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翌日――対抗戦に出場する各校の選手、作戦スタッフ、技術スタッフは、開催場所のオーベル・フォルトゥナート・コロシアムにいた。各校毎に割り当てられた控室で待機している。
ちなみにオーベル・フォルトゥナート・コロシアムは、十万人以上収容可能な国内最大のスタジアムだ。以前はコロシアムと呼ばれていたが、現在は剣闘以外にも様々な用途で使用される為、スタジアムと呼ばれている。
オーベルは魔物が大量に溢れた
コロシアム内は隙間がないほど観客で埋め尽くされており、対抗戦開始前から熱気に包まれているが、とある場所だけは優雅な時間が流れていた。
その場所の入口に
「ほ、本当に私が入ってもよろしいのでしょうか?」
「問題ないよ。フィローネは第一席の弟子でもあり部下でもあるんだから」
恐縮しながら尋ねるフィローネに、アーデルが落ち着きを与える優しい声色で答える。
「それに我が家の使用人でもあるから尚更問題ないよ」
「なんにしろ、隊長の連れってことなら問題ないさ」
何故かグラディスが得意顔で補足する。
彼女は特級魔法師第三席であるアーデルトラウト・ギルクリストが率いる隊の副隊長を務めている。
アーデルとグラディスの姉が幼馴染であり、その縁があって二人は昔から姉妹のように育った。
豪放な性格のグラディスだが、彼女には頭が上がらない人が四人だけ存在している。それは、母、姉、グラディス、フェルディナンドの四人だ。
「フィローネさん、姉さんの言うことはあまり真に受けないでくださいね」
「姉の扱いが雑じゃないか……」
レイチェルの言い様に、グラディスが不服そうに肩を竦める。
フィローネからしたらレイチェルもグラディスも雲の上の存在だ。
どちらか片方だけを立てるようなことはできない。なので、愛想笑いで誤魔化すことしかできなかった。
「姉妹仲がいいのは微笑ましいけど、そろそろ中に入るよ」
いつまでも扉の前を陣取っているわけにはいかないので、アーデルが先を促した。
「アーデル様……」
「隊長……」
姉妹仲がいいという言葉を素直に受け入れられなかった二人は、反論できずに口を閉ざしてしまう。
アーデルが特級魔法師というのもあるが、二人にとっては姉のような存在だ。
幼い頃から面倒を見てもらっていたので完全に頭が上がらない存在だった。
何より、万が一アーデルの幼馴染である長姉に口答えしたと伝わったら、二人はこの世の終わりとでも言うかのように顔面を蒼白させてジルヴェスターの背に隠れることになる。
二人にとっては長姉が最も恐ろしい存在であった。母よりもだ。――もちろん尊敬はしているが。
さすがの長姉もジルヴェスターには甘いところがあるので、盾にするのにちょうど良いのだ。
「――失礼しました……!」
一番下っ端のフィローネが慌てて扉を開ける。
年齢も階級も彼女が一番下だ。
開かれた扉の先には、フィールド側だけガラス張りになっているVIP室が広がっている。スタジアムの高層にある場所なだけあり見晴らしがいい。
四人はアーデルを先頭に室内へ足を踏み入れる。
すると、室内には数人の人影があった。
「アーデル先輩も来られたのですね」
ガラスの前に突っ立ってスタジアム内を見下ろしていた特級魔法師第六席の『
アーデルはランチェスター学園の卒業生であり、ミハエルの一学年先輩だ。
彼女は三年生の時に生徒会長を務めており、当時二年生だったミハエルを副会長に任命して共に仕事をしていた仲でもある。故にミハエルは直属の先輩であるアーデルには頭が上がらない。
「私の本命は明日だけど、フィローネにとっては今日の方が大事だからね」
アーデル、グラディス、レイチェルにとっては、今日の新人戦よりジルヴェスターが出場する本戦の方が大事だった。
しかし、今日はフィローネのかわいい弟が出場する日だ。なので、観戦に連れて来てあげたのである。
「なるほど」
諸々の関係性を把握しているミハエルは、事情を察して納得顔で頷く。
