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第118話 長引きすぎた航海




 ズキズキと痛む体、そして口の中にゆっくりと流れてくる水の冷たさで俺の意識は覚醒する。ゆっくりと目を開けるとそこには膝枕に俺の頭を乗せてコップで水を飲ませているリリスの姿があった。


 腰や手足に感じる柔らかい感触からベッドの上にいる事が分かる。何でリリスは備え付けの枕があるのにわざわざベッドに上がって膝枕をしているのだろうか? もしかしたら趣味なのかもしれない。


 直ぐに左右を確認すると、そこには泥の様に眠っているパープルズの姿があった。俺が意識を失っている間もずっとリヴァイアサンの水球を防いでいてくれたのだろう。痛む体を引きずりながら助けてくれた彼らの姿を一生忘れる事はないだろう。


 俺が起きた事にリリスも気が付いたようで、こちらに笑顔を向ける。


「おはようございますガラルドさん、体の方は大丈夫ですか?」


「ああ、単に疲れているだけで怪我もなさそうだよ。看病してくれていたんだよな? ありがとな」


「どういたしまして。ところで私の膝枕はどうですか? ドキドキしましたか? 体をちゃんと休ませるにはベッドで寝た方がいいので膝枕は諦めかけたのですけど私自身がベッドに上がって正座すればいいと気が付いたのです。自分の頭脳が恐ろしいですよ」


「頭脳じゃなくて煩悩だけどな。でも、熱心に看病してくれて嬉しいよ」


「サーシャちゃんもスキル『アクセラ』でひたすらガラルドさんの回復を助けてくれていたので、後でお礼を言っておいてくださいね。今はガラルドさんとパープルズの計5人を回復させていた疲れもあって別室で横になっていますけどね」


 サーシャには何かとアクセラを使ってもらう機会が多いが、今回はボロボロの人間を5人も回復してもらった訳だから今までで1番疲れさせてしまったかもしれない。いつも以上にしっかりお礼をしなければ。


 それから俺はどのくらいの時間眠っていたのかリリスに尋ねた。どうやら意識を失ってから2日近く経っているらしい。


 ローブマンとの戦いでも力を使い過ぎて意識を失ったことがあるが、あの時よりも格段に眠っていた時間が長い。基礎的なスタミナの最大値が伸びたことにより、その分回復にも時間がかかるようになったこともそうだし緋色の魔力の存在を認知して使い方を知ったことで2種の魔力の酷使で疲労が爆発したのかもしれない。


 これからはもう少し力の使い方に気を付けなければと反省していると俺が寝ている船室にシルバーが駆け込んできた。


「またウォーター・リーパーが来たぞ、全員戦闘準備だ! お、ガラルドが目を覚ましたか、お前はまだゆっくりしていろよ」


 そう言ってシルバーは船室を出ていった。ウォーター・リーパーなら対処法も分かっているし、この航海で何度も戦ってきたから無理に俺が出て行かなくても大丈夫だろう。そう判断した俺は扉の窓から甲板で戦う皆の姿を見ていた。


 しかし、何故か全員の動きが明らかに鈍かった。ウォーター・リーパーは数匹甲板に乗り上がってきて音だけではなく直接攻撃まで繰り出している。このままでは皆が危ない、俺も加勢しなければとドアノブに手をかけたがリリスがそれを制止する。


「そんな体じゃ戦えませんよ! 見守るだけなのは辛いと思いますが耐えてください……」


「くっ……歯がゆいぜ」


 そこから戦士たちは体勢を立て直し、何とかウォーター・リーパーを全滅させた。皆を労う為に扉を開けて甲板に出た瞬間、俺は皆の動きが鈍い理由が分かった。疲労と衰弱だ。


 明らかに全員の顔に生気がなく、背筋も張っていない。どういうことかとシルバーに尋ねると彼は答え辛そうに語る。


「肉体的な疲労もさることながら食糧的に厳しいんだ。度重なる魔獣の襲撃で体力を使うから必然的に栄養補給も多くなってしまってな。もう1日分ぐらいの食糧しか残ってねぇ。まだ上陸まで3日ぐらいはかかりそうなんだけどな」


 船旅でもっとも恐ろしいと言っても過言ではない食糧不足が起きてしまった。出港時には多めに持ってきたつもりだったが想像を超える長旅となってしまったのが原因のようだ。


 いつも元気なシルバーが今までに見せた事がない悲壮感溢れる表情を浮かべている。多くの旅をしてきたシルバーだからこそ事の深刻さが分かるのだろう。大きな溜息をついたシルバーは何か覚悟を決めたような顔で俺に問いかける。


「ガラルド、俺達はそろそろ決断しなきゃならねぇ。残り少ない食料をどうするかだ」


「どうするかって全員で均等に分けるんじゃないのか?」


「そうしたいのは山々だが、それだと総倒れになりかねない。だから残酷な選択にはなるが俺に考えがある。戦闘班も技術班もそれぞれ体力があって腕の立つ上位半数のメンバーだけが食事をとるんだ。段々と陸地が近づいてきた影響か徐々に嵐も魔獣も勢いが弱まっているから小島に止まる回数も残り僅かになるはずだ」


