目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第65話 笑顔




 ビエードが民衆を煽った理由が死にたがっているからなのかは分からない。だがビエードがどんな考えを持っていようと町の人間に復讐者させる訳にはいかない。前へ前へと乗り出そうとする民衆を俺とハンター達が一緒になって押し返しかえし、声を張り上げる。


「皆落ち着くんだっ! ビエードの挑発に乗るんじゃない!」


 精一杯声を張り上げた俺だったが、大勢の人の前では雑音にすらならない。ますますヒートアップした民衆がしまいにはビエードに石を投げ始めた。


「グッ、グアァッ!」


 弱り切ったビエードに何発も石つぶてが命中する。このままではまずい……一旦回転砂でビエードを守らなければと魔力を練り出したその時、サーシャがビエードを庇う為に突然前へと飛び出した。


 既にビエードに向かっていた幾つかの石つぶてはサーシャの頭や肩に直撃し、民衆は慌てて投げるのを止めた。サーシャは頭から血を流しているにも関わらず凛々しい顔で訴えかける。


「皆やめて! サーシャは皆を人殺しにしたくないよ!」


 サーシャのこんなに大きな声を聞いたのは初めてかもしれない。動揺する民衆の中の1人がサーシャに向かって反論する。


「これは悪い事をした奴に対して罰を与えているだけだ! 俺達の行為には正当性がある!」


「これが刑の執行だと言うのならちゃんと皆で話し合ってから決めようよ! 今の皆は沸き上がった感情をそのままぶつけているだけに過ぎないよ!」


 頭から血を流しながら訴えかけるサーシャの迫力は強く、民衆は何も言い返せなくなっていた。サーシャは更に話を続ける。


「サーシャだって憎んでいる人はいっぱいいるよ? サーシャを捨てた実の両親が憎い。物乞いや芸で食い繋いでいた時代には名前も知らない人達に唾を吐かれたり暴力を振るわれたことだって沢山ある。それにハンターになっても虐められた。勿論お爺ちゃんお婆ちゃん、そして町の皆を苦しめた帝国のことだって凄く凄く憎いよ……だけど、1度だって復讐なんかしたことないよ。復讐をした瞬間、その人は他の誰かにとっての仇や悪になるんだよ?」


 もしかしたらビエードや部下の帝国兵達にも愛する家族や友人がいるかもしれない。自分達と同じ復讐心を他の誰かに植え付ける行為は止めるべきだというサーシャの言葉は多くの民衆の心を動かすことになった。


 しかし、理屈では分かっていても感情が歯止めを効かせない人間も沢山いる。民衆の1人の青年がサーシャに反論した。


「復讐とはいえ人を殺すのが良くない事は分かっている! だけど僕達はサーシャちゃんやアイアンさんのように自分を律せられるほど立派な人間じゃないんだ! それにビエードが反省しているならまだしも、あいつは反省どころか僕達を家畜呼ばわりして煽ってきやがった! 死ぬことすら生ぬるい極悪人じゃないか!」


 その言葉を皮切りにサーシャ寄りだった人達も少しずつ復讐を望む側へと傾きだした。もし仮にビエードが猛省して心から謝っていれば、こんな騒ぎにはなっていなかったのだろう。


 もしかしたらビエードは自分を民衆に殺させることで帝国の仇取りを誘発する狙いがあるのかもしれない。それが狙いなら大した愛国心ではあるが……。


 ますますヒートアップする民衆を何とか止める言葉はないのかと、俺なりに必死で言葉を探していると突然サーシャが広場にある壁画を指さした。その壁画にはジークフリートを象徴する盾とドラゴンの紋章が刻まれている。


