「このあたりでいいですかね。町の騒ぎ声も聞こえないぐらい離れられましたし」
俺とリリスは静かに話をする為にジークフリートから少し離れた泉を訪れた。早速俺はリリスに何の話をしたいのかを尋ねた。
「それで、リリスは何を話したいんだ?」
「ガラルドさんはせっかちですね! こんなに綺麗な夜の泉を目の前にしてロマンチックな気持ちにならないのですか?」
「すまんが、俺にはそういう感性が欠けていてな」
「ぶーぶー。私はこの泉を見て神託の森のことを思い出しましたよ。あそこは私が育った場所ですからね」
「さっき言っていた年齢のこともそうだが、そもそも女神族っていうのはどうやって生まれるんだ? 人間と同じようなもんか?」
「女神に親という存在はいません。親代わりに育ててくれる存在はいますけどね。私も女神長サキエル様や他の1級女神の方に育てられました。まぁ育てられたと言っても女神は生まれた時から大人の肉体で生まれるケースがほとんどですけどね。勉強や食事の面倒を見てもらうのが主で、人間の赤ちゃんのように母乳を貰ったりはしていません」
やはり、神というだけあって特殊なようだ。人間でも動物でも魔獣でもこの世界のあらゆる生き物には血を分ける親がいて赤子の時代があるものだが女神は違うようだ。
リリスは懐から何かを取り出すとそれを俺に見せてくれた。随分と古めかしい鳥か何かの木彫り細工のようだが俺の知っている物ではなさそうだ。リリスはそれが何なのかを教えてくれた。
「この木彫り細工は私が生まれる瞬間に持っていたものらしいです。女神が生まれる条件というのがありまして『信心深くて潜在的に魔力が強い人間』が亡くなった時に、他の女神から力を授けられて生まれます。つまり転生みたいなものですね。人間として死んだ私に力を授けてくれたのがサキエル様であり、亡くなる時に私が持っていた物がこの木彫り細工なのです」
突然女神の秘密を教えられた俺は正直困惑していた。学校はおろか学者でも知らないようなことを教えられたのだから当然なのだが。こうなると色々と疑問が増えてくる、俺は気が付けばリリスへ沢山質問を投げかけていた。
「ってことはリリスが女神になって7年と言っていたから人間として亡くなったのは7年前なのか? 人間だった時の記憶はあるのか? その木彫り細工から何かを特定出来たりはしないのか?」
「わー! いっぺんに質問しないでください。ちゃんと答えられるものは答えますから!」
「あっ、すまなかった。それじゃあゆっくり喋ってくれ」
「まず亡くなった時についてですが、7年以上前ということしか分かりません。女神が生まれる時は遺体に残っている魂、もしくは漂っている魂を見つけだすことから始まります。そして女神長や1級女神が女神としての力を魂に吹き込み女神を誕生させるというのが本来の形なのです」
「リリスは遺体に魂が残っていたタイプなのか? それとも魂が漂っていたタイプか?」
「実はどちらでもないのです。というのも私だけは例外だったらしく、とある場所に落ちていた木彫り細工に魂が宿っていたらしいのです」
女神族やリリスのことが結構分かってきたかもしれない。リリスの出生がかなり特殊な例であることと、木彫り細工自体が年季の入ったもののようだから相当昔の人間だった可能性も考えられる。
つまり何も分からないということが分かったという訳だ。リリスは更に話を続ける。
「そして記憶に関してですが、女神族は人間から女神になる際、人間だった頃の記憶を失ってしまいます。なので、私が生まれた時に持っていた記憶は基礎的な言語能力や常識ぐらいのものしかなかったので若い女神は全員が沢山勉強させられるのですよ。本来なら3級女神から2級女神になるのに15年前後かかりますが、私は天才なので約7年で2級女神になれました、エッヘン!」
リリスは聞いてもいない自慢と共に、自身の記憶がないことを教えてくれた。それなら生前をたどる手掛かりとなるものは木彫り細工を調べる事、そして木彫り細工が落ちていた場所を調べる事しかなさそうだ。
当然リリスもそれは分かっているようで、木彫り細工について色々と教えてくれた。
