と言っていたんだぞ? ザキールの任務の邪魔をするつもりなのか? 仲間なんだろ?」
「フッ、フフフッ、フッハッハッハ!」
俺が問いかけるとアスタロトは堪えきれないと言わんばかりに高笑いし、憐れみを含んだ邪悪な笑みで俺を見つめ、答えを返す。
「お前にとってショッキングな事実を教えてやろう。ガラルドもザキールも私の息子なのだよ。そして、ガラルドに対して愛情は一片もない。お前は実験の道具の1つに過ぎないのだよ」
「えっ……?」
こいつは何を言っているんだ? 俺がアスタロトの息子? アスタロトの道具? 母親に捨てられただけでなく父親からも殺されようとしている? 俺という存在は一体何なんだ?
俺はザキールと兄弟なのに魔人の力が無い。一方で常人とは違う緋色の魔力がある。ということは母親が魔人でアスタロトが緋瞳の一族ということなのか? 俺の脳内を色々な考えがよぎり、気がつけば俺は眩暈を起こして両膝を着いていた。
周りからは俺を心配する声が聞こえている気がするが、まるで海に深く潜り込んだかのようにうっすらとしか声が聞こえず、何て言っているのか分からない。
しかし、動転する俺の耳にもアスタロトの冷酷な言葉だけはクリアに届く。
「ガラルド、お前はリリスの前で無惨に死ねばいい!」
そう言い放ったアスタロトは剣を片手に高速で俺に向かってきた。立ち上がって抵抗しなければいけないのに体が重い。俺は心の奥底で自暴自棄になっているのだろうか? それでも俺は負の感情になんとか蓋をして棍を握る。
しかし、次の瞬間、視界に俺のではない血が飛び散った。
「ガ、ガラルド、さんは、殺させ……ません」
リリスが俺の目の前に瞬間移動して、アスタロトの突きから庇ってくれたのだ。アスタロトの剣はリリスの腹部を貫き、剣先からぼたぼたと血を滴らせていた。