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②触れなば落ちん風情の

 お義兄様、オネスト・ナザリスはお父様の研究室の学生だった。

 その縁でお父様はお姉様と娶せたのだけど。

「私はトリールが婚約したという方を紹介してもらって、ああ、誠実そうな方だな、と思ったわ」

「当時から好意的だったんですね」

 少しの間、沈黙が流れた。

 私はカイエ様の次の言葉を待った。

 ただ待った。

 このひとは私が何を問いたいのか気付いている。

 ただそれに対し、どう出ていいのか少しばかりためらっている、そう思った。

 そして彼女はふう、と一つため息をつくと。

「マルミュットさん」

「はい」

「貴女は何処までトリールから聞いているのかしら?」

「色々と。でも何故、と問うたらお姉様は納得がいくまで調べてみればいいわ、と」

 そう、と言うと彼女は再びため息を一つ。

「やはり、許してはくれないのね」

「では、悪いことをなさったと?」

「……娘が戻ってくるまででしたら、お話致しますわ」

「今、娘さんは?」

 家の中からその声は聞こえない。

 小さな子一人で外に出した訳ではあるまい。

「マリマリはサンドレッド様が湖の方へ連れていって下さっているわ」

 サンドレッド――確か彼女が今度再婚する南東の実業家の名だ。

「ずいぶんともう親しいのですね」

「そもそもマリマリが先に出会っているのよ。湖で溺れそうになったところを助けてくださったの」

「何とまあ! 劇的な!」

「その時私、サンドレッド様にこっぴどく怒られたのよ。子供から目を離すなんて何ってことだ、って。なのに何故かその後どういう伝手を使ってか、私に求婚してきたの」

「ずいぶんと積極的な……」

「南東からもの凄く久しぶりに戻ってきたんですって。色々やってきたけど、ようやく仕事が落ち着いたからちゃんと所帯を持とうって気になったんですって」

「まあ、それまで浮いた噂一つ無く?」

「まあ普通に男の方が行く様なところには出入りしていたかもしれないけど、あくまで仕事命だったそうよ。それこそ素人女に声を掛けたのは初めてだって」

「それはまた」

「私当初怒ったのよ。少し前に、こっちに引っ越してきた時に、女ばかりの所帯だからって、苦労していないか、世話してやる、って金持ちから声をかけられたり、何だか面倒で」

「それはまあ、カイエ様お綺麗だし」

「夫に死なれてしばらくそういう話はお断り、とぴしゃっと言ってやったんですけどね」

 だけど言いたくなる気持ちは何となく解る。

 湖のほとりの保養所の小さな家に女ばかり。

 そして住んでいるのはしっとりとした美人――触れなば落ちん、と言った風情の。

 花でたとえるなら、夏ならば芙蓉の様な大輪の、鮮やかな、だけど少しだけ穏やかな色の、やわやわとした花びらの。

 冬ならば色こそ鮮やかであれ、花びらが風にほろほろと落ちていく山茶花の様な。

 そんな彼女が格別誰かしらの妻なり恋人なり愛人なり、そんな様子が無ければつい声を掛けたくなるのも解らなくもない。

「何だか色々あって疲れちゃっていたから、いっそそれでもいいかな、なんて思っていたら、トリールから怒られちゃったんだけどね」

 くすくす、と彼女は笑う。

「お姉様はよく来るんですか?」

「ええ。そしてよく子供の様子を話してくれるわ」

「ハラスト君のことですか」

「ええ」

 頷くと彼女はふっと目を伏せた。

「私がここを発つぎりぎりまで、産んだ私にその様子を教えてくれるつもりなのよ、あのひと。……何処までもお人好しなんだから……」

 そうだろうか?

 私はあのお姉様がお人好しだと思ったことは一度も無い。

 まあそれは私が小さな頃から一緒に育った妹だからだろうが……

「ではお願いします。そのお姉様から許可をもらっているのです。ハラスト君を儲けるに至った経緯を教えてくださいな」

 言い換えれば「貴女方の浮気の詳細を教えてよ」なんだけど。

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