「この木彫り細工自体は何百年も前から現代までずっと子供世代に流行り続けていたもので動物をモチーフにしたアクセサリーらしいです。だから可愛いものが大好きな私が持っていても何ら不思議ではないのですが、それよりも落ちていた場所が問題なのです」
「問題?」
「今の時代なら『リングウォルド別邸跡地』と言えばいいでしょうか。そこに木彫り細工と私の魂があったのです」
「リングウォルドだと? 帝国領のしかも、皇帝の敷地じゃないか!」
「そうなのです。ですからこれから先、帝国領へ行く事になったら私のことを知っている人に出会ってしまう可能性があります。人間から女神になっても基本的には人間の頃の姿のままなので。ましてや、最短で死後7年しか経っていないなら見た目にもさほど変化が現れない年月ですし、生前の知り合いを驚かせる可能性だってあります」
確かに、死んだはずのリリスがいきなり目の前に現れたらびっくりする事だろう。それが家族だったら尚更だ。ただ、考えようによっては再び肉親と出会い一緒に暮らせる可能性だってある。
その為には記憶が戻る必要があるのかもしれないが……。俺は再びリリスへ質問する。
「記憶というのは絶対に戻らないものなのか? リリスが生前の肉親に出会ったり、昔話を聞けば記憶を取り戻す可能性だってあるんじゃないか? いや、そもそもリリスは過去の記憶を取り戻したいのか?」
俺が質問をすると、リリスがプッと吹きだして笑った。
「ふふふ、また質問攻めですね。それに早口ですし、そんなに私のことが気になりますか?」
「茶化すなよ、大事な仲間のことなんだから気になるに決まってるだろ」
「おぉぉ、ストレート過ぎてちょっと照れちゃいました。いつものように冷たくあしらわれるのも快感ですが、こういうのもいいですね。それじゃあまず記憶の復活に関してですが、女神族の中で記憶が戻ったことがある女神は過去1人もいません。もしかしたら制約があるからこそ強い力を持つことが出来るのかもしれません」
リリスの言う通り制約や対価によって大きな力を発揮するスキル・武具なども世界には存在する。魔量を消費して、大気と星に潜む妖精に力を借りて火や水や特殊能力を生み出すのが通常の魔術やスキルだ。だから強力な女神のスキル自体が記憶を対価に力を得ていてもおかしくはない。
思えば魔術では術名を、スキルでは技名を叫ぶことだって、より多くの妖精に力を貸してもらえるようにする為のものだ。叫びは戦闘時において技の出だしを悟られるリスクと魔量を多めに使うという対価を払って高火力を出しているようなものである。
対価という考え方をすれば記憶の消失は絶対的なものであり、取り戻すのは厳しそうに思える。どことなくリリスも諦め気味にも見える。そんなリリスは自分なりの目標を語ってくれた。
「正直記憶を取り戻すこと自体は厳しいと思っています。それでも私は生前に何をしていたのかを知りたいです。女神は生まれる時に記憶がないので、基本的には赤子の様に生まれてからの生き方や学びで性格が決まってくるらしいのですが、私はどうやら例外だったみたいで女神として生まれたその日から世界の平和や弱者の救済を強く望む性格でした」
「他の女神より先天的な要素が強かったわけか」
「そうです、なので前世を知ることが出来れば私がどうして生まれた時から一貫して人一倍平和な世界を望む生き方をする女神となったのか分かりそうな気がするのです、それに――――」
リリスは言葉を途中で止めると、おもむろにキトンの下半身部分を捲り始めた。突然の奇行もそうだし、色気にあまり免疫がない俺は大慌てで制止する。
「い、いきなり何やってんだ、リリス!」
「何か勘違いしていませんかガラルドさん。私が見てほしいのは右の太腿に付いている痣なのですよ?」
確かにリリスの言う通り、右腿に硬貨程度の大きさの丸い痣が見える。その痣は不自然な程に綺麗な正円で色も銀色で痣らしくない色をしていた。不自然な痣がとても気になるものの、女性の太腿を直視し続けるのは気恥ずかしかったから俺はすぐに目を逸らした。
「あれ? ガラルドさん、もしかしてドキドキしてくれましたか? さっきも慌てて止めてましたし、結構可愛いところがあるのですね」
「違う! リリスはちょっと痴女っぽいところがあるから、また変な事をやりだす前に急いで止めようとしただけだ!」
