俺は今、自分を裏切って捨てた、憎くて憎くてたまらないパーティーメンバーが魔獣の住む森で横たわる姿を見つめている。
膝から崩れ落ちている女性治癒術師のネイミーはギルド内でも美人と評されている顔を鼻水でぐしゃぐしゃにしながらむせび泣いている。
そして魔法剣士でありパーティーリーダーを務める男レックは剣と鎧を砕かれ、口から血を流しながら横たわり、虚ろな目で俺に声をかけてくる。
「ガ、ガラルド、どう……して……俺たち……を助けにき……」
レックは言葉を言い切る前に気を失った。ざまぁみろ……という気持ちが湧いてくるが、俺にはそんな事を考えるよりも先にやらなければいけないことがある。
それは、レックとネイミーをここまで追い込んだ魔獣『ハイオーク』を倒すことだ。目の前で棍棒を構えて、今すぐにでも俺達を襲ってきそうな猪顔の巨人ハイオークを撃破しなければ俺達に未来は無い。
俺が何故裏切られて、それでもなお、レック達を助けようとしているのか――――話は数時間前に遡る。
※
見上げる首が痛くなるほど大きな巨人像がそびえ立つ町『ヘカトンケイル』
俺は『ヘカトンケイル』で名声と金を得る為に魔獣討伐を中心としたハンター業を仲間と共に勤しんでいた。
交易と魔獣討伐で賑わうヘカトンケイルのハンターギルド。そこの端席で俺は酒を飲んでいた。酒自体さほど好きではないのだが、それでも飲まずにはいられなかった。それは、このあと行われる魔獣討伐任務の為に少しでもリラックスする必要があるからだ。
俺を含めた4人のパーティーメンバーがハンターギルドに集合する時間は、既に30分以上過ぎている。待たされるのはいつもの事だし、気にするだけ無駄だと溜息を吐いていると、ギルドの入口が開いたことを知らせる鈴の音が鳴り響く。
俺は『やっとパーティーメンバーが来たか』と思い目線を扉の方に向けると、そこには町で1度も見かけた事のない女性が立っていた。女性はギルド内を見渡す素振りも見せず、真っすぐに受付嬢の元へと歩いていき、元気な声で尋ねる。
「この町のハンターで『パーティーから追放された人』がいたら教えてくれませんか? 優秀だったら尚嬉しいです」
追放・クビにされたのに優秀な人間? 奇妙なことを言う女を見て、ギルド内の酔っ払いハンター達が笑った。受付嬢も不思議な質問に困惑しながらも、丁寧に言葉を返す。
「申し訳ありません、当ギルドでは各パーティーの追放・引退・転職事情を書類に明記する義務はありませんので、把握しておりません。時折、噂レベルのお話を聞くことはありますが、ここ最近ではそういった噂も耳にしておりません」
「分かりました、ありがとうございます」
そう言って、女性は受付嬢にお辞儀をして、掲示板の方へと歩いて行った。一風変わった女性を笑っていたハンター達は口々に女性に対して失礼な言葉を発する。
「姉ちゃんは慈善活動でもしてんのか? 変わってるねぇ~」
「追放って言葉の意味を分かってないんじゃねぇか~?」
「おつむは足りてねぇけど、べっぴんさんなんだから、夜の町で稼げばいいと思うぞ~。何ならワシが遊びにいってやってもいいしな、ガハハハッ」
酔っぱらっているとはいえ、あまりに失礼過ぎるハンター連中を注意してやろうと俺は席を立ったが、女性は酔っ払いの方を向いて優しく微笑んだ後、何も言い返さずギルドを去っていった。どうやら酔っ払いよりもずっと人間が出来ているようだ。
女性が全く酔っ払いのことを気にしていないようだったから、女性の器の大きさに免じ、俺はハンターを注意するのをやめておいた。
それにしても、あの女性は全く見た事が無い珍しいタイプだ。年は20歳手前ぐらいで、顔立ちは少し猫っぽくもあり幼い。それでもどこか完成された品の良さと清廉さがあり、目鼻立ちも整っている。
髪色は近隣諸国でも見たことがない輝かしい銀色をしていて、真っすぐサラサラとした長い髪は腰まである。まるで神話に出てくる女神のようで、酔っ払いがべっぴんさんと言っていたのも頷ける。
去っていった女性の方を見ながらそんな事を考えていると、俺の肩を誰かがトントンと突いた。突かれた方へ振り向くと、そこには俺と同じパーティーメンバー3人が立っていた。その中の一人であるリーダーのレックが開口一番、俺に嫌味を吐きだす。
「いいかガラルド。昨日伝えた通り、今日の魔獣討伐任務の出来が悪かったら、お前は追放だからな。もしそうなったら追放者を集めているとか言っていた、あの女に拾ってもらえるといいな、ハハハ」
