◇ ◇ ◇
みなが懇親会を楽しんでいる中、ジルヴェスターは会場を抜け出していた。
彼は人を探しており、廊下を歩きながら視線を彷徨わせている。
さすがグレードの高いホテルなだけあり内装が豪奢だ。
絵画、オブジェ、照明器具、絨毯、家具など、どれも意匠の凝ったデザインで価値の高い代物だと一目でわかる。
ただ豪奢なだけではなく、派手すぎずに心の休まる落ち着いた雰囲気を作り出しているのは内装をデザインした者のセンスが成せる業だろう。
ジルヴェスターがエントランスに辿り着くと、探していた人物の後ろ姿が視界に映った。思いの
その者はエントランスで部下と思われる男性と話していた。あまり距離が離れていないので会話の内容が聞こえてくる。
「本部長……急に予定を変更されては困ります」
「いやー、すまないね」
部下に注意されて申し訳なさそうに頭を掻いている。
「もう少し早めに仰って頂ければ、こちらも余裕を持って調整できるので思い付きで行動しないでください」
「ははは、耳が痛い」
部下に口酸っぱく注意されても嫌な顔一つしない辺りに懐の深さが窺える。
いつまでも機会を窺っていては埒が明かないので、ジルヴェスターは背後から声を掛けることにした。
「――マクシミリアン」
既におわかりのことだろうが、ジルヴェスターが探していた人物は魔法協会本部長のマクシミリアンであった。
名を呼ばれたマクシミリアンが振り返るが、元からジルヴェスターと向かい合う位置にいた部下が先に口を開く。
「――こら! 君は学生だろう? 本部長のことを呼び捨てにするとは何事――」
「――ジェフリー君」
「……なんでしょうか?」
部下の男性はジルヴェスターに対して厳しい目線を向けて注意するも、途中でマクシミリアンに遮られてしまう。
当然、部下は怪訝な顔になる。
「お気持ちはありがたいですが、彼は私の友人です。なので、注意は控えてください」
「……差し出がましいことを致しました」
マクシミリアンが努めて穏和な口調と表情で言うと、ジェフリーと呼ばれた男性は戸惑いながらも頭を下げた。
ただの学生と魔法協会の本部長が友人関係を築いているのが不思議なのだろう。
年が近いわけでもなければ立場も違うので尚更だ。
もしジルヴェスターが特級魔法魔法師第一席だということを知ったら卒倒するかもしれない。
「ジルヴェスター君、うちの者が済まないね」
「気にするな。むしろ当然の対応だろ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
本部長であるマクシミリアンでも、ジルヴェスターの不興を買うのは避けたいことだった。なので、頭を下げることを厭わない。
そもそもそんなことでジルヴェスターが怒ることはないとマクシミリアンは承知しているが、だからと言って詫びを怠る理由はなかった。
「ジェフリー君、少し彼と話すので先に戻っていてもらえるかな」
「わかりました」
ジェフリーは頭を下げるとホテルを後にし、魔法協会本部へと戻って行った。
「気を遣わせて悪いな」
「構わないさ」
マクシミリアンが部下を下がらせたのは、ジルヴェスターが自分の立場を気にせずに会話ができるように配慮してのことだ。
そのことに気がついたジルヴェスターはマクシミリアンに感謝した。
「それで私に何か用かい?」
「ああ」
マクシミリアンの問い掛けにジルヴェスターが頷く。
「わざわざお前が来るとは思わなかったからな。何かあったのかと疑問を抱いただけだ」
「なるほど」
日々忙しくしている本部長のマクシミリアンが、学生の懇親会で激励する為に足を運ぶのは過分な対応だ。
「何、大したことではないよ」
マクシミリアンが微笑む。
「君が対抗戦に出場すると耳にしたから様子を見に来ただけさ」
「それだけか?」
「疑わなくても本当さ」
予想外の答えに少しだけ怪訝な表情になったジルヴェスターの様子に、マクシミリアンは苦笑する。
「君が戦う姿は滅多にお目にかかれないからね」