「誰が痴女ですか! うら若き乙女に対して酷いですよ!」
悔しいがドキドキしていたのは事実だ。でも話を変えた事で何とか平静を装えただろうか? 上手くいったと願いたい。
リリスは捲っていた部分を元に戻した後、痣についての説明を始めた。
「この痣はですね、本来なら消えるはずのものなのです。人間の時に負っていた怪我や病気は女神になった瞬間、完全に消える筈なので。じゃないと魂だけしか残っていない女性を女神にすることが出来ませんし、ボロボロの遺体のまま女神にしたらリビングデッドと変わりありませんからね」
「ならそれは怪我の類ではないということか? どっかの民族の身体的特徴とか?」
「それが分からないのです。ただ、この痣や木彫り細工を見つめていると異様に心がざわめく感覚があるのです。焦りの様な恐怖の様な懐かしさの様な……すいません感覚的なことなので上手く言葉が出てこないです……」
「そうなのか、じゃあそれらの謎を解明しないとスッキリしないよな」
「はい……それに、生前の私と関わっていた人が、今も何かに困っていたら助けてあげたいと思ってます。私は女神族の中でもとりわけイレギュラーな存在です。『物体に魂が宿り続けていたこと』『女神化しても消えない痣』『最初から定まっていた性分』など不思議な点が沢山あります。調べればもっと異端な部分が見つかるかもしれません。そんな私ならきっと前世で良くも悪くも社会的に影響力のある人物だった可能性があります。だから尚更頑張らないといけません」
いつも他人に優しいリリスがより一層使命感に燃えていた。むしろ絶対にやり遂げねばと気負い過ぎているようにも感じる。
もしかしたら、皆のいない場所で俺と1対1で話を始めたのも、極力周りを自分の使命に巻き込まないようにする配慮なのかもしれない。この場所へ呼んだ理由をストレートに聞いてみよう。
「リリスが1対1で話をしたのは他の人に知られたくないからか?」
「多少はそういう気持ちもありますけど、ここで言ったことはサーシャちゃん、ストレングさん、シンさんのように信頼できる人には言ってもらって構いません。特にサーシャちゃんは親友ですから明日伝えようと思っていました」
「なら、ここにサーシャを呼んでもよかったんじゃないか?」
「私がガラルドさんを呼んだ理由は…………」
リリスは言葉を詰まらせると少し涙目になりながら、そのままゆっくりと俺の胸元へ顔をうずめた。俺の胸の中でリリスの肩は震えていた。
「本当は私、怖くって……。万が一記憶を取り戻したらどうなるのかな? とか、前世が酷い人間だったらどうしようとか、私に例外的な要素が多いのも本当は人としても女神としても不完全な生き物だからなのかなって――――色々考えちゃって。それに昔の私を知っている人間と出会ったらどうなってしまうのかと不安になって……だから、大好きなガラルドさんにだけは今抱えている悩みを吐き出しておきたかったのです」
リリスは俺と出会ってからずっと一生懸命頑張ってきたし、きっと俺と出会う前も頑張り過ぎなくらい頑張っていたのだろう。
命懸けの戦いや厳しい特訓・勉強を経て、遂に『俺達の目的地』と『木彫り細工が落ちていた場所』が重なってしまったのだから、一気に不安が膨れ上がったのかもしれない。ましてや、帝国と魔獣の力は増す一方だ。目的の地へ行って無事でいられる保証だってない。
俺はリリスが少しでもリラックスできるように肩を優しく包み込んだ。
「抱えていた辛さを教えてくれてありがとな。でも、これからはもっと早く言ってくれよ、仲間なんだからさ」
「はい、ありがとうございます。もう少しこのままでもいいですか?」
「ああ、いくらでも」
その後もリリスはしばらく俺の胸に顔をうずめていた。こんな時に考える事ではないのかもしれないが、この時のリリスはしおらしくて、いつもより可愛く思えた。だけど、俺が見たいのはやっぱりいつものお調子者で笑顔のリリスだ。
この先何があってもリリスを守り、悩みを全て解消し、何も考えずに冒険を楽しめる日が来るように頑張ろう。俺は自分の中で誓いを立てた。
祝いと弔いと告白の夜はゆっくりと流れていく。