どうやらレック達は例の女性と同じタイミングでギルド内に入ってきていたようだ。リーダーであるレックが言った通り、俺は今日の魔獣討伐任務を上手くこなせなければ、このパーティーをクビになる。レック曰く、俺はパーティー内のお荷物らしい。
俺達のパーティーはいわゆる、オーソドックスな役割分担になっている。魔法・剣技をバランスよく出来るレックがリーダーを務めて攻守において活躍している。
強さだけではなく涼しげな目元とサラサラの金髪を持つ端正な顔立ち、細くありつつも少し筋肉質で引き締まったスタイルでパーティー内外の女性からの人気は高い……が、俺には嫌味ばかり言ってくる苦手な奴だ。
他の女性メンバー2人も得意な魔術種は異なるものの、治癒術と攻撃魔法の両方使うことが出来る優秀な魔術師だ。
ブルネは吊り上がった目に如何にも魔女と言わんばかりのローブと杖を携えた攻撃魔術重視の魔術師だ、レックに比べたらだいぶマシだが、ブルネにも時々嫌味を言われる事がある。
ネイミーは逆に垂れ目に聖職者チックな白いローブを着た回復魔術重視の魔術師だ。他2人と違い俺に嫌味を言ってきたことはほぼ無い。3人ともハンターの間では評判が良く、甘いルックスのせいかハンター以外にもそこそこ人気がある、目つきが悪い俺は少し羨ましい。
そして最後に比較的体が頑丈で魔法があまり得意ではない俺が剣と盾を持ち、敵の攻撃とヘイトを受け持つ盾役をしているが、レックからは『ガラルドは頑丈なだけで、攻撃力も低く、ヘイトコントロールも並み程度、防御魔術も中の下だから、優秀な人間が揃うレックパーティーに相応しくない』と散々こきおろされている。
正直、いつも嫌味っぽいレックがいるパーティーなんか直ぐに辞めてしまいたいと思っていた。だけど高ランクハンターであるレックが受注できる任務はとても報酬が良く、経験を積むことも出来るから我慢しているのが現状だ。
だが、もしかしたら今日俺はレックパーティーをクビになるかもしれない、それだけは避けなればと緊張は高まる一方で、結局酒を3杯飲んでも全く緊張が収まらない。
そんな俺を尻目にレックが今日の魔獣討伐任務の詳細を語り始める。
「今から魔獣討伐の作戦を伝えるぞ。特にガラルドは追放がかかっているんだから、よく聞いておけよ。今回のターゲットは猪人間型の魔獣オークだ。それもただのオークではなく上位種であるハイオークだ。こいつが町の近くにある『神託の森』を彷徨っているらしい」
雑魚魔獣しかいない『神託の森』に上位種のハイオーク?今まで聞いたことがない状況だが、最近大陸全土で魔獣が活性化していると噂で聞くからその影響かもしれない。レックは更に話を続ける。
「こいつは普通のオークより、数段力が強く、巨大な棍棒を振り回すらしいから、後衛は絶対に攻撃を受けるな。攻撃を受けるのはガラルドだけでいい。作戦としてはガラルドがヘイトを稼ぎ、ハイオークの背中が俺達3人の方へ向くように調整しろ。それから俺を含む3人で後方から遠距離魔法をハイオークの背中に当てて仕留めるぞ、作戦は以上だ。理解できたかガラルド?」
「ま、待ってくれ! ただでさえ力の強いハイオークの攻撃を俺1人で食い止め続けるのか?」
「嫌ならやめろ、それが出来なきゃどっちみちお前はクビだ」
「……分かった、やればいいんだろ」
口でも立場でも勝ち目のない俺は、仕方なくレックの作戦を了承する。いくらハイオークが強いと言っても、俺の仲間たちは全員優秀な魔法の使い手だ。
きっと俺の負ったダメージも素早く回復してくれるし、ハイオークの背中に放つ魔法も持ち前の高威力で直ぐに大ダメージを与えてくれることだろう。支度を整えた俺達は早速、町の外にある『神託の森』へ足を踏み入れた。
時々訪れる『神託の森』は見慣れた景色であり、今回のターゲットであるハイオーク以外は雑魚しかいないはずだ。だが、今日は進退がかかっている分、いつもよりも暗く物騒な場所に見える。
さほど強くはないスライムやゴブリンを蹴散らしながら奥へ奥へと進んでいくと、ターゲットであるハイオークが目に入った。
幸いなことにハイオークは茂みに隠れている俺達のことには気づいておらず、仲間も連れていないようだ。
俺達にとって有利な状況ではあるが、それでも俺の手の震えは止まらなかった。それは間近で見るハイオークが想像以上に逞しかったからだ。
