拘束したザキールを連れて順調に死の山を下っていると俺達の耳に信号弾特有の細くて高い音がとびこんできた。もしかしたらシルバーが派遣した伝言役が打ち上げたものかもしれない。音のした方を見てみると死の山の入口で緊急事態を示す赤色の煙があがっていた。
強力な魔獣に襲われている可能性も考えられる。急いで死の山の入口に向かうと、そこにはガーランド団の仲間2人が血を流して倒れていた。そして、その横には目も鼻も口も空いていない灰色一色の仮面を付け、漆黒のローブを着た男が拳に血を付けた状態で立っていた。
異様な光景が恐ろしくてたまらないが、仲間が殴り倒されている以上放っておくわけにはいかない。俺は仮面の男に声を掛けた。
「お前は何者だ! 何故俺の仲間を攻撃したんだ!」
俺が大声で問いかけたにも関わらず仮面の男は質問を無視し、ザキールを見て呟く。
「なかなか報告に帰ってこないと思ったら、こんなところで油を売っていたのかザキール」
「アスタロト様……申し訳ございません……。五英雄グラドの孫グラッジ、そしてガーランド団代表のガラルド相手に敗北してしまい拘束されてしまいました」
ザキールは痛みとは別に声と肩を震わせていた。あの傲慢と不遜を絵に描いたような奴がこれほどまでに怯えるアスタロトとは一体何者なのだろうか?
声色は少し低く高圧的で背が高く細身ではあるが立ち姿からだけでも相当な達人であることが分かるほどに隙がない。まるで50年以上剣を振るってきた剣聖のようだ。
抑えている魔力からでも相当な魔術の使い手だと分かるぐらいに、ほとばしる魔力が洗練されている。ザキール1人でも大苦戦したのに、こんな奴と戦うのはまっぴらごめんだ。刺激しないように慎重に目的を尋ねよう。
「仮面のアンタ、確かアスタロトと言ったな。何の目的があって俺の仲間を攻撃したんだ?」
「理由は2つある。1つは我々の領地である死の山へ足を踏み入れていたから制裁を加えたのだ。そして、もう1つの理由は大陸南側のこの場所で大陸北の人間らしい装いをした戦士が立っていたから噂のガーランド団だと思ってな。何が目的でここへ来たのか体に聞いていたところだったのだ。もっとも、そこの血だらけの2人は最後まで口を割らなかったがな」
仲間の2人は気を失っているものの命に別状はなさそうだ。こんなになってまで口を割らなかった2人は本当に凄い精神力だ。起きたらしっかりと礼を言わなければ。次はアスタロトにザキールとの関係性を尋ねてみよう。
「随分とザキールから恐れられているみたいだが、アスタロトはザキールとどういう関係なんだ? あんたも人間を滅ぼしたいのか?」
俺が問いかけるとアスタロトは斜め上を見て数秒沈黙した後、煮え切らない答えを返す。
「それも、目的の1つではあるな。だが、今回は他に色々と目的がある。ザキールを探していたのもやらなければならない事を成し遂げる為だ」
「何だかよく分からないが、どちらにしてもザキールの身柄は渡さない。怪我させられた仲間も連れ帰らせてもらうぞ。俺達にも色々とやる事があるからな」
「いいや、悪いがザキールは返してもらう。それと1つこちらからも質問させてくれ。お前達の中にガラルドという男がいるだろう? どいつがガラルドだ?」
「……俺がそのガラルドだが、なんか用か?」
「そうか、随分と屈強そうな男だな。これなら多少負荷が強くても大丈夫か」
アスタロトは訳の分からないことを呟くと突然指先に黒い魔力を宿した。すると、急激に俺達の体が重くなりアスタロトとザキール以外の全員が手と膝をつかされる事態となった。
重力を増す魔術と思わしきそれは手と膝が岩肌にめり込みそうな程に重く、
重力を強める技なんて歴戦の戦士を含めてもサーシャしか知らない。だが、アスタロトのそれはサーシャよりも遥かに強力だ。
苦しむ俺の横を素通りしたアスタロトはあっという間にザキールを縛っていた鎖を切り、ザキールを解放してしまう。
このままザキールを連れて行かせる訳にはいかない。俺はアスタロトの右腕を掴んだ。しかし、決して太くはないアスタロトの腕はピクリとも動かなかった。そして、アスタロトはいきなり右腕を豪快に振り回すと俺の体は勢いよく飛ばされてしまった。
そんな俺の姿を見たザキールは勝ち誇った顔で呟く。
「喧嘩を売る相手が悪かったな。てめぇらはそこで這いつくばってやがれ!」
活き活きと罵倒するザキールだったが、それを見たアスタロトは大きな溜息をついた後、ザキールに言葉を掛ける。
「たかがハンター風情に負けた貴様が偉そうにするな。貴様は力も無ければ精神も未熟過ぎる。少し罰を与えねばな」
そう言うとアスタロトは目にも止まらぬスピードでザキールの腹部を殴りつけた。血と唾液を吐き出し、うずくまったザキールは今にも泣きだしそうな声で謝り出す。
「すみません、アスタロト様……自身の不甲斐なさを反省いたします」
「なら、行動で示してもらわないとな。ザキールが最優先にやるべき仕事はここにいる人間に構う事ではないだろう? 特別に『天地の
「あ、ありがとうございますアスタロト様!」
ザキールが感激の声をあげるとアスタロトはローブの中から左右で大きさの違う天秤のような物を取り出した。するとアスタロトは小さい方の秤に指を当て、ザキールは大きい方の秤に指を当てた。
一体何が始まるんだ? と重くなった体で踏ん張りながら2人を見つめていると突然アスタロトの体からザキールの体へ魔力が流れ始めた。それだけではなくアスタロトは仮面の下から血を吐き出し、体の至る所から血が出ているのがローブ越しから確認できる。
それとは対照的にザキールの体の傷がみるみるうちに治っていき、しまいには溶けるように無くなっていた右の羽が生えて傷んでいた右半身もほぼ完全に修復してしまった。
まるで治療版サクリファイスソードのような効果を発揮する『天地の
「もしかして、それはアーティファクトか?」
「ほう、アーティファクトを知っているのか? そう、『天地の
「なるほどな。だが、ザキールの様子を見る限りアスタロトのダメージ以上の回復をしているように見えるが?」
「それは単純にザキールと私では力の絶対値に差があるから、そう見えるだけだ。逆にザキールが私を回復しようとすればザキールの命を丸々差し出したとしても切り傷1つ治せる程度だろうな」
もし、アスタロトの言っていることが本当ならアスタロトは異次元の強さを持っていることになる。実際、一瞬で俺達全員を這いつくばらせる程の重力魔術を発することが出来る奴なら大袈裟な物言いではないのだろう。
だが、そんなに強いアスタロト自身がわざわざ血を流してまでザキールに遂行させたい『最優先の仕事』とはなんだろうか? 俺は今すぐ倒れてしまいたい体を何とか気力で立たせ、アスタロトに問いかける。
「ザキールに何をさせるつもりなんだ? 俺を父親に会わせると言うのは優先度の低い目的だったのか?」
「……ガラルドに関してはひとまず置いておく。存在を確認できただけでも上々だ。そして、ザキールの仕事は至ってシンプルだ。それは魔獣を率いてイグノーラを滅ぼす事だ」