「おい、冗談だろ? ってことは身動きがとれないパープルズのような奴らは真っ先に見捨てるってことか? そんなのあまりにも……」


「…………」


 シルバーは下を向いて黙り込んでしまった。半数が生き残れる選択をするか限りなく可能性の低い全員生存を信じて食事を均等に分けるか……その2択なら当然前者を選ぶだろう。


 最終的に決断するのはリーダーである俺だと分かっているからこそ、シルバーは辛そうに俯いているのだろう。だが、いつか俺達が歴史に残るような偉業を成し遂げて冒険譚が残った時に『仕方なく半数の仲間を切り捨てました』なんて記述は死んでもされたくない。


 俺はシルバーの問いかけに何も答えず甲板に出た。そこでは究極の選択が迫っている事を知らない戦士たちがボロボロになりながらも周囲を警戒し、魔獣の死体を片付ける作業をしていた。


 彼らの目は疲れ切っているが決して死んではいない、今も俺達主要メンバーを信じて力を貸してくれている、そんな彼らを見捨てる事なんて絶対にできない。


 頑張っている全ての船員たちを守るには『この選択』しかない。俺は深呼吸して覚悟を決め、全員に聞こえるように宣言する。


「皆聞いてくれ! 今、俺達の船には食糧がほとんど残されていない。残りの距離的に食事を取る人間を限定すれば半分は生き残れるかもしれないが俺はお前達にそんなことは絶対にさせない。その為に俺は今から自分の命をかけて食料を確保する!」


 俺はそう言い切った後、震える手を抑えながら甲板で倒れているウォーター・リーパーを火の魔術で焼き齧りついた。すぐさま駆け寄ってきたリリスが俺の手を叩いてウォーター・リーパーを床に落とす。


「魔獣を食べるなんて何やってるんですか! 下手したら死んじゃいますよ!」


 リリスが泣きながら俺を怒鳴りつけた。リリスの言う通り魔獣は基本的に食べられるものじゃない。味がとんでもなく不味いのもあるが、それ以上に毒性があったり、魔力暴走が起きてしまったりとデメリットだらけだからだ。


 一部大陸で起きている食糧問題も魔獣が食べられるものならば解決しているのだろうが現実問題食べられる魔獣は全体の1%もいないらしい。だけど、ここはリーダーである俺が精一杯強がって皆を安心させてやらなければならない。


「なーに、心配するなリリス。よく焼いて食えば大丈夫さ。それに俺がこの身をもって食べる事が出来ると証明できれば甲板にいるウォーター・リーパーで一気に食糧問題が解決でき……ウッ!」


 言葉を言い切る前に俺の体が痺れ始めた。どうやらウォーター・リーパーは不味いだけではなく痺れ効果があったようだ。だが、致死レベルの毒が無かったのは不幸中の幸いだ。


 俺は痺れによって倒れた体を何とか上半身だけ起こして皆に伝える。


「ハァハァ……恐らく死に直結するような毒はないぞ。俺は大口開いて一気に食べちまったから痺れも強いが、少しずつ食べればきっと大丈夫だ」


 俺が伝え終わると倒れた俺に近寄ってきたシルバーが豪快に笑いながらウォーター・リーパーを手に取った。


「ガッハッハッハ! まったくガラルドはとんでもない野郎だぜ。お前の漢気に震えちまったよ。死を覚悟して行動したお前に敬意を払って俺も食べる事にするぜ」


「待って!」


 シルバーが今まさに齧り付こうとした瞬間、横からサーシャが止めに入った。


「シルバーお兄ちゃんは航海の指示を出さなきゃいけないから食べないで。それとリリスちゃんも食べないでね。陸地が確認でき次第アイ・テレポートで飛んでもらって助けを呼んで欲しいから。だけど、サーシャは食べるよ、ドライアド代表として皆を守る義務があるから」


 サーシャがこの一瞬でそこまで状況を分析していたことに驚かされた。頭の柔らかさだけではなく、冷静さも抜きん出ている。勢いでウォーター・リーパーを食べた俺も少しは見習っていかなければ。


 サーシャがウォーター・リーパーに齧りつくと今度は他の船員たちが声をあげ始める。


「ガラルドやサーシャちゃんにこんなカッコいいところ見せられちゃ、オッサンも黙っちゃいられねぇ。おい、お前ら、若い連中にちゃんとした食料を回せ。老い先短い俺達おっさんがウォーター・リーパーを食べるんだ!」


――――オオオォォォォ――――


 何だか皆が俺みたいになってしまった。だけど、その心遣いが凄く嬉しくてたまらない。段々と人の優しさに弱くなってきた気がする。俺の目に溜まった水は雨のせいか痺れのせいと思いたい。





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