追いかけ人の奇声、怒気、飛び散る鮮血。
追われ人の奇声、怒気、飛び散る鮮血。
どちらの声がどうだ、などと思えるような状態ではなかった。
異形は、どちらの声も恐ろしかった。
飛び散る鮮血にも、消えて行く命にも、敵味方の区別などない。
なのに、奇声は止まず、鮮血は飛び散り続けた。
異形は、奇声も、怒気も、鮮血も、消えて行く命にすら気を止めない人々が恐ろしかった。
異形は逃げたかった。
安全な場所へ。
生々しい戦いの空気に追い立てられて逃げ場を探したが、隠れる場所は見つからない。
「こっちだっ!」
志士の声に導かれ、異形は洞窟へと逃げ込んだ。
激しい振動と音に驚いて振り向く。
今来た道は塞がれて、岩しか見えない。
やがて細く入り込んでいた光も途切れ、闇が辺りを覆った。
心細さが異形の視界を涙で滲ませる。
ほどなく、志士が蝋燭に火を灯した。
ほのかな灯りが、洞窟内を照らす。
異形は安堵した。
だが。
辺りを見回してみて、安堵は消し飛んだ。
遺体が、無数の遺体があちらにもこちらにも転がっていたのだ。
生も死も、遠く何処かへ置き忘れた乾いた体が幾体も転がっていた。
外からは生々しい戦いの音が遠く細く響いてくるのに。
洞窟のなかは、生も死も、どちらも曖昧に思えた。
「出口を探そう」
志士に促されて先へ先へと進んだが、そこにあったのは行き止まり。
閉じ込められたのだ。
来た道を辿る気力も無く、二人はそこに座りこんだ。
幸い、蝋燭には事欠かなかった。
だが、水も食料も無く。
流れていく時と共に、飢えは咽からせり上がり、二人の身体を覆っていく。
異形は飢えていた。
時が流れるにつれ、飢えははっきりとした形でのしかかる。
辛さは増すばかりで、尽きる先を知らない。
「腹が減った」
こちらを見る志士の目を、揺れる灯りが浮かび上がらせる。
「腹が減った」
その瞳に映る異形は、食べ物とよく似た姿をしていた。
志士は異形の体を取り込むことで自らが救世主となるのだ、と、いう意味の言葉をブツブツと呟き続ける。
その傍らで異形の形は、さらなる異形となり果てて消えていく。
異形が語った事のない意志を都合よく組み立てている自分に気付きもしない志士が飢えを満たした頃には、異形の命は消えていた。
そこに罪悪感はなく。
語った言葉を果たすべく、表に踊り出るチャンスを待つ志士の姿だけがあった。
血で血を洗う戦いに踊り出るチャンスを待つ、志士の姿だけが。
洞窟の外は藍色。
天に向かい迷いなく闇に沈む世界。
やがて藍色は金糸の雲を引き連れた太陽に引き裂かれ、朝が来る。
いつもと変わらぬ朝が来る。
爽やかな風がいつもと同じ顔をして、乾いた土地と何処か壊れた人々を、穏やかに包んでいった。