普通のオークだと体格の良い俺よりも2割ほど身長が大きく、太もものように太い腕があるものの単調な攻撃しか出来ない見かけ倒しなモンスターであり、倒すのもさほど苦労はしない。
しかし、目の前にいるハイオークはオークよりも遥かに大きくて、身長は俺の二倍近くある。血管の浮き出る逞しい腕は丸太のように太い。
深呼吸して気持ちを落ち着けていると、レックが早く行けと言わんばかりに背中を強く押してきた。急かすレックを無視して、剣に魔術を込めた俺はヘイトを稼ぐために単身ハイオークへ突撃する。
駆けていく俺の足音に気が付いたハイオークは棍棒を胸の辺りに構える。それを見た俺はがら空きになっているハイオークの足元へ滑り込み、ヘイト魔術を込めた剣を膝に振り抜く。
「喰らえ、
俺は大声で叫びながらハイオークの膝に一撃を加えた。普段は大声どころかパーティー内でほとんど喋らないタイプの俺がわざわざ叫んだのには理由がある。
『魔術・スキルは大気や自然に存在する妖精の力を自身の魔力と融合させて放つもの』が大半であると言われている。つまり妖精に呼びかけて助力を得ることで威力が数割ほど上昇するわけだ。
膝に一撃を貰ったハイオークは右膝を一瞬地面に着いた後、直ぐに立ち上がり、唸りながら血走った眼で俺を睨んでいる。
斬りつけた相手を自分に注視させる剣技『
ハイオークの足元に滑り込んだ際にハイオークの股下を通り、後ろ側に移動する事ができたおかげで、茂みに隠れているレック達の方にハイオークの背中を向ける事に成功した。
膝を斬られて怒り心頭のハイオークは棍棒を高く振り上げ、俺を攻撃しようとした。次の瞬間、レック達3人が放つ火球と風刃が一斉に茂みから飛び出し、ハイオークの背中に直撃する。
衝撃と熱さで転げ回ったハイオークは地面の砂で背中の火を消してみせた。しかし、力尽きたようで仰向けの姿勢のまま動かなくなった。
「やったぜ、ハイオークを倒したぞ!」
喜びの声を挙げるレックへ呼応するように残りのメンバー2人もハイタッチをして喜んでいる。しかし、俺はこの時、違和感を覚えていた。危険度が高いと言われているハイオークがこんなにあっさりと倒されるのだろうかと。
そんな俺の予感は皮肉にも的中してしまう。ハイオークは突然素早く起き上がり、レック達の方へと走りだした。つまり死んだふりをしていたのだ。
ハイオークの演技を見抜けなかったレック達は剣と杖を収め、完全に戦闘態勢を解いてしまっていたせいで反応が遅れた。
「うわああぁぁぁ!」
レックの悲鳴が森中に響き、誰もがやられてしまうと思った瞬間、俺は自身の剣を見つめた。まだヘイト魔術が少しだけ残っている! 活路を見出した俺はすぐさま剣をハイオークに向かって投げた。
投擲槍のように真っすぐと飛んでいった剣はそのままハイオークの背中に突き刺さった。レックに振り下ろされる筈だったハイオークの棍棒はピタリと動きを止める。
数秒の沈黙の後、ハイオークは再び怒りの眼をこちらに向ける。そして鼻息を荒げると俺が完全に防御態勢をとるまえに体当たりをかましてきた。
「ぐはっ!」
ハイオークの突進をまともに受けた俺は大きく吹き飛ばされ、近くの木に背中を強くぶつけて倒れてしまう。ハイオークは倒れた俺の頭を鷲掴みにして持ち上げた後、俺を掴んだままゆっくりとレック達の方へと近づいて行く。
どうやらハイオークは怒りっぽくはあるものの相当頭が切れるようだ。俺を人質にすれば3人が魔術を放てないし、仮に撃ったとしても俺を盾にできると考えて持ち上げたのだろう。
ハイオークの大きな手で割れそうな程に強く頭を掴まれながらも、俺は打開策がないかと考え続ける。
掴まれているのは頭だけだから素手でハイオークの身体を殴ればいいかとも考えたが、屈強過ぎるハイオークの身体には生半可な打撃は通用しないだろう。かといって俺の剣はハイオークの背中に突き刺さったままだから使えない。
万事休すかに思えたその時、自分の脳に泥臭い打開策が舞い降りた。
それは俺の頭を掴んでいるハイオークの太くて長い指が、自分の口元まで伸びている状況を利用し、噛みつくという手段だ。俺はなりふり構わず、食いちぎる勢いでハイオークの中指を噛んだ。
「イギャァァァ!」
突然の痛みに驚いたハイオークは反射的に俺の頭を離した。急いで距離を取った俺は仲間のいる場所まで下がり合流する。そして3人に背を向けたまま指示を出した。