 彼女の行動に困惑して無言になった民衆に向けてサーシャが問いかける。


「帝国を憎んだっていい。許さなくたっていい。だけどこの紋章を見て。ジークフリートは偉大な勇者と町の人達が一丸となってドラゴンの脅威から守って、始まった町だよ。武具は強き者から弱き者を守る為の物だという想いは大昔から現在までずっと受け継がれてきたものだよ。皆が慕ってくれているラナンキュラ家も、皆のご先祖様も、長い年月1度もこの想いを手放しはしなかった、だから――――」


 いつの間にか、民衆の騒めきは完全に消えていた。広場にはサーシャの声だけが響いている。そして、サーシャが心からの願いを民衆に伝えた。


「町の魂、ラナンキュラ家への信頼、歴史、先人への敬意、それら全ての想いが、今抱えている憎しみよりも大きいのなら。どうか……どうか、石を持つ手を下げて……」


「…………。」


「…………。」


 サーシャの心からのお願いは、民衆の暴動を止めた。誰1人として言い返す者はいなくなり、広場を静寂が支配する。サーシャの願いが届いたようだ。


 気がつけば俺もリリスもアイアンも頬を雫が伝っていた。庇われた側のビエードはまさか、暴動が収まると思っていなかったのか、口を開けたまま驚いている。


 自身の気持ちが伝わったと確信が持てたサーシャは微笑みを浮かべたままビエードに声を掛ける。


「もう、貴方に石を投げる人はいないよ。だからもう、どれだけ憎しみを煽る様なことを言っても貴方が傷つくことは無いし、貴方も誰かを傷つけることはできないよ」


 誰よりも優しく、誰よりも厳しい言葉がビエードに突き刺さった。ビエードはハッとしたような顔を浮かべたあと、今までに見せた事がない晴れやかな笑顔で言葉を返す。


「クソったれ……邪悪を貫いたまま死ぬことも許されないか。だが、不思議と悪くない気分だ。もし今の自分にも大事なものが残っていれば――――」


「え? どういうこと?」


「君には関係のない事だ。それよりさっきの質問に答えてやろう、どっちみち短い命だからな」


 『大事なものが残っていれば』『どっちみち短い命』――――2つの意味深な言葉を吐いたビエードは大きく深呼吸をした後、覚悟を決めたような顔で語り始めた。


「魔力砲をはじめとした兵器の開発、魔獣の活性化、近年の強引な帝国の支配、それら全ての鍵を握っている存在が2つある。それは『死の山』そして帝国の第1王子『モードレッド』だ。全てを知りたければ奴のことを調べろ。もしくは遥か南東の町『イグノーラ』で五英雄の伝承を追え。そうすればきっとお前達は……グハッ!」


 ビエードは喋っている途中でいきなり大量の血を吐きだした。それと同時に背中から黒い霧のようなものが噴出し始めた。すると黒い霧はまるで顔の様に目と口にあたる部分を銀色に光らせた。


 霧の魔獣なんて聞いたことがない。そもそも魔獣の定義は人に害をなす危険な生物を指している。こいつは生命体ですらなさそうだ。


 しかし、黒い霧はまるで生き物のように口の部分を動かして笑い、甲高い声を発し始めた。


「カカカッ、アーティファクトで結ばれた契約を破るとは馬鹿な男だ。どうせ任務を全うできなかったお前は消されるのだから残り少ない命を大事にすればいいものを。青臭い娘に感化されたか?」


 アーティファクトと言えばシンが持っていた細剣『ジャッジメント』のような特殊な力を持った秘宝だった筈だ。確か世界で十数点しか発見されていないと言っていたが、その中の1つを帝国が持っているようだ。


 黒い霧の言う『契約』が帝国の持つアーティファクトの能力であり、約束を守らないものには罰を与えるような代物なのかもしれない。


 もし俺の予想が正しければ帝国はかなりえげつないやり方を配下に強いていることになる。それと同時に命を捨ててでもビエードは情報を伝えようとする気になったとも言える。


 アーティファクトから生み出されたであろう黒い霧はビエードを嘲笑い続けたが、それでもビエードの眼から力強さが消える事は無かった。ビエードは血を吐きながらも黒い霧に向かって中指を立てて言い放った。