「そういう君も同じ理由でしょ?」
「そうですね」
アーデルの指摘通り、ミハエルも目的は同じだった。
フィローネの弟は彼の弟子なのだ。
「ミハエル様、弟がいつもお世話になっております」
アーデルの背後に控えていたフィローネが前に出て頭を下げる。
「弟君は真面目でしっかりしているからあまりお世話はしていないよ」
苦笑するミハエルの言葉は本心だ。
レアルの性格もあるが、本当に手間の掛からない弟子であった。
「ご迷惑をお掛けしていないようで安心しました」
「むしろ私が迷惑掛けていないか心配だよ」
ほっと息を吐いて安堵するフィローネに対し、ミハエルは笑みを浮かべながら冗談めかしに言う。
「どんどんこき使ってあげてください」
「程々に頼りにさせてもらうよ」
「今後とも弟のことをよろしくお願い致します」
「こちらこそ」
挨拶を済ませたフィローネは下がってアーデルの背後に控える。
「私のことは気にせずに自由に過ごしていいんだよ?」
「いえ、そういうわけには……」
アーデルが気遣いは無用だと告げるも、フィローネは困り顔になってしまう。
使用人として同伴している以上は、しっかりと務めを果たさなければならないと思っていたからだ。
「ラディほどとは言わないけど、レイくらいは肩の力を抜いてもいいと思うよ」
「うちの姉はいないものとして扱ってください」
VIP室にはドリンクや軽食などが用意されている。
それをグラディスは遠慮なく味わっていた。
レイチェルはドリンクを片手にグラディスの背後に控えているので、彼女が姉に対して辛辣な発言をしてしまっても仕方がないだろう。
本来は直々の部下であるグラディスがアーデルの背後に控えるのが筋なのだから。
「――
「さすが老師、良くわかってる」
「ほほ、お主は相変わらずじゃの」
L字型のソファに座っている老人が孫を見るような温かい眼差しを向けながら会話に割って入ると、グラディスが快活に笑い返した。
「姉さん、失礼よ」
「別に構いやしないだろ。老師は私らの祖父みたいなもんなんだから」
「だとしてもよ。親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないのかしら」
レイチェルは鋭い視線を向けるも、グラディスは全く意に介さない。
その様子を横目で見ているフィローネは、緊張で冷や汗が止まらなかった。
何故なら、グラディスが粗雑に対応している人物が彼女でも知っているほどの大物だったからだ。
いや、むしろこの国で暮らしている人間で、この老人のことを知らない者がいたらそれこそ驚きだろう。
「うちの姉が申し訳ありません」
レイチェルが申し訳なさそうに老人へ頭を下げる。
「ほほ、お主は少し肩の力を抜きなさい」
「はい。ありがとうございます」
全く気にした素振りのない老人の言葉に安堵したレイチェルは頭を上げる。
「それにしてもお主が対抗戦を観に来るとは珍しいの」
老人がアーデルに視線を向ける。
アーデルが対抗戦を観に来るのは非常に珍しいことだ。彼女が対抗戦を観戦しに来たのは、コンスタンティノス姉妹が出場した時だけである。
「今回は観に来る理由がありましたから」
「ほう?」
興味深げな視線を向ける老人。
「そのうちわかりますよ」
しかし、アーデルは理由を述べずに話を切り上げてしまう。
「そういうことなら楽しみにしておくとしようかのう」
すげなくあしらわれても全く不満を抱かないあたりは老人の懐の深さが窺える。
特級魔法師のアーデルが丁寧な言葉で話している時点で、老人が只者ではないということがわかるだろう。
老人の名は――ボグダン・パパスタソプーロスと言う。
『賢者』の異名を持ち、特級魔法師第九席の地位を与えられている。
現在七十歳の彼はさすがに年齢の問題で壁外へ赴くことは滅多になくなったが、五十年近く特級魔法師として国を守り続けてきた生き字引だ。
白い肌に
また、多くの弟子を持ち、優秀な魔法師を数多く輩出していることから、魔法師としての実力だけではなく、指導者としても多くの尊敬を集める存在だ。