「今から俺が
指の痛みが引き始め、ますます俺への怒りを溜め込んだハイオークが予想通り俺に向かって棍棒を振り下ろしてきた。俺は全神経を集中させて防御魔術を唱える。
「サンドウォール!」
俺の前方を砂の壁が覆いつくす。サンドウォールはその名の通り砂壁を出す魔術だから岩壁を出す地属性防御魔術『ロックウォール』などに比べると正直防御性能は低い。それ故にレックからは『中の下の防御魔術だ』と蔑まれることも多い。
しかし、今の俺だと防御魔術はサンドウォールしか使えない。だから手持ちの技で頑張るしかないし、最悪砂壁魔術が通用しなくても俺が殴られている間に3人が攻撃魔術を撃ちこんで倒してくれるはずだ、そう信じて俺は連続でサンドウォールを繰り出し続ける。
ハイオークは轟音を立てながら1枚、2枚と俺のサンドウォールを叩き壊したが、サンドウォールはまだ2枚残っている。このペースなら3人の詠唱も間に合うだろう、そう確信した俺は後ろを振り返って確認する。
「3人ともそろそろ撃てるか? って……えっ?」
後ろを振り返ると信じられない光景が広がっていた。なんと3人が全力で逃亡していた。
俺自身攻撃を防ぐために興奮していたことに加え、サンドウォールが破壊される音が耳に響いていた影響で3人の足音を聞き取れなかったようだ。
50歩以上先を振り返りもせず走る3人に煮えたぎるような怒りの感情が湧いてくると同時に見捨てられた喪失感で頭が壊れそうだ。
絶望に打ちひしがれている間に最後のサンドウォールが破壊された。棍棒を振り上げたハイオークはニヤリと笑う。俺は死を覚悟して、ぼんやりとハイオークの顔を見つめていた。
死を確信したことで俺は却って冷静になっている。あの時、3人が逃げずに魔術を撃ちこんでいてくれたら討伐できた可能性は高いと思うが、それでもハイオークが攻撃魔術で絶対倒れる保証はない。
それなら俺を餌にして確実に3人で逃げた方がいいと判断したのだろう。誰だって自分がかわいいし、俺より優秀な盾役だって探せばいくらでもいるだろう。
だからと言ってこんな最後ありかよ……。俺は恨みと絶望が混ざったよく分からない感情を噛みしめていた。
そんな事を考えているとハイオークが眼をカッと見開き、棍棒を振り下ろした。全てを諦めて目を瞑ったその時――――金属を叩きつけたような不自然な衝撃音が耳に入り、俺は目を開いた。
すると、そこには町のギルドで見かけた銀髪の女性が立っていたのだ。
確かこの女性は追放者を集めていると言っていた稀有な人だった筈だが、何故この女性は一瞬で俺の目の前に移動できたのか? 何故ハイオークの棍棒を
「今すぐ、真下を向いて!」
何が何だか分からないまま指示通り地面を見つめると女性は魔術を唱えた。
「ゴス・フラッシュ!」
女性が叫んだ瞬間、俺の見つめる地面が一瞬だけ眩しく光った。それと同時にハイオークがうめき声をあげる。
どうやら閃光系の魔術を放った影響でハイオークの視力が一時的に奪われたようだ。俺に下を見ろと言ったのも手短に光源を見るなと伝えたかったのだろう。
女性は魔術を放ち終わると、俺の手を引っ張りながら走り続け、ハイオークから距離を取って茂みに身を隠した。そしてすかさず俺に治癒魔術のヒールをかけてくれた。
ハイオークに掴まれて血が出ていた俺の頭がみるみる治っていく。どうやら中々優秀な治癒能力をもっているようだ。
女性は息を整えた後、ハイオークに位置がバレないように小声で俺に問いかける。
「どうしてあんな危険なモンスターと1人で戦っていたんですか? 死んじゃいますよ?」
俺は自身がパーティーから追放されかけていたことと、見捨てられて逃げられたことをかいつまんで女性に伝えた。すると女性は顔を真っ赤にしながら、レック達の言動に怒りだした。
「そんなの最低過ぎるよ! 作戦も君への負担が多すぎるし、君のことをまるで身代わり人形みたいに……パーティーって互いに命を預け合う平等な関係じゃなきゃいけないのに、許せない」
最初に使っていた敬語もすっかり抜け落ち、素の言葉が出ていた。酒場の酔っ払いに絡まれていた時はにこやかに流していたのに、今はとても怒っている。
もしかしたら自分より他人の痛みに本気になってしまうタイプなのかもしれない。俺は出会ったばかりの彼女に人の好さを感じていた。