「自分はなぁ、ハァハァ……歯向かってくる奴らも嫌いだが、偉そうに命令するてめぇら帝国はもっと嫌いなのだよ……ハァハァハァ……だから、裏切って情報を流すことができて、良い気分だ……ガハッ!」


 ビエードは出会った頃の面影がない程に、青白く生気のない顔をしている……もう限界だ。ビエードは最後に半開きの目で俺を見つめて言った。


「少しでも多くの国と手を組み……帝国と魔獣に備えろ…………そして、ぶつかり合って全部消えちまえ……クソったれ……」


 ビエードはゆっくりと瞼を閉じ、崩れる様に倒れた。急いで駆け寄ったボビが心音を確認するが既に止まっているようだ。最後の最後まで憎まれ口を叩いたあいつらしい幕切れだった。だが、最後の瞬間に笑っていたから少しは晴れやかな気持ちであの世へと旅立てたのかもしれない。


 ビエードを庇いたい訳ではないが俺は帝国のやり方が許せない。棍を握った俺は瞬時に黒い霧へ殴りかかったが霧状だからかやはり何の手ごたえもなく棍は空を切った。


 その様子を見た黒い霧は馬鹿にした表情で語る。


「ギャハハ、無駄無駄。俺様はそもそも生物ではない。アーティファクトが起こした現象・仕組みに過ぎないのだからな。帝国にはビエードのような捨て駒や強大な力が数多く存在する。死にたくなければさっさと帝国に従属し、奴隷として割り切って生きる事をお勧めするぞ。それじゃあ俺様は消えるとしよう、じゃあな、ギャハハハ」


「おい、待てっ!」


 俺は黒い霧へと手を伸ばしたが、触れる事はかなわず消えていった。最後に少しだけ心変わりをしたビエードを侮辱したのが許せないし、聞きたいことも山ほどあっただけに悔しさだけが残る。


 突然の出来事に俺達は何も言葉を発する事が出来なくなった。ビエードに石を投げていた人達も何とも言えない悔しそうな表情をしている。それだけサーシャの言葉とビエードの最後が刺さったとも言えるのだが。


 本来は勝利宣言の場であり、祝いと新生の場として盛り上がるはずだったのだが、まるで墓参りのような静けさだ。俺がどう行動すればいいか困っているとサーシャが突然大きく手を鳴らして民衆の視線を自身へ向けさせ話し始めた。


「ビエードが亡くなってしまったのは残念だけど……最後の最後で少しだけ帝国人じゃないサーシャ達に心を開いてくれたと思うの。ビエードは帝国に殺されるよりも、自ら死ぬことでサーシャ達の助けになる事を選んでくれた。今までビエードがやってきたことは許されない事だけど、最後のビエードの言動だけは称えよう、そして――――」


 サーシャは深呼吸をして民衆を見渡し、泣きそうになるのを堪えながら笑顔で言った。


「今日掴み取った勝利を帝国のせいで亡くなった人やビエードに捧げよう。そして新しいジークフリートの誕生を皆で祝おうよ!」


 静まり返っていた広場はサーシャの言葉を皮切りに拍手と歓声で包まれた。悲しい顔で沈み続けるのは亡くなった人達も望んではいないだろう。それに、これから皆で変わっていこうというスタートの時に湿っぽい雰囲気になるのは良くない。



 ――――オオオオォォォォ――――



 アイアンが勝利宣言をした時とはまた違う、どこか慈しみや労いを感じる歓声があがった。まるで雲から晴れ間が差したような変化を感じる。この流れの中心にいるのは間違いなくサーシャだ。彼女は世界を変えていくようなとんでもない力を秘めた人間なのかもしれない。


 サーシャの顔を改めて見てみると、晴れやかな笑顔をこちらへ向けてくれた。その笑顔は聖女の様な勇者の様な光を感じるものだった。





コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?