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第117話 水平の黒影




 死の海に突入してから早27日が経とうとしていた。初日にシルバーの言っていた5%という進捗率から計算すれば7日前には到着していてもおかしくないのだが、本当に俺達はイグノーラに近づいているのだろうか?


 少しずつ食料を節約しはじめたことで皆の顔から元気が無くなり、声にも張りがなくなってきていた。不安が溜まり過ぎたのか、とうとうリリスがシルバーに疑問を投げかける。


「失礼な事を言ってすみませんが、本当にモンストル号はイグノーラに進めているのでしょうか。私は遅くても22、23日ぐらいには着くものだと勝手に思い込んでいました」


「磁場がおかしい死の海で方向を見失わない様に死の海入口と最初の灯台を結ぶ光から逆算しているから、方角だけは寸分の狂いなく進んできたと断言できる。思った以上に時間がかかっているのは岩礁の多さもあるが、何より全員の疲労が想像以上に大きいからだ」


 シルバーの言う事はもっともだ。俺視点でも10日を超えたあたりから明らかに全員の動作が緩慢になっているのは分かっていた。


 冒険慣れしていない技術者たちは移動だけで疲弊するだろうし、ハンター達は交代で見張りをしているものの魔獣が出現するたびに寝ている者も飛び起きて戦っている。そのせいでじわじわと疲れが溜まっているのだ。


 決して死の海をなめていた訳ではないが、想像以上に過酷な場所だったということだ。そんな苦しい状況ではあるが、シルバーの目は死んでいなかった。それどころか雲を指差し、皆を鼓舞しはじめる。


「みんな、あっちの雲と真上の雲を見てくれ。微妙に色味と形状が違うだろ? あの違いは死の海の入口を少し超えた先でも確認できた。普通の海と死の海の境界線が近い証だと思う。だからあともう少し頑張ろうぜ!」


 素人目には雲の違いなんてさっぱり分からないがシルバーが言っているからきっとそうなのだろう。終わりが見えてきたことで皆の顔が元気になり、久しぶりにリリス達の笑顔を見ることができた。


 ほんの少し軽くなったような気がする体を動かしながら船を進めていると前方になにやら大きな黒い水平線のようなものが見え始めた。


 1番に発見した俺が船室に戻って皆に報告すると甲板へ飛び出して黒い水平線を見たサーシャが声を震わせながら聞きたくなかった名前を呟く。


「あ、あ、あれはリヴァイアサンだよ! 日誌で見た通りの……海に浮かぶ水平の黒影……」


 視界が悪い海でなおかつ遠目からでも確認できるそれは、もっとも出会いたくない存在だった。黒影は徐々にこちらへ近づいてきて姿を露わにする。サーシャが言っていた通り、有り得ないレベルで大きく、青い蛇のような化け物だった。


 船としてはかなり大きな全長50メードのモンストル号すら軽々丸飲みできそうな程に口が大きく、太くて長い体は終点が見えない。


 背には魚のようなヒレがあり、蛇とは違い両サイドには龍の翼と魚のヒレを足して2で割ったような翼が雄々しく広がっている。頭からは細長い触覚のようなものも見える。海神龍という名に相応しい逞し過ぎる様相だ。


 あれだけのサイズをほこるリヴァイアサンが船に向かって攻撃すれば1発で3隻の船が木っ端微塵にされて全滅するだろう。硬そうな肉質からも断言できる。


 少しずつこちらに近づいてくるリヴァイアサンに皆が震えている中、サーシャは額に指を当て、下唇を噛みながら必死に打開策を考えて俺達に伝えてくれた。


「日誌の情報から逆算する事しか出来ないけど、過去にリヴァイアサンがもたらした被害は女神長様の証言を除けばほぼ記録に残っていないの。だからもしかしたらあまり好戦的な生き物じゃないかもしれない。サイズも桁違いに大きいから上手くいけば船に気付かず離れられるかもしれないから慎重に離れつつイグノーラ側へ移動しよう」


 サーシャの提案に頷いた俺達は一斉に船を移動させた。離れるにしても全知のモノクルから発する光がどうしても必要になる以上、もしかしたらリヴァイアサンが細い光に気付いてしまうかもしれない。


 運を天に任せて移動を続けているとリヴァイアサンは移動を止めてピクリとも動かなくなった。その間に俺達の船はリヴァイアサンの正面から右側面を迂回して遂に後方へと回り込むことに成功する。


