その日は、朝から場内に異様な空気が満ちていた。
「なんだろう?」
異形には理由が分からない。
問うてみようにも、答えてくれるはずの柱の姿が見当たらない。
仕方なく異形は、城内の様子を窺って回った。
隠れるように覗き見る城内は、世間に疎い異形にも普段とは違うことが分かるほど浮かれていた。
人々の明るくウキウキとした様と反比例するように、異形の心には不安が広がっていく。
柱の姿を求めて、アチラにコチラにと飛び回っていた異形は、城内で一番広い部屋が騒がしいことに気付いた。
宴など特別な時に使われる部屋で、朝早くから何が行われているのだろうか。
疑問に思った異形は、恐る恐るなかを覗いた。
窓には覆いがかかり、室内は朝だというのに薄暗い。
それでも、室内の様子はよく見えた。
人々がそれぞれの手に灯りを持っていたからだ。
手に灯りを持った人々が、浮かれた様子でうごめいていた。
揺れる蝋燭の炎の中で浮かれに浮かれている。
異様な光景だった。
雰囲気に気圧されて後ずさりした瞬間、一段と高く大きな雄叫びが上がった。
その声に、異形は聞き覚えがあった。
声の主に目をやれば、やはりそこには柱がいた。
だが、異形が知っている柱ではない。
目は爛々と輝き、白すぎる肌にはダラダラと汗が流れていた。
いつもは整った美しい金の短髪は、かき乱したように逆立っている。
柱は、普段の穏やかな姿からは想像も出来ない、激しくほとばしるモノを発しながら叫ぶのだ。
「我は柱! 今日こそ約束の役目を果たすっ! 地に永遠の祝福を!」
観客たちはどよめき、何処からともなく剣を手にした者が四人、現れた。
鋭く冷たく光る切っ先にたじろぐことなく、柱の目は爛々と輝いていた。
そして叫ぶ。
「時は満ちた! 今こそ柱は、柱とならん! この地の民の為に! 土地の繁栄を願って!」
その声は、まぎれもなく柱の物だった。
だか、そこにある意思は、本当に柱の物なのだろうか?
異形は疑問に思ったが、その疑問は疑問のまま、永遠に謎となる。
何故なら、柱は八つに裂かれたからだ。
鮮血は赤く糸を引いて飛び散り、石と土で出来た床と壁を汚した。
いっそう高く上がる声は、宴の最高潮を知らせた。
柱は八つに裂かれ、城の八方に埋められた。
人柱となったのだ。
少なくとも、城外の民の為ではない事は明らかだった。
別れも告げず、消えた柱の意思は謎のまま。
忌み嫌った者の為に人柱となった、柱の想いは謎のまま。
その事実だけが冷たく転がっている。
異形には、分からない。
今更だ。
分かった所で仕方無い。
今更だ。
分かった所で異形が出来ることなど何も無い。
異形は一人、この城に残された。
その現実だけが、異形に重くのしかかっていた。
柱の居ない日常が始まり、異形の生活は姿を変えた。
異形が城内育ちであっても、城内の者が世話をしてくれることはない。
代わりに、わずかばかり城に出入りしている城外の者が、柱の役割を分担して担った。
自然と城外の者との接触は増え、得る知識も増した。
彼らは、異形の姿を恐れる事もなければ忌み嫌う事もない。
代わりに、期待を込めた目で見るのだ。
何を求めているのか。
それが分からないほど愚かでも、鈍くもない。
それゆえに、息苦しく、心苦しく。
何も口に出来ないということは、否定も出来ないということだ。
結果、後継の鋭い視線に晒される事が増えた。
城内の者の視線も、一段と冷たくなっていった。
ある日のこと。
異形は食べた物を血と共に吐き出した。
毒を盛られたのだ。
誰がどんな意図でしたことか、異形には分からない。
城内の者が異形を排除するために毒を盛ったのか。
城外の者が異形を神化するために殺そうとしたのか。
どちらにせよ、限界だった。
異形が城に留まる事は。
「異形、貴方は尊いお方。我々を導いてくれる人となる。我々に付いて来て下さい」
城外の者である志士は、異形に告げた。
彼に付いていくしか、異形が生き延びる術はない。
付いていくのは、自分自身の命の為だ。
そんな自分を、異形は素直に認めていた。
だが、期待の目を向ける城外の者に、言えるわけがない。
命を失いたくないから逃がしてくれ、とは。
導けと言われても自分に出来る事とは思えなかったし、導く先など何処にあるというのだろうか。
疑問は異形の心に浮かんだが、それを口にする事はなかった。
黙したまま、言われるがままに、城外に逃れた。
振り返り仰ぎ見る城は、大きかった。
大きくて冷たく、何の愛着もない、ただの建物だ。
王を始めとする住人達にも感じるものはない。
それが幸なのか、不幸なのか。
それすらも異形には分からなかった。