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「ではこちらに署名を――」

 花嫁花婿に、神父様がそう言う。

 花婿はさらさら、と流麗な文字で教会の名簿に自分の名前を書く。

 だが。

「どうしましたか?」

 花婿は横の花嫁に問いかける。

 彼女はぶるぶると震え、持ったペンを紙の上に落とそうとしない。

 その時――

「結婚やっぱりやめるわ!」

 ペンを放り出し、花嫁はくるりと後ろを振り返り、ぎらぎらした視線を一人の男に向けた。

 ――私の夫に。

 私と夫のバーナードが結婚したのは、もう三年前。

 まごうことなき政略結婚である。

 そもそも、私、アシュリー・ロンサードと彼、バーナード・ケントの婚約は十歳の時。

 そのくらいの歳になれば、それなりに性格も頭の出来もわかってくる。

 そこでそれぞれの性格に合った家に嫁がせよう、娶せよう、というのがこの辺りの名家と呼ばれる家の習慣だった。

 私はその当時から母と共に読書や手芸を楽しむ、大人しい子供だった。

 一方、四つ年下の妹キャサリンは活発で、兄や従兄弟に交じって庭を走り回る様な子だった。

 その上末っ子ということで、両親や祖父母も彼女をずいぶんと甘やかした。

 ただその結果、私と同じ歳になる頃には、容姿と甘え上手なだけの娘になっていたのだけど。

 まあ、確かにキャサリンの見掛けは良かった。

 私が全体的に父方の暗い色合いを継いだのに対し、妹は母方の明るい髪や目の色、それにころころとよく変わる表情は、確かに人好きのされるものだった。

 一方の私は兄や従兄弟達から「お前と居ると何か滅入るんだよなー」と言われていた。

 まあ比較するものがあれならば仕方がない。

 従姉妹の中には私と同じ様に読書や手芸が好きな子も居たので、比べられても別に何かしら思うことはなかった。

 むしろそんなことより、私は妹が心配だった。

 家庭教師のミス・マドレーは私達きょうだいをまとめて見てくれたのだが、ともかく妹のやる気の無さには常に困っていた。

 彼女はよく庭のベンチに座っては、私達それぞれの教育方針について考え込んでいたものだ。

 私はそんな彼女を見掛けると隣に座って、何をしているのかのぞき込んだものだった。

 難しい言葉を細かい字で書き込んでいる彼女の姿は凜として素敵だな、と思った。

「アシュリー様はいつも私の出した宿題をきっちりこなしてくださいますね。嬉しいです」

「どうして? だって先生が私に合う様に課題を出してくれているのでしょう? だったらちゃんとやらなくちゃ。兄様もそうでしょ?」

「皆が皆、エドワード様やアシュリー様の様だったらいいのですが」

 ふう、とミス・マドレーはため息をついた。

「キャシーは駄目なの?」

 私達は一緒の大きな机で学んでいた。

 だからキャサリンの勉強の具合も見えていた。

 明らかに私が同じ歳だった時よりは遅れていた。

「そうですね…… せめてここまで、というところまで、その年頃に相応しいレベルまで持っていきたいのですけど」

 難しいのだな、と私は思った。

「せめて宿題をきちんとやってくだされば、もう少し上手くいくと思うんですが」

「ムチを使えばいいのよ」

「そんなこと言ってはいけません」

 ぴしゃりと彼女は言った。

「どうして? お祖母様はよく昔はこうだった、ってお話してくださるわ。宿題をしなかったら手をぶたれたって」

「それは昔の教え方です。今はそうではないのですよ」

 ミス・マドレーはそう言って、今どきの教え方の話をしてくれた。

「……でもキャシーはそのくらいしないと先生の言うこと聞かないと思う」

「それは私の力不足ですよ」

 寂しそうに彼女は笑った。

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