 完全にリヴァイアサンの死角に回ることが出来たから、あとは一直線に離れていけばいいだけだ。安心した俺達だったが、ここで最悪の事態が起きる。


 停止していたリヴァイアサンは突然2本の触覚をゆらゆらとたなびかせると触覚の先端が徐々に俺達の方へ動き出したのだ。


 まるで音波を検知する動物の様なソレは後方にいる俺達の存在を認識したようで、大きすぎる体躯をゆっくりと180度旋回させる。


 旋回により発生した波に揉まれて船が大きく揺れる。転がり落ちない様に全員が踏ん張り、なんとか耐えることができてホッと顔を上げる。すると遥か斜め上にこちらを睨むリヴァイアサンの顔があった。


 触覚だけではなく目で完全に認識されてしまった……。緊張で口が乾き、眩暈がしてきた。ここからどうすればいいのか考えも纏まらない内にリヴァイアサンは口から極太の水を噴射する。


「伏せろぉぉ! 絶対に飛ばされるなっ!」


 全員がシルバーの咄嗟の叫びに反応して、床に手足を付いた。その直後、リヴァイアサンが噴射した水のレーザーは船の手前に着弾し、まるで隕石が落下したかのように周囲の海面を激しく隆起させた。


 リヴァイアサンの噴射の前では船なんて水面に浮かぶ葉っぱに等しく、大きくて重い自慢の船が波により空へ打ち上げられた。船では絶対に体験できない浮遊感を5秒近く味わったあと、船が轟音とともに着水する。


 不幸中の幸いか、船は3隻とも直立に落下出来たこともあり、甲板に大量の水が流れ込むような事態は避ける事ができた。もし流れ込んでいたら沈んでいたかもしれない。


 今の衝撃と波によって少しリヴァイアサンと距離を取ることができたものの、状況を整理する間もなくリヴァイアサンは続けて魔術の詠唱を始める。


 時々魔術を行使する魔獣は存在するし、竜族自体知能の高い生き物が多い。不幸なことにリヴァイアサンも樹白竜同様魔術が使えるようだ。


 そしてリヴァイアサンは自身の周囲に小さな水球を数百個レベルで生成し、順番に俺達に向けて飛ばし始めた。強い1撃ではなく、弱い連撃なら人数の多い俺達なら耐えられるかもしれない。俺は全員に指示を出す。


「船をリヴァイアサンから離しつつ、水球を1つ1つ順番に防ぐんだ!」


 そこから俺達は遠距離武器や魔術で片っ端から水球を防いでいった。リヴァイアサンは何故か一辺倒に水球を放つだけで、それ以外の攻撃をしてこないし、近づいてもこなかった。


 しかし、水球の連射と勢いは徐々に収まってきているものの、体力と魔量が尽きていった者達が次々に膝を着き始めた。あと少し耐えられれば……その為には俺が踏ん張るしかない! 俺は体の奥底から魔力を絞り出し、3隻全てに回転砂の防御壁を張った。


「無茶ですガラルドさん! このままじゃガラルドさんが!」


 リリスが目に涙を浮かべながら俺に叫ぶ。それでも回転砂を止める訳にはいかない。


「船が壊れればその時点で俺達は全滅だ。心配するな、あと少しぐらい俺1人で耐えきってやるさ!」


 精一杯強がった俺はその後も何十発と水球を防ぎ続けた。確実に勢いがなくなっていく水球と同様に回転砂のキレもなくなっていく。魔量の枯渇でぼやけていく視界のせいで回転砂を放出する方向すら分かり辛くなってきた。


 自分が何をやっているのかも分からなくなりそうなぐらいに消耗し、嵐の音すら聞こえづらくなってきた……。だが、そんな俺の耳でも分かるぐらいの大声が突然耳に飛び込んだ。


「フレイムウォール!」


「ファイアーボール!」


「アイスシールド!」


「アクア・カーテン!」


 薄れゆく意識を跳ね起こした4つの声からそのまま魔術が飛び出した。斜め後方から微かに感じる熱量と冷気を頼りに後ろを振り返ると、そこにはパープルズが立っていた。まだ体に包帯を巻きまくってる怪我人の彼らが痛みを堪えて駆け付けてくれたのだ。


 真っ青な顔で脂汗をかいているフレイムが無理やり笑顔を作る。


「ハァハァ……僕らが罪を償い、恩を返し切る前に死なれては困るよ。さぁ、君はのんびり寝ていてくれよ、ハァハァ、あとは僕達に任せてさ」


 そして、4人は再び魔術を放つ為に魔力を練り始めた。俺はここで魔量を使い切って死ぬ覚悟も出来ていたが、いらない心配だったようだ。コロシアムで戦ったあの日、彼らを見捨てずに更生することを信じて本当に良かった。


 薄れていく視界と斜めに倒れていく自身の体に心地よさを感じながら俺は眠りについた。





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