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三月二十四日――この日は春季休暇前最後の登校日だ。
ジルヴェスターはたまたま早く目が覚めたので、いつもより早い時間に登校していた。朝のホームルームまで一時間ほどの猶予がある。
ホームルームは重要な事柄の話がある日や、大したことのない内容の日もある。
ホームルームの主な目的は担任が生徒の顔を確認することだ。寮生活をしている生徒が多い環境なので親代わりではないが、教育者として親元を離れて暮らしている生徒の様子を直接確認することにあった。
広大な敷地を有するランチェスター学園には各所にベンチが設置されている。
時間に余裕のあるジルヴェスターはベンチに腰掛けて、読書でもしてのんびり時間を潰そうかと考えていた。
その場所は広場になっており、所々にベンチが置かれている。生徒が息抜きするのにはもってこいの場所だ。
寮暮ししている生徒にはちょっとした公園の様な役割を果たしており、昼休憩の時間にはこの広場で昼食を摂る者もいる。もちろん、休日にも利用可能だ。
ジルヴェスターは広場から逸れるように歩を進め、木々に囲まれている緑豊かで
この場所は普段からあまり人が訪れないスポットであり、のんびりと過ごすのにはうってつけの場所である。
しかし、この時のジルヴェスターは完全に油断していた。
普段の彼なら人の気配は敏感に察知できる。
故に、突如聞こえてきた言葉に足を止めてしまった。
「――好きです! 俺と付き合ってください!!」
ジルヴェスターの視線には、一人の男子生徒が対面する女生徒に告白している場面が移っていた。
「ありがとう。君の気持ちは素直に嬉しい」
「じゃ、じゃあ――」
ジルヴェスターからは男子生徒の背中しか見えないので顔は窺えない。
だが、女生徒とは対面する位置取りであった為、しっかりと顔を確認できた。
顔は確認できないが、男子生徒が緊張しているのは雰囲気から
女生徒の返答に喜色をあらわにしているのだろうということは察することができた。
「でもごめんなさい」
「え」
女生徒は精一杯の誠意を籠めて断りを入れる。
脈ありだと思っていた男子生徒は呆然として言葉にならない声を漏らす。緊張した表情から喜色に変わり、更に呆然とした表情に忙しく変わっていく一幕であった。
「な、なんでか理由を訊いてもいいかな? もしかして好きな人がいるからとか?」
「それは――」
振られた男子生徒が気力を振り絞って断られた理由を尋ねる。
女生徒の顔を見ることすらできないのか、目線が下がっている。
(タイミングが悪かったか……退散しよう)
偶然とはいえ、プライベートな場面に出くわしてしまったジルヴェスターは邪魔にならないように静かに退散しようとした。
――しかしその時、女生徒と目が合ったしまった。
何を思ったのか、女生徒は男子生徒に気づかれないようにジルヴェスターにウインクを飛ばす。
ウインクを飛ばされたジルヴェスターは自分の直感が警鐘を鳴らしていた。厄介なことになると嫌な予感が押し寄せてくる。
「あ、ちょうどいいところに」
女生徒はごく自然にそう呟くと、ジルヴェスターのもとへ駆け寄っていく。
対面する女生徒の突然の行動に、男子生徒は呆気に取られながらも視線で追い掛ける。
(……これは逃げられんな)
諦めの境地に達したジルヴェスターは、この後の展開を想像して内心で盛大に溜息を吐く。
(この際だ。厄介ごとに付き合ってやろう)
逃げられないのならば、いっそのこと人助けだと思って割り切ることにした。
駆け寄ってきた女生徒はジルヴェスターの左腕に手を伸ばすと、自身の両腕を絡めて豊満な胸で挟むように押し付けてしがみつく。胸の形が変形するほど押し付けられている左腕には、はっきりと感触が伝わっていた。
「こういうことだから。ごめんね」
「――っ! お幸せに~!!」
想い人が別の男にしがみついているところを見せつけられた男子生徒は全てを悟り、逃げるように駆け出した。逃げ出してしまったが、想い人の幸せを願うだけ立派なのかもしれない。
男子生徒の姿が見えなくなると、女生徒が口を開く。
「いや~、ごめんね。巻き込んで」
「事故だと思うことにするから気にするな」
「ふふ。ありがとう」
女生徒はジルヴェスターのことを自分の恋人だと偽ることで男子生徒を振ったので、利用したことを素直に詫びる。
「――それにしてもいいのか? さすがに酷なやり方だったと思うが……」
確かに女生徒のやり方は褒められたものではない。男子生徒の気持ちを踏み躙るようなやり口だと言われても仕方がなかった。
「彼には以前から視線を向けられてはいたけど、わたしの胸とお尻しか見てないんだよ? 下心丸出しで完全に身体目当てじゃん」
「……俺は彼のことは知らんからなんとも言えんが、お前がそんな格好しているのも悪いと思うぞ」
男子生徒は女生徒の胸と尻ばかり見ていたそうだが、思春期の男子なのである程度は仕方がないのかもしれない。とはいえ、女生徒からしたらいい気はしないだろうし、御免被りたいことだろう。
「それは耳が痛い……。でもこれはわたしのポリシーだから!!」
「何がポリシーなんだ……」
自分にも非があると認めながらも改める気はないようだ。むしろ開き直っている。
そんな彼女の様子に、ジルヴェスターは肩を竦めて溜息を吐くしかなかった。
「それに彼は別のクラスだから気まずくもならないし大丈夫!」
「……そうか」
女生徒が呆気らかんと言い放つので、ジルヴェスターはそう呟くことしかできなかった。
「噂になっても知らんぞ」
「あ~、それはまあ、余計な虫が寄って来なくなると思えば好都合かな。ジルくんは迷惑かもしれないけど」
「このくらいなら別に構わんが」
「なら良かった」
「役得だと思っておく」
「ふふ」
振った男子生徒が余計なことを言い触らす可能性がある。その場合は学園中にジルヴェスターと女生徒が交際していると事実無根な噂が広がってしまうだろう。全ては男子生徒のモラル次第だが、可能性がある以上は気に掛けておく必要があった。
女生徒としてはむしろ都合が良かったので問題はなかったが、ジルヴェスターを巻き込んでしまったことには少なからず申し訳なさがあった。
ところが、当のジルヴェスターは全く気にしていなかった。
彼のことなので些事とでも思っているに違いない。噂など言いたい奴には言わせておけ、くらいにしか思っていないのだろう。
「それよりもいい加減腕を放し――」
「レベッカ~、もう終わった~?」
いつまでも腕を絡ませ続けている女生徒に放すように促そうとした時、近くから別の女性の声が聞こえてきた。
先程告白され、現在ジルヴェスターの左腕を独占しているのはレベッカであった。
ジルヴェスターが指摘した通り、彼女なら格好に苦言を呈されても仕方がないだろう。
レベッカは下着が見えるのでないかと思うほど胸元を開いて見せつけている。同じくスカートも下着が見えるのではないかと思うほど短い。
「――あ、ビアンカ」
レベッカは聞き慣れた幼馴染の声を瞬時に把握した。