ジルヴェスターは一人で行動することが多い。故に人前で力を振るうことはほとんどない。
共に行動するとしたら部下のレイチェルとフィローネくらいだ。
「明後日の本戦も観に来るよ」
どうやらジルヴェスターが新人戦ではなく本戦に出場することも知っているようだ。
「お前は意外と暇なのか……?」
「はは、それだけ貴重な機会ということさ」
マクシミリアンは決して暇なわけではない。
事前に仕事を片付けて都合をつけているだけだ。
「それにエレオノーラ君の様子も見に来たんだよ」
「ああ……なるほど」
マクシミリアンは苦笑しているが、表情を観察すると悩ましげにしているのが察せられた。
どうやら魔法協会もエレオノーラには頭を痛めているらしい。
おそらく彼女の件が本命なのだろうと思い至ったジルヴェスターは、マクシミリアンがわざわざ足を運んだ理由に納得した。
「やはり協会としても問題視しているんだな」
「手を焼いているのは事実だね」
魔法協会でも手に負えない状態なので、エレオノーラから特級魔法師の地位を剥奪したらいいと思うかもしれない。しかし、ことはそう簡単ではない。
特級魔法師になれるほどの実力と才能を有している者を遊ばせておく余裕がないからだ。
それに一度特級魔法師にした者からネガティブな理由で地位を剥奪するのは、世間に悪い印象を与えてしまう。
不安を煽るのはもちろんだが、何よりも反魔法主義者に攻撃される材料を提供するだけだ。
広い視野で物事を考えると、エレオノーラから特級魔法師の地位を剥奪する方がデメリットが大きかった。故に頭を痛めている。
「君に手も足も出ずにやられて頭が冷えてくれることを願っているよ」
「逆に面倒なことにならなければいいんだがな……」
プライドの高いエレオノーラがそんな簡単に心を入れ替えるとは思えない。
今回の対抗戦を経て少しでも態度を改めてくれれば御の字だ。
万が一、逆効果になってしまった場合は人目につかない場所で調教してやろうか、などと物騒なことを考えていた。
二人共ジルヴェスターが
傲慢に感じるかもしれないが、それだけマクシミリアンはジルヴェスターの実力を認めていて信頼している証拠だった。
そしてジルヴェスター本人も驕っているわけではなく、ただ自信があるだけだ。
幼い頃から死線を潜り抜けてきており、死にかけたこともある。幾度もだ。
生まれ持った才能に恵まれているのもあるが、宝の持ち腐れにしないように血の滲む努力をしてきた。
その結果、今の実力と地位を得るに至っている。
だからこその自信だ。
「そもそもお前なら力づくで黙らせることもできると思うんだが」
「いやいや、私は文官肌だからね。争い事は御免だよ」
苦笑しながら頭を掻くマクシミリアンはそう言って謙遜するが、彼は上級一等魔法師であり、ジルヴェスターも認める実力者だ。
むしろ何故特級魔法師にならないのだろうか? と思っているほどで、魔法協会の本部長を務めているのは伊達ではなかった。
「俺も争い事が好きなわけではないんだが……」
ジルヴェスターが肩を竦める。
彼も本質は研究者肌であり、戦闘を好んでいるわけではない。
好き好んで争いの場に赴くタイプではなく、必要に駆られて仕方なく戦っているだけだ。――研究が目的で自主的に壁外へ赴くことが多々あるので説得力に欠けるが。
「戦闘を好む特級魔法師が少ないのは意外だよ」
「そうだな」
マクシミリアンの言う通り、実際に好き好んで戦闘を行う特級魔法師は少ない。
第一席であるジルヴェスターが戦闘を好んでいないのが影響しているのだろうか。
「――さて、私はそろそろ失礼するよ」
「時間を取らせて済まないな」
「またタイミングが合えば話そう」
「ああ」
マクシミリアンは暇ではない。いつまでも談笑しているわけにはいかなかった。
忙しいことはジルヴェスターも理解しているので引き止めたりはしない。
「それじゃ、また」
そう言うとマクシミリアンは軽く手を振ってホテルを後にする。
去っていく後ろ姿を見送ったジルヴェスターは懇親会